So-net無料ブログ作成

東海道五十三次,藤川宿から岡崎宿 その2(岡崎宿) [ 東海道五十三次]

 
 1月22~24日にかけて岡崎市内の観光と、岡崎宿から知立宿迄歩いてきました。
 で、今回は、岡崎宿(岡崎市内)をレポートします。


 岡崎宿内の東海道のポイントの一つは「岡崎城下27曲がり」。 前回のレポートはこの27曲がりの江戸側の始点と最初の曲がり角までをレポートしました。
 前回のレポート http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-01-19


 前回の記事では書き損ねましたが、27曲がりの最初のモニュメントの所には下の様な橙色の案内も立っていたのです。
最初の曲がり角のモニュメントの場所は「岡崎げんき館・岡崎市保健所」の南東の角です。
写真の様に、27曲がりの曲がり角は「い,ろ,は,に・・・」をたどって行けばいい様になっていました。

blogDSCN1376.jpg

で、2番目の曲がり角 「ろ」は両町3丁目の交差点
blogDSCN1378.jpg

3番目の曲がり角「は」は両町1丁目と両町2丁目の間の交差点です。
blogDSCN1381.jpg

「は」の交差点で右に曲がり、突き当りがガソリンスタンドの広い通りに出た所が「に」の曲がり角です。 そこから左に曲がり、広い通りをまっすぐに歩いて行くと伝馬町の交差点に出ます。 この交差点の南西角には1782年から続く「備前屋」さんがあります。

備前屋さんの脇には下写真の様な石像に支えられたベンチがあり、少し休ませて頂いた。
blogDSCN1385.jpg

 で、ここには道しるべが立っており、右の様な立札が立っていた。 立札に記されている様に東海道を歩いていると今でも道しるべは非常に重要な案内板で、道しるべを見て「あ~道は合ってた!」と思ったことは何度となくありました。

blogDSCN1387.jpg blogDSCN1388.jpg


 で、この伝馬町の通りの歩道には下写真の様な小さな石像が数多く並んでいた。 石像は20基だそうです。 この通りの2本北の通りは石屋さんが多く、江戸時代やその前に岡崎城や岡崎の街づくりの為に集められた石工さん達が住み着いた(店を開いた)通りです。
blogDSCN1393.jpg blogDSCN1396.jpg


 で、伝馬通り1丁目の交差点が27曲がりの内の「ほ」で、私の資料ではこの交差点の「北東角が映画館で西本陣の跡」とあったが映画館は無くキョロキョロしてしまった。
かろうじて右写真の様に黒い街灯の柱に「映画・・・」とあり、コンビニになっていた。

blogDSCN1519.jpg blogDSCN1520.jpg


 そして、27曲がりに沿って「岡崎信用金庫資料館」の前を通って、更には「籠田総門跡」のモニュメントを通過し、籠田公園前まで来ました。
 岡崎信用金庫資料館は大正6年「岡崎銀行本店」として、外観は赤レンガと花崗岩で建てられています。
blogDSCN1408.jpg


 昨年末はここまで歩き、岡崎公園内の「いちかわ」さんで食事をして帰宅の途に。

 そして今回は籠田公園から再開。
 日曜日とあって市内散策に大勢の方がくり出していました。
blogDSCN1521.jpg


この日の最初の27曲がりは籠田公園の北西の角(上写真の中央モニュメントの後ろ)でしたが、なぜか橙色の「いろはに・・・」のモニュメントが見つかりませんでした。 街道の27曲がりは赤信号の方に入っていきます。
blogDSCN1527.jpg


