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東海道五十三次, 岡崎宿から知立宿 その2 [ 東海道五十三次]

 1月22日に岡崎宿等を観光した後旧東海道を歩き、23日に知立宿に入りました。

 知立の松並木から国道1号線を斜めに横切ると知立市の街並みになります。

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 で、上の交差点から約500m入った所が前回レポートの慈眼寺です。

 旧街道を歩き、名鉄三河線の踏切を超え、1号線の交差点から1km強で「中町」と言う変則の6差路に到着します。
で、下写真の矢印方向に入るのが旧東海道です。
尚、本陣は矢印の左側の道を「中町」交差点から200m位行き、ウナギの今川屋さんの手前右奥に石碑が立っています。

6差路
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今川屋さんの所、矢印が本陣の石碑
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 戻って、中町の交差点から旧街道を100m弱、食品館前の駐車場の道路際に問屋場跡の石碑がありました。

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 更に中町の交差点から350mで、T字路の突き当りを右に曲がると「知立城址」の公園がありました。 知立城については右記を http://www.hb.pei.jp/shiro/mikawa/chiryu-jyo/
(このT字路の手前約50mの所に下記の山車の保管庫「蔵」があります。)

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 突き当りの「了運寺」の前を左に曲がり、155号線の地下歩道を抜けたら更にまっすぐ行くのが旧東海道の街道です。
 で、今回は右に曲がり200m、知立神社に立ち寄ります。
知立神社のホームページ http://chiryu-jinja.com/

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知立神社の本殿。
江戸時代天保2年(1831年)に再建された桧皮葺の立派な神殿です。
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多宝塔
室町時代後期の永正6年(1509年)の再建とされています。塔の高さは約14.5メートル、屋根は柿葺(こけらぶき;屋根に木材の薄板を敷く方法)だそうです。
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 知立神社境内で行われる山車の舞台の人形劇「山車文楽」がユネスコの世界遺産に登録されているのだそうです。 詳細は http://blog.chiryu-jinja.com/
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 知立神社の近くの山車の保管庫 「蔵」
「蔵」は旧街道沿いで中町交差点から300mの所です。
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「蔵」のシャッターに貼られていた写真。 一番下の人形劇が世界遺産かな?
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「蔵」の近くの掲示板に貼られていた写真
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 山車の出る知立祭りは5月2・3日ごろの様で、ぜひ見て見たい。
2016年の実績 http://www.chiryu-kanko.com/detail.html?id=52


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東海道五十三次,岡崎宿から知立宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 1月22~24日で岡崎宿から知立宿までを歩いてきました。

 と言っても1日目は岡崎で費やしてしまいましたので、23日がメインの東海道歩きでした。


 八丁味噌の「カク久」さんで食事後、国道1号線の矢作橋を渡り、矢作川の対岸から広重の絵の様に岡崎城の写真を撮ろうとしましたが、お城が小さく、望遠を利かすと今度は橋が大きくなりすぎ、下写真であきらめました。

 八丁味噌カク久さんの蔵
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 矢印下が岡崎城
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 で、橋のたもとの地下通路の様な道路をとおり、橋の反対側(上流側)の「日吉丸と蜂須賀小六の出会いの像」を見に行きました。 この橋のたもとで2人が出会ったと伝えられています。

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 出会いの像から少し行き、左に曲がると勝蓮寺です。 勝蓮寺は、家康の長男、信康と関係の深かったお寺さんの様で、信康の肖像画も保管されているとの事です。

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 勝蓮寺から約600m歩くと誓願寺の十王堂があった。
 建物の前には石碑に「浄瑠璃姫菩提所」と書かれている。 立札によると、寿永3年(1138年)3月、矢作の里の兼高(かねたか)長者の娘浄瑠璃姫が源義経を慕うあまり、菅生(すごう)川に身を投じたので、長者はその遺体を当寺に埋葬し、十王堂を再建して義経と浄瑠璃姫の木造(木像の事か?)を作り、義経が姫に贈った名笛薄墨と姫の鏡を安置した との事だそうです。

