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今川義元が織田信長に打ち取られた場所「桶狭間の古戦場」巡り [ 旅行 東海]

 5月3日から5日にかけて知立祭りや名古屋市緑区の有松に行ってきました。

 5月3日、知立祭りでユネスコの世界文化遺産になった浄瑠璃文楽やからくり人形を見た後、知立に一泊し翌朝有松に移動。 有松の自転車屋さんに予約しておいたレンタル自転車を借り、桶狭間の古戦場を巡り、また有松の古い家が立ち並ぶ街並みを見る事に。

 古戦場を巡るコースは「名古屋市緑区ルネッサンスフォーラム」が発行している「(名古屋市)緑区散策マップ 桶狭間古戦場コース」
(ホームページ; http://www.geocities.jp/midorirekishi/map/okehazama.pdf )
をもとに回る事にしました。



 上記の「桶狭間古戦場コース」の資料によると、
 桶狭間村は1341年頃南北朝時代に南朝の落ち武者20人位が隠れ住み、その半数位が桶狭間郵便局付近から長福寺に至る間に土着したのが始まりとの事。

 村の発祥から約200年後旧暦の永禄3年5月19日(1560年6月12日)桶狭間の合戦があった。
 村人は先陣の瀬名氏俊から「今川義元が着陣する」と聞かされ、徹夜で餅をつき肴を煮、当日の昼には義元公をを迎え酒肴を献上無事の通過を願った。 当日19日の昼頃には激しい雷雨となった。 雷鳴が遠のいた途端北方から織田信長軍が義元軍に襲いかかり大喚声,悲鳴、怒号馬のいななき等が響きわたり、義元軍の1割にも満たない「織田軍が義元を打ち取り」勝どきを上げた。

「桶狭間古戦場コース」の地図の部分
bbblogokehazama.jpg


 地図 ① の高根山への道は間違えやすいとの事でパスし、有松郵便局から地蔵池迄行き、
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地図を見ながら少し戻り、ひと山越える様に坂道を上り更に下り桜花学園大に突き当たったら右折し150m 名古屋短期大学の端、地図②の武路釜ヶ谷(たけじかまがたに)に到着。

織田軍はこの谷に潜み突撃の機会をうかがっていた。
blogDSCN2467.jpg


 釜ヶ谷の看板から150m、トンネルをくぐって直ぐに右折、急な坂を上り大池方向に。
このトンネルの上には何があると思いますか? 答えはこの記事の最後に! 私はこのトンネルに惑わされ「行ったり来たりの迷子」になり、地元の人に道順を教えて頂きました。
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 トンネルをくぐり右折して約250m、大池に戻る直前に道なり左折、最初の角を更に左折するとすぐに右側の電柱に地図③の「七つ塚」の看板(下左写真)があり、看板に従い路地を入って行くと 塚 がありました。(実はここでも塚が見つからず地元の人に教えて頂きました。)
 信長は義元を打ち取った後この付近に兵を集め勝どきを上げた。
その後、村人はここの東西に七つの穴を掘り戦没者を埋葬、塚として弔ったとの事。
七つ塚に入り口              七つ塚
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 七つ塚から出て、左側(西)に行き、上記地図を見ながらクニャクニャと曲がって ④ 桶狭間古戦場公園「田楽坪」に出ました。

ここは「今川義元が討ち死にした地」と伝えられている場所です。
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右端の黄緑矢印が今川義元の墓だそうです。いつ建てられたかは不明です。
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公園の反対側の入り口で、幾つかの掲示板や石碑がありました。
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 次に向かったのは上記地図 ⑤ の今川義元の本陣があったと言われる「おけはざま山」。
桶狭間古戦場公園南側の道を東に約150m行き、斜め左に入り、道なりに北方向に坂を上って行くと桶狭間山の頂上と思われる所に出ます。
この坂道を上って「おけはざま山」頂上へ
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自転車の陰黄緑矢印の所に「おけはざま山」の表示が。
(表示が臨時の様な物でしたので、帰宅後調査した所山の頂上の真下西側30m位の所に石碑があった様です(古戦場公園からの道順は全く異なりました))。
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 ④ 桶狭間古戦場公園に戻り、少し南に行くと大池に出ます。
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 大池の北東岸に地図 ⑥ の瀬名氏俊の陣地跡の石碑と掲示板がありました。
瀬名氏俊は今川義元の部下で合戦の2日前にここに着陣し、義元の着陣,5月19日(合戦日当日)の昼の休息陣地を構築した。 尚、瀬名氏は合戦の日には先発として大高城に向い合戦には加わっていない。
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 大池東岸の南端に ⑦ 長福寺があります。
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長福寺の由来は下写真の様です。
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織田軍に打ち取られた今川義元の首検証した所だそうで、供養杉と呼ばれる大きな杉の木がありましたが1959年の伊勢湾台風で枯れてしまい今は2代目の杉だそうです。
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長福寺のほぼ対岸、市バスのバス停「桶狭間寺前」に ⑧「戦評の松」がありました。
瀬名氏は今川義元の昼の休息陣地を築いた後、ここの松の下で戦評をし、大高城に向かった。 ここには大きな松があった様ですが、今は若い松が植わっていました。
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 最後に、地図 「⑨ 桶狭間神明社」
 創建時期は不明ですが、桶狭間村は1340年代南朝の落武者が開拓した村であり、その後1600年の検地で免除地となっている事、桶狭間の合戦時「瀬名氏がお酒を供えた」ともあり、1340年から1560年の間であろうと言えます。
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 所で、本記事の3枚目の写真のトンネルの上は? 「愛知用水」の水路でした。
 一番最初の地図の左端に「愛知用水」と書かれているものの地図上では川の様に描かれています。 遠くから来た私の様な者には用水路はなじみがなく地図上では川に見え、まさか川の下を道が通るとは思われず、迷子になった次第。 他にも本案内図を持った方が迷子になっており、何ともわかりにくい地図でした。
愛知用水の解説; https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%94%A8%E6%B0%B4

blogDSCN2471.jpg


 有松の街並みは次回のレポートを予定しています。


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