で、まっすぐ歩き「本町1丁目」交差点を過ぎて右側の路地を入って行き、突き当りを左に曲がります。 更に「材木町1丁目」の交差点を右に曲がり3ブロックほど歩き、更に左に曲がり「材木町3丁目」交差点を通過して、伊賀川迄歩き伊賀川に沿って手前の道を歩いて行きます。

blogDSCN1540.jpg

伊賀川は遊歩道など綺麗に整備されていました。
blogDSCN1542.jpg


 川沿いを歩き最初の橋(岡崎市図書館手前)を右に曲がり橋を渡ります。
橋を渡った所で、一番左の下り階段を下って行き、
blogDSCN1546.jpg

 2本目の路地を入りまっすぐ行くと下写真の 国道1号線の「27曲がり、田町角」に出ます。
blogDSCN1551.jpg


 ここまで来た所で、岡崎城等岡崎公園の観光に向かいました。
 その後、旧東海道歩きは中岡崎駅の高架下に戻り、矢作橋方向に歩きました。

 次回は岡崎公園と食事等をレポートします。

==========================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ, 日本橋から                                     にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ

京都 三条大橋迄,                                                  にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ



nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

東海道五十三次 藤川宿から岡崎宿 その1 [ 東海道五十三次]

 昨年末、御油宿から赤坂宿,藤川宿を経て岡崎宿近くまで歩いてきました。

 今回は、その内の藤川宿から岡崎宿の入り口迄をレポートします。

 前日は藤川宿の本陣を通過した所で、名鉄藤川駅から宿泊地の岡崎に行き宿泊。
翌朝藤川駅に戻り、北側の駅出口から陸橋を渡り、歩き始めました。

blogDSCN1301.jpg

 藤川駅北側ではこんなかわいい「飛脚さん」に競争しようかと挑まれ!
blogDSCN1298.jpg


 歩き始めて5分、前日の藤川宿の本陣跡から約500m,藤川小学校の体育館らしき建物の脇に藤川宿の西の棒鼻(宿場への入口)がありました。 

blogDSCN1303.jpg


そして更に100m位歩くと、左側個人宅の石垣の中に「藤川の一里塚」が生垣にうずもれる様に立っていました。 ここの一里塚は江戸から79番目,316kmです。

blogDSCN1313.jpg


 そして少し行くと東海道から三河湾に向かう「吉良道」の分岐がありました。 写真中央の石碑(電柱脇の四角い石柱)は文化11(1814)年建造の様で、この吉良道は参勤交代や海産物の搬入等東海道の脇道として重要な街道だったようです。
東海道は右の名鉄の踏切を渡り藤川の松並木に向かって行きます。

blogDSCN1317.jpg


吉良道の分技点で見えた名鉄の踏切を超えると藤川の松並木です。 ここの松並木は4・500mも続き御油の松並木と同様立派な物でした。

blogDSCN1321.jpg


 旧東海道の79番目の一里塚から1kmの所で国道1号線に出たました。 国道1号線には東京日本橋から321.6kmと表示されており、江戸時代の旧東海道では317kmの為、現代の東海道とは4.6km約1.5% の違いで誤差の内と言ってもいい位です。

blogDSCN1325.jpg


 国道1号線を1km強歩き竜泉寺川手前で左の路地に入り「美合新町」や「美合町南屋敷」の交差点を通る住宅街の道を1km弱、休息込で15分強、竜泉川の下流を渡りました。
 更に田んぼの中を5分弱歩き「乙川」の川岸に着き、乙川の川岸を少し上流に歩き、国道1号線の橋を渡りました。

 1号線の「大平橋北」交差点の手前の路地を左に入り更に少し行き、「乙川の大岡堤」を見ようと最初の交差点を左に曲がり乙川の川岸に出てみました。 残念ながら立札もなく、人にも会わず、何処が?どれが?「大岡堤」か確認できませんでした。 橋から見ると下写真の矢印あたりの様ですが分かりませんでした。