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十王堂内部には素晴らしい迫力満点の絵が描かれていました。
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 旧道を歩いてきたが安城街道入口の交差点で国道一号線に入り、勝蓮寺前から約2.5kmで安城市に入りました。 安城市に入ってすぐ国道1号線から旧道に入ります。

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 で、更に歩き安城市に入って約1kmで熊野神社に到着。 熊野神社の西隅に尾崎の一里塚があります。

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 少し休息をしながら更に1km程進むと「永安寺」があり、街道から見える位置に「雲竜の松」があった。 この松は幹が1m位の所から地を這うように伸びており、「雲を得て天に昇ろうとする竜」の様な事からその名前がついた様です。
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 雲竜の松の永安寺から数100メートルの県道76号線との交差点に明治川神社がありました。
この神社は明治時代にこの地区に大規模な灌漑用水を引いたことからこの用水の守り神として神社を建設したようです。
街道沿い、交差点の所の山門
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神社境内
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 明治川神社から3.5km小一時間で89番目の一里塚「来迎寺の一里塚」に到着しました。
この一里塚は南北(左右?)が正規の形で残っていますが、北側の一里塚は公民館に隠れ街道からは見にくい位置にあります。

北側奥から左右の2つの一里塚を撮影してみました。
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振り返る形で撮影してみました。 左右の塚の距離が広く、昔の東海道もけっこう広い通りだった事がうかがえます。
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 一里塚から約1kmの所に「衣浦豊田道路との交差点」があり、横断歩道橋を渡ると知立宿の松並木となります。 「衣浦豊田道路との交差点」から国道一号線との交差点までの約500mの間に松並木があり、木立の間の所々に池鯉鮒をイメージしたモニュメントが設置されていました。
 
 歩道橋から見た松並木で、黄緑矢印の所には「旧東海道三十九番目之宿 池鯉鮒」とあった。
 非常に変わった地名で、古代からこの地は「知立」「智立」と言われていた様で、その後鎌倉時代には「智鯉鮒」と書かれ、江戸時代には「池鯉鮒」が一般的だったそうです。

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松並木のモニュメント
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 松並木の最後は馬市の記念碑です。
 池鯉鮒の馬市は広重の浮世絵にも「首夏馬市」と題して描かれています。
池鯉鮒宿は木綿の集散地で馬が運搬に使われた関係から馬市が栄えたといわれています。
馬市は毎年4月25日から始まり5月の5日に終わったそうです。 宿駅の東の野(松並木付近)には4・500頭の馬がつながれ、馬の値を決める所を「談合松」と言ったそうです。 明治期に入ってからは慈眼寺境内に移り、昭和の初期には馬が牛に変わったものの継続され昭和18年を最後にその歴史が閉じられました。

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慈眼寺です。 松並木の終点の国道一号線を渡って約500m歩き、右に曲がって「山町」の交差点の所にあります。
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長くなりましたので、池鯉鮒宿(知立宿)と知立神社は次回にします。

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東海道五十三次,藤川宿から岡崎宿 その2(岡崎宿) [ 東海道五十三次]

 
 1月22~24日にかけて岡崎市内の観光と、岡崎宿から知立宿迄歩いてきました。
 で、今回は、岡崎宿(岡崎市内)をレポートします。


 岡崎宿内の東海道のポイントの一つは「岡崎城下27曲がり」。 前回のレポートはこの27曲がりの江戸側の始点と最初の曲がり角までをレポートしました。
 前回のレポート http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-01-19


 前回の記事では書き損ねましたが、27曲がりの最初のモニュメントの所には下の様な橙色の案内も立っていたのです。
最初の曲がり角のモニュメントの場所は「岡崎げんき館・岡崎市保健所」の南東の角です。
写真の様に、27曲がりの曲がり角は「い,ろ,は,に・・・」をたどって行けばいい様になっていました。