blogDSCN1332.jpg


 所で、ここ大平周辺から東の乙川・男川はゲンジボタルの生息地だそうです。 国道1号線と県道48号線の交差点の名は「ほたる橋南」となっています。 下写真(上写真の矢印位置付近の岸から対岸を見た)の様に満々と水をたたえた地域ですから、多くの支流・本流で蛍が見られるのかも。 残念ながら真冬の今は見る事が出来ません!
勿論、今では多くの開発等がある為、下の方々の様な保護活動があっての事でしょう。
  http://www.geocities.jp/yomogiu83/yomogiu_034.htm

blogDSCN1335.jpg


 又、この乙川の川岸を歩いていて気になったのが、川岸につながれている馬が数頭いました。 更に少し歩いた所で馬小屋を発見。 と言う事で近隣の方に伺った所、馬好きの方がおられて近隣のお祭り等の時に貸し出しているのだそうです。 馬についての歴史的な由来は無い様ですがのどかでいいですね。

blogDSCN1330.jpg

blogDSCN1336.jpg


 更に、乙川の川岸から街中の道を少し歩き、1号線の「大平町北」の交差点を斜めに横切り、約300mで「岡崎大平郵便局」に出ます。 ここの路地を右側に100m入った所に「西大平藩陣屋跡」があります。
 「西大平藩陣屋跡」は、将軍徳川吉宗のはからいで江戸の名奉行「大岡忠相(ただすけ)」が初代藩主になった藩で、明治に入るまで大岡家が藩主を務めました。 明治の藩制廃止後には藩主を慕う旧藩士や領民が陣屋跡の保存や東京に住まわれていた旧藩主大岡家別邸として復活しました。
西大平藩についてはこちらを https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E8%97%A9

blogDSCN1346.jpg

内部には別邸跡などが保存されています。
blogDSCN1349.jpg


 で、街道沿いの郵便局迄戻り、200m程行くと立派な「大平の1里塚」がありました。

blogDSCN1357.jpg


 更に国道1号線に出て右側を歩き、1里塚から約500mで東名高速道の出入り口に。
出入り口のカードをくぐると景色が一変。 ビルの見える岡崎市の街中に入ってきました。

blogDSCN1366.jpg


 東名の出入り口から7・800mの所で1号線の広い道と分かれて右に入ります。

blogDSCN1367.jpg


 1号線から別れた後3・400m,5分位で 「岡崎宿 27曲がり」の始まり(?)のモニュメントと説明盤のある所に着きました。

blogDSCN1371.jpg


 で、右に曲がって2ブロック先「若宮町2丁目」の交差点が27曲がりの最初の曲がりにあたるのだろうか? モニュメントと説明版がありました。

blogDSCN1373.jpg

blogDSCN1375.jpg


 この先、もう少し先まで歩いたのですが、中途半端になりますので次回岡崎市内の街道を歩いた時に続きをレポートします。

 その、次回は1月22日、岡崎公園の散策を含め岡崎市の籠田公園から歩き始め、2・3日かけて知立宿を目指します。 上半分真っ赤なコートに青のジーパン,黒いリュックで歩きますので気づきましたら気軽にお声がけしていただくとありがたいです。

==========================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ, 日本橋から                                     にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ

京都 三条大橋迄,                                                  にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ


nice!(15)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

東海道五十三次 赤坂宿から藤川宿 その2 [ 東海道五十三次]

昨年末、御油宿から赤坂宿,藤川宿を経て岡崎宿近くまで歩いてきました。

 今回は、その内の赤坂宿から藤川宿の後半(藤川宿)をレポートします。

午前10時半頃名鉄国府駅から歩き始め、藤川宿の棒鼻(宿場の入口)に着いたのは4時近く。
12月後半の4時は夕方、日が暮れないうちにと気持ちだけは足早な気分。


 藤川宿の棒鼻は国道1号線から県道327号が分枝する所にあり、広重の浮世絵の様にしだれ柳が植えられ浮世絵に似せて作ってありました。

blogDSCN1259.jpg

1280px-Hiroshige38_fujikawa[1].jpg


 で、棒鼻から600m10分弱歩くと「立場(役所のおふれ等を掲示した場所)」の看板が。
 はす向かいは人形屋さんです。

blogDSCN1269.jpg


 更に200m程歩くと左側に米屋さんです。
 江戸時代には米穀商だった米屋さん。 建物は江戸時代末期のものだそうです。
その後は薬屋を営んでいたが廃業して長く空き家になっていたそうで整備されたそうです。
整備の様子が下記のブログに書かれていました。
 http://okazakikeikan.boo-log.com/e304386.html

blogDSCN1272.jpg

 藤川宿には他にも素敵な古いお宅が点在しています。
blogDSCN1266.jpg


で、すぐ先の右側には藤川宿本陣跡があります。
blogDSCN1274.jpg

そして数軒先の藤川宿資料館の先の路地を右に曲がって更に約10m先を右に曲がると本陣裏手に出ます。 ここには本陣の当時の石垣が残っています。
blogDSCN1279.jpg


 下写真は藤川宿資料館です。 遅かったので入りませんでした。
blogDSCN1277.jpg


 この日はここまでで、名鉄線の藤川駅から電車で東岡崎駅に行き宿泊しました。
夕飯は岡崎の八丁味噌を使った料理と菜飯をと思いましたが、時間が遅く閉店になっており、東岡崎駅近くの居酒屋で、三河湾でとれる大アサリ等を食べました。

blogDSCN1292.jpg



==========================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ, 日本橋から                                     にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ

京都 三条大橋迄,                                                  にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ



nice!(17)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

東海道五十三次 赤坂宿から藤川宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 昨年末、御油宿から赤坂宿,藤川宿を経て岡崎宿近くまで歩いてきました。

 今回は、その内の赤坂宿から藤川宿の前半をレポートします。

 御油宿から赤坂宿は2Km弱と非常に短かったのに対し、藤川宿迄は約9kmと少し長めでした。

 で、赤坂宿本陣跡で12時。「食堂の様な店はないか」探しながら歩く事30分約2km。
 「1里山庚申道・・」と言う石碑が左側にある所で、移動販売車に出会った。 例の巡回スーパーマーケットの様な物です。
更に先に行っても食堂は期待できず大き目の菓子パンを2個買って、三河湾オレンジロードの下のトンネルをくぐりました。 尚、この石碑がどう言う物かは全く分からなかった。

blogDSCN1200.jpg


 トンネルをくぐって少し行った所の川の河原でパンをかじりかじり30分の大休息。
なんと私の休息した所に一里塚の木碑があった様ですが見逃した。本当にあったのかなァ~?


 で、数分歩くと小学校の塀(石垣かな?)に「長澤城址」の立札が立っていました。
 (写真に写っている方々も私と同じ様に神奈川県から来られた方々で、昨年初めに日本橋から月2回を目途に歩いているのだそうです。)

 長澤城は応仁の乱の頃に(1467-1477年)西三河岩津城の松平信光が東三河に勢力を伸ばそうと夜襲で長澤城を奪い、城を子の親則に与え、親則が長澤松平の祖となった。 その後5代目親広まで続き、永禄3年松平元康に仕えて桶狭間で戦いその子政忠と共に戦死。 6代目は孫の康忠が継ぎ、7代目康直の時に小田原の陣で家康に仕え手柄を上げ武蔵国の深谷城1万石を領した。 しかし大坂夏の陣の時に家康の子松平忠輝が当主だったものの、家康に反抗し出陣を遅らせた事でお家断絶となり長澤松平家は滅びた。

blogDSCN1205.jpg


 長沢小学校から約700m,10分ほど歩くと街道右側の材木屋さんの前に古い常夜灯がありました。 寛政10年(1798年)建造だそうです。
blogDSCN1207.jpg blogDSCN1209.jpg