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で、2番目の曲がり角 「ろ」は両町3丁目の交差点
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3番目の曲がり角「は」は両町1丁目と両町2丁目の間の交差点です。
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「は」の交差点で右に曲がり、突き当りがガソリンスタンドの広い通りに出た所が「に」の曲がり角です。 そこから左に曲がり、広い通りをまっすぐに歩いて行くと伝馬町の交差点に出ます。 この交差点の南西角には1782年から続く「備前屋」さんがあります。

備前屋さんの脇には下写真の様な石像に支えられたベンチがあり、少し休ませて頂いた。
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 で、ここには道しるべが立っており、右の様な立札が立っていた。 立札に記されている様に東海道を歩いていると今でも道しるべは非常に重要な案内板で、道しるべを見て「あ~道は合ってた!」と思ったことは何度となくありました。

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 で、この伝馬町の通りの歩道には下写真の様な小さな石像が数多く並んでいた。 石像は20基だそうです。 この通りの2本北の通りは石屋さんが多く、江戸時代やその前に岡崎城や岡崎の街づくりの為に集められた石工さん達が住み着いた(店を開いた)通りです。
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 で、伝馬通り1丁目の交差点が27曲がりの内の「ほ」で、私の資料ではこの交差点の「北東角が映画館で西本陣の跡」とあったが映画館は無くキョロキョロしてしまった。
かろうじて右写真の様に黒い街灯の柱に「映画・・・」とあり、コンビニになっていた。

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 そして、27曲がりに沿って「岡崎信用金庫資料館」の前を通って、更には「籠田総門跡」のモニュメントを通過し、籠田公園前まで来ました。
 岡崎信用金庫資料館は大正6年「岡崎銀行本店」として、外観は赤レンガと花崗岩で建てられています。
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 昨年末はここまで歩き、岡崎公園内の「いちかわ」さんで食事をして帰宅の途に。

 そして今回は籠田公園から再開。
 日曜日とあって市内散策に大勢の方がくり出していました。
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この日の最初の27曲がりは籠田公園の北西の角(上写真の中央モニュメントの後ろ)でしたが、なぜか橙色の「いろはに・・・」のモニュメントが見つかりませんでした。 街道の27曲がりは赤信号の方に入っていきます。
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で、まっすぐ歩き「本町1丁目」交差点を過ぎて右側の路地を入って行き、突き当りを左に曲がります。 更に「材木町1丁目」の交差点を右に曲がり3ブロックほど歩き、更に左に曲がり「材木町3丁目」交差点を通過して、伊賀川迄歩き伊賀川に沿って手前の道を歩いて行きます。

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伊賀川は遊歩道など綺麗に整備されていました。
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 川沿いを歩き最初の橋(岡崎市図書館手前)を右に曲がり橋を渡ります。
橋を渡った所で、一番左の下り階段を下って行き、
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 2本目の路地を入りまっすぐ行くと下写真の 国道1号線の「27曲がり、田町角」に出ます。
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 ここまで来た所で、岡崎城等岡崎公園の観光に向かいました。
 その後、旧東海道歩きは中岡崎駅の高架下に戻り、矢作橋方向に歩きました。

 次回は岡崎公園と食事等をレポートします。

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東海道五十三次 藤川宿から岡崎宿 その1 [ 東海道五十三次]

 昨年末、御油宿から赤坂宿,藤川宿を経て岡崎宿近くまで歩いてきました。

 今回は、その内の藤川宿から岡崎宿の入り口迄をレポートします。

 前日は藤川宿の本陣を通過した所で、名鉄藤川駅から宿泊地の岡崎に行き宿泊。
翌朝藤川駅に戻り、北側の駅出口から陸橋を渡り、歩き始めました。

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 藤川駅北側ではこんなかわいい「飛脚さん」に競争しようかと挑まれ!
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 歩き始めて5分、前日の藤川宿の本陣跡から約500m,藤川小学校の体育館らしき建物の脇に藤川宿の西の棒鼻(宿場への入口)がありました。 

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そして更に100m位歩くと、左側個人宅の石垣の中に「藤川の一里塚」が生垣にうずもれる様に立っていました。 ここの一里塚は江戸から79番目,316kmです。

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 そして少し行くと東海道から三河湾に向かう「吉良道」の分岐がありました。 写真中央の石碑(電柱脇の四角い石柱)は文化11(1814)年建造の様で、この吉良道は参勤交代や海産物の搬入等東海道の脇道として重要な街道だったようです。
東海道は右の名鉄の踏切を渡り藤川の松並木に向かって行きます。

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吉良道の分技点で見えた名鉄の踏切を超えると藤川の松並木です。 ここの松並木は4・500mも続き御油の松並木と同様立派な物でした。

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 旧東海道の79番目の一里塚から1kmの所で国道1号線に出たました。 国道1号線には東京日本橋から321.6kmと表示されており、江戸時代の旧東海道では317kmの為、現代の東海道とは4.6km約1.5% の違いで誤差の内と言ってもいい位です。

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 国道1号線を1km強歩き竜泉寺川手前で左の路地に入り「美合新町」や「美合町南屋敷」の交差点を通る住宅街の道を1km弱、休息込で15分強、竜泉川の下流を渡りました。
 更に田んぼの中を5分弱歩き「乙川」の川岸に着き、乙川の川岸を少し上流に歩き、国道1号線の橋を渡りました。

 1号線の「大平橋北」交差点の手前の路地を左に入り更に少し行き、「乙川の大岡堤」を見ようと最初の交差点を左に曲がり乙川の川岸に出てみました。 残念ながら立札もなく、人にも会わず、何処が?どれが?「大岡堤」か確認できませんでした。 橋から見ると下写真の矢印あたりの様ですが分かりませんでした。

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 所で、ここ大平周辺から東の乙川・男川はゲンジボタルの生息地だそうです。 国道1号線と県道48号線の交差点の名は「ほたる橋南」となっています。 下写真(上写真の矢印位置付近の岸から対岸を見た)の様に満々と水をたたえた地域ですから、多くの支流・本流で蛍が見られるのかも。 残念ながら真冬の今は見る事が出来ません!
勿論、今では多くの開発等がある為、下の方々の様な保護活動があっての事でしょう。
  http://www.geocities.jp/yomogiu83/yomogiu_034.htm

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 又、この乙川の川岸を歩いていて気になったのが、川岸につながれている馬が数頭いました。 更に少し歩いた所で馬小屋を発見。 と言う事で近隣の方に伺った所、馬好きの方がおられて近隣のお祭り等の時に貸し出しているのだそうです。 馬についての歴史的な由来は無い様ですがのどかでいいですね。

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 更に、乙川の川岸から街中の道を少し歩き、1号線の「大平町北」の交差点を斜めに横切り、約300mで「岡崎大平郵便局」に出ます。 ここの路地を右側に100m入った所に「西大平藩陣屋跡」があります。
 「西大平藩陣屋跡」は、将軍徳川吉宗のはからいで江戸の名奉行「大岡忠相(ただすけ)」が初代藩主になった藩で、明治に入るまで大岡家が藩主を務めました。 明治の藩制廃止後には藩主を慕う旧藩士や領民が陣屋跡の保存や東京に住まわれていた旧藩主大岡家別邸として復活しました。
西大平藩についてはこちらを https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%A4%A7%E5%B9%B3%E8%97%A9

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内部には別邸跡などが保存されています。
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 で、街道沿いの郵便局迄戻り、200m程行くと立派な「大平の1里塚」がありました。

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 更に国道1号線に出て右側を歩き、1里塚から約500mで東名高速道の出入り口に。
出入り口のカードをくぐると景色が一変。 ビルの見える岡崎市の街中に入ってきました。

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 東名の出入り口から7・800mの所で1号線の広い道と分かれて右に入ります。

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 1号線から別れた後3・400m,5分位で 「岡崎宿 27曲がり」の始まり(?)のモニュメントと説明盤のある所に着きました。

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 で、右に曲がって2ブロック先「若宮町2丁目」の交差点が27曲がりの最初の曲がりにあたるのだろうか? モニュメントと説明版がありました。