 更に500m,10分弱歩くと 磯丸「みほとけ」の歌碑 と言うのがあり、その先にはほこらと常夜灯も立っていました。
 ネット検索した所、歌碑は弘化3年(1846年)観音堂の尼・妙香尼が、落馬死した旅人の念仏供養のため糟谷磯丸 に歌を依頼して建てたとの事。

blogDSCN1213.jpg blogDSCN1215.jpg


 上のほこらと常夜灯のある交差点から5分程旧街道を歩き国道1号線に出て、てくてくと1.5km,約20分、緩やかな登り坂を上っていきます。

 ッと 岡崎市の看板が!
 そして「元宿(もとじゅく)町深田」と言う交差点には「自然と歴史のはぐくむ町 本宿」と書かれた石碑等があり、更に少し行くと門の様なモニュメントも。

blogDSCN1220.jpg

blogDSCN1225.jpg

 岡崎市に入って1号線の側道を約500m歩き、旧街道は左側の道に入って行きます。
この曲がり角にもモニュメントが。
blogDSCN1229.jpg


 国道1号線から曲がって約150m。 法蔵寺がありました。
法蔵寺は徳川家康が幼少の頃 学問・手習いに励んだ寺と言われており、街道から法蔵寺に入る曲がり角に「御草紙掛松(おんそうしかけまつ)」と言う松の木がありました。

 今の松は平成18年年に植えられた4代目で、周囲の石垣は文化12年(1815)旗本木造清左衛門俊往の寄贈との事。 初代は家康お手植えだそうで家康が手習いのおり草紙を掛けた事から「御草紙掛松」の名がついたのだそうです。

blogDSCN1243.jpg

参道からの法蔵寺
blogDSCN1231.jpg

そして奥には六角堂や東照宮等が。
blogDSCN1239.jpg


法蔵寺はまた近藤勇の首塚や家康の妹矢田姫のお墓などがあります。
詳細は下記ページを参照願います。
 http://www.geocities.jp/tonokoba/houzouji.htm
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%94%B5%E5%AF%BA_(%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%B8%82)


 で、少し行くと富田病院への入り口の左曲がり角に「本宿陣屋跡と代官屋敷」との立札があり、探しに入ってみましたが確認出来ませんでした。
しかし帰宅後ネット検索してみるとなんと病院脇の駐車場の古い建物がそうだった様です。


 更に法蔵寺からで約600m行くと本宿の一里塚がありました。
日本橋から78番目、312kmです。

blogDSCN1248.jpg


 法蔵寺から約1kmの所に古そうな長屋門があり、向って左側のこげ茶色の「宇都野龍碩邸跡と長屋門(現存)」と言う立札によると、宝暦年間(1751年~)に病院を開業、当医院は安政年間(1855~)に当時としては画期的な植疱瘡(種痘,天然痘)お行ったとの事。
blogDSCN1250.jpg blogDSCN1251.jpg


 上の「宇都野龍碩邸跡」から数分歩き国道1号線の「本宿町沢渡」交差点に出て1号線とその近くのわき道を歩く事3km弱 休息を入れて約50分「藤川宿の棒鼻」出ました。

1号線の途中では名鉄名古屋本線と並行して歩く事もあり、
blogDSCN1255.jpg

やっとの事「藤川宿の棒鼻」に。 既に午後4時、急がないと日が暮れてしまいそう。
blogDSCN1259.jpg


長くなりますので、藤川宿は次回レポートします。
 
==========================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ, 日本橋から                                     にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ

京都 三条大橋迄,                                                  にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ



nice!(14)  コメント(2) 
共通テーマ:自動車

東海道五十三次 御油宿から赤坂宿 [ 東海道五十三次]