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 この先、もう少し先まで歩いたのですが、中途半端になりますので次回岡崎市内の街道を歩いた時に続きをレポートします。

 その、次回は1月22日、岡崎公園の散策を含め岡崎市の籠田公園から歩き始め、2・3日かけて知立宿を目指します。 上半分真っ赤なコートに青のジーパン,黒いリュックで歩きますので気づきましたら気軽にお声がけしていただくとありがたいです。

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東海道五十三次 赤坂宿から藤川宿 その2 [ 東海道五十三次]

昨年末、御油宿から赤坂宿,藤川宿を経て岡崎宿近くまで歩いてきました。

 今回は、その内の赤坂宿から藤川宿の後半(藤川宿)をレポートします。

午前10時半頃名鉄国府駅から歩き始め、藤川宿の棒鼻(宿場の入口)に着いたのは4時近く。
12月後半の4時は夕方、日が暮れないうちにと気持ちだけは足早な気分。


 藤川宿の棒鼻は国道1号線から県道327号が分枝する所にあり、広重の浮世絵の様にしだれ柳が植えられ浮世絵に似せて作ってありました。

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 で、棒鼻から600m10分弱歩くと「立場(役所のおふれ等を掲示した場所)」の看板が。
 はす向かいは人形屋さんです。

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 更に200m程歩くと左側に米屋さんです。
 江戸時代には米穀商だった米屋さん。 建物は江戸時代末期のものだそうです。
その後は薬屋を営んでいたが廃業して長く空き家になっていたそうで整備されたそうです。
整備の様子が下記のブログに書かれていました。
 http://okazakikeikan.boo-log.com/e304386.html

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 藤川宿には他にも素敵な古いお宅が点在しています。
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で、すぐ先の右側には藤川宿本陣跡があります。
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そして数軒先の藤川宿資料館の先の路地を右に曲がって更に約10m先を右に曲がると本陣裏手に出ます。 ここには本陣の当時の石垣が残っています。
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 下写真は藤川宿資料館です。 遅かったので入りませんでした。
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 この日はここまでで、名鉄線の藤川駅から電車で東岡崎駅に行き宿泊しました。
夕飯は岡崎の八丁味噌を使った料理と菜飯をと思いましたが、時間が遅く閉店になっており、東岡崎駅近くの居酒屋で、三河湾でとれる大アサリ等を食べました。

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東海道五十三次 赤坂宿から藤川宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 昨年末、御油宿から赤坂宿,藤川宿を経て岡崎宿近くまで歩いてきました。

 今回は、その内の赤坂宿から藤川宿の前半をレポートします。

 御油宿から赤坂宿は2Km弱と非常に短かったのに対し、藤川宿迄は約9kmと少し長めでした。

 で、赤坂宿本陣跡で12時。「食堂の様な店はないか」探しながら歩く事30分約2km。
 「1里山庚申道・・」と言う石碑が左側にある所で、移動販売車に出会った。 例の巡回スーパーマーケットの様な物です。
更に先に行っても食堂は期待できず大き目の菓子パンを2個買って、三河湾オレンジロードの下のトンネルをくぐりました。 尚、この石碑がどう言う物かは全く分からなかった。

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 トンネルをくぐって少し行った所の川の河原でパンをかじりかじり30分の大休息。
なんと私の休息した所に一里塚の木碑があった様ですが見逃した。本当にあったのかなァ~?


 で、数分歩くと小学校の塀(石垣かな?)に「長澤城址」の立札が立っていました。
 (写真に写っている方々も私と同じ様に神奈川県から来られた方々で、昨年初めに日本橋から月2回を目途に歩いているのだそうです。)

 長澤城は応仁の乱の頃に(1467-1477年)西三河岩津城の松平信光が東三河に勢力を伸ばそうと夜襲で長澤城を奪い、城を子の親則に与え、親則が長澤松平の祖となった。 その後5代目親広まで続き、永禄3年松平元康に仕えて桶狭間で戦いその子政忠と共に戦死。 6代目は孫の康忠が継ぎ、7代目康直の時に小田原の陣で家康に仕え手柄を上げ武蔵国の深谷城1万石を領した。 しかし大坂夏の陣の時に家康の子松平忠輝が当主だったものの、家康に反抗し出陣を遅らせた事でお家断絶となり長澤松平家は滅びた。