 
 昨年12月東海道五十三次の内御油宿から岡崎宿の手前まで歩き、昨年末に御油宿までをレポートしました。
今回は御油宿から赤坂宿までをレポートします。


 御油宿から赤坂宿は2.0km弱。 東海道五十三次の中では最も短い距離です。

 前々回の記事で御油宿の松並木資料館を紹介しましたが、その松並木は御油宿本陣跡から400m程歩いた所から始まります。

blogDSCN1155.jpg

松並木は約600m続きます。
blogDSCN1160.jpg


 松並木が終わり小さい橋を渡るとすぐに右側に「赤坂宿東見附跡」の立札がありました。
説明にとると、当初東の見附はこの付近の両側にあった様ですが、寛政8年(1796年)代官辻甚太郎によってもう少し行った関川神社の前に移され、明治7年取り壊されたとの事。

blogDSCN1164.jpg


 赤坂の東見附から約500m。 左側に赤坂の本陣がありました。
赤坂の本陣は4軒有ったそうで、下写真の位置は松平彦十郎家跡です。

blogDSCN1168.jpg

本陣のはす向かいには、赤坂宿の立場の掲示板の掲示や休息所がありました。

blogDSCN1169.jpg


そして、名電赤坂駅に向かう路地を挟んで「尾崎屋」さんがありました。

blogDSCN1176.jpg


 2・30m歩くと左側奥に「浄泉寺」があります。
このお寺さんには歌川広重の赤坂宿の浮世絵「旅舎招婦図」に描かれている蘇鉄が植えられています。 明治20年頃道路拡張により旅籠からこの寺に移植されたそうです。

浄泉寺
blogDSCN1179.jpg

浄泉寺境内の蘇鉄
blogDSCN1182.jpg

広重の赤坂宿の浮世絵
Akasaka.jpg


 更に街道を2・30m歩くと左側に一昨年3月迄営業していた旅籠の「大橋屋」さんです。
大橋屋さんは1649年創業、写真の建物は1705年に建てられたものだそうです。
大橋屋さんのページが今も残っていました  http://aichi.j47.jp/ohashiya/

blogDSCN1186.jpg


 で、赤坂宿最後は赤坂宿の休息所「よらまいかん」です。
この建物は三河産の木材で作られており、第7回木の使い方コンテスト入選だそうで素敵な木材の建物でした。
blogDSCN1196.jpg


==========================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ, 日本橋から                                     にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ

京都 三条大橋迄,                                                  にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ


nice!(23)  コメント(4) 
共通テーマ:旅行

新年の御挨拶 と  なんてん [日記]

  明けまして
    
    おめでとうございます。

  旧年中はつたない記事をお読み頂き本当に有難うございます。

  今年もより一層いい記事を目指して頑張りますので
    ご支援のほどをよろしくお願いいたします。


 新年最初の記事ですので、縁起物の情報を一つ。
 
 昨年はなんてん(南天)の実が良く付き、年を越した。

 南天はその読み方から「難転」とあてはめ「難を転じて福となす」と言われる縁起のいい植物です。 我が家では鬼門と言われる北東に玄関がある為、玄関わきに南天を植えて少しでも方角の悪さを和らげ様と兄が植えてくれました。

DSCN1490-1.jpg

 また、重箱の赤飯に南天の葉を乗せたものを見た事はありませんか?
この習慣は江戸時代後期からお祝いごとなどに行われていたようです。
この南天の葉には「ナンニジン」と言う成分が含まれており、赤飯の熱と水分により「チアン水素」を発生させるとの事。 このチアン水素が赤飯の腐敗を抑える作用があるのだそうです。

 江戸時代に「ナンニジン」だとかを分析できたとは思えず、先人たちが経験値的に「赤飯が腐りにくい」として南天の葉を乗せる様になったのでしょう。
とは言え、先人達の知恵がつまったいい習慣ですので、ぜひ後世に繋げて行きたいものです。


 南天についてのウイキペディアの解説は下記のようです。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3


 読者の皆さんにおかれましては、良い1年であります様に!

  万一好まざる事が起きましたら南天の御利益があります様に!


==========================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ, 日本橋から                                     にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ

京都 三条大橋迄,                                                  にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ



nice!(13)  コメント(3) 
共通テーマ:日記・雑感