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 長沢小学校から約700m,10分ほど歩くと街道右側の材木屋さんの前に古い常夜灯がありました。 寛政10年(1798年)建造だそうです。
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 更に500m,10分弱歩くと 磯丸「みほとけ」の歌碑 と言うのがあり、その先にはほこらと常夜灯も立っていました。
 ネット検索した所、歌碑は弘化3年(1846年)観音堂の尼・妙香尼が、落馬死した旅人の念仏供養のため糟谷磯丸 に歌を依頼して建てたとの事。

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 上のほこらと常夜灯のある交差点から5分程旧街道を歩き国道1号線に出て、てくてくと1.5km,約20分、緩やかな登り坂を上っていきます。

 ッと 岡崎市の看板が!
 そして「元宿(もとじゅく)町深田」と言う交差点には「自然と歴史のはぐくむ町 本宿」と書かれた石碑等があり、更に少し行くと門の様なモニュメントも。

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 岡崎市に入って1号線の側道を約500m歩き、旧街道は左側の道に入って行きます。
この曲がり角にもモニュメントが。
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 国道1号線から曲がって約150m。 法蔵寺がありました。
法蔵寺は徳川家康が幼少の頃 学問・手習いに励んだ寺と言われており、街道から法蔵寺に入る曲がり角に「御草紙掛松(おんそうしかけまつ)」と言う松の木がありました。

 今の松は平成18年年に植えられた4代目で、周囲の石垣は文化12年(1815)旗本木造清左衛門俊往の寄贈との事。 初代は家康お手植えだそうで家康が手習いのおり草紙を掛けた事から「御草紙掛松」の名がついたのだそうです。

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参道からの法蔵寺
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そして奥には六角堂や東照宮等が。
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法蔵寺はまた近藤勇の首塚や家康の妹矢田姫のお墓などがあります。
詳細は下記ページを参照願います。
 http://www.geocities.jp/tonokoba/houzouji.htm
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%94%B5%E5%AF%BA_(%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%B8%82)


 で、少し行くと富田病院への入り口の左曲がり角に「本宿陣屋跡と代官屋敷」との立札があり、探しに入ってみましたが確認出来ませんでした。
しかし帰宅後ネット検索してみるとなんと病院脇の駐車場の古い建物がそうだった様です。


 更に法蔵寺からで約600m行くと本宿の一里塚がありました。
日本橋から78番目、312kmです。

blogDSCN1248.jpg


 法蔵寺から約1kmの所に古そうな長屋門があり、向って左側のこげ茶色の「宇都野龍碩邸跡と長屋門(現存)」と言う立札によると、宝暦年間(1751年~)に病院を開業、当医院は安政年間(1855~)に当時としては画期的な植疱瘡(種痘,天然痘)お行ったとの事。
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 上の「宇都野龍碩邸跡」から数分歩き国道1号線の「本宿町沢渡」交差点に出て1号線とその近くのわき道を歩く事3km弱 休息を入れて約50分「藤川宿の棒鼻」出ました。

1号線の途中では名鉄名古屋本線と並行して歩く事もあり、
blogDSCN1255.jpg

やっとの事「藤川宿の棒鼻」に。 既に午後4時、急がないと日が暮れてしまいそう。
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長くなりますので、藤川宿は次回レポートします。
 
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東海道五十三次 御油宿から赤坂宿 [ 東海道五十三次]

 
 昨年12月東海道五十三次の内御油宿から岡崎宿の手前まで歩き、昨年末に御油宿までをレポートしました。
今回は御油宿から赤坂宿までをレポートします。


 御油宿から赤坂宿は2.0km弱。 東海道五十三次の中では最も短い距離です。

 前々回の記事で御油宿の松並木資料館を紹介しましたが、その松並木は御油宿本陣跡から400m程歩いた所から始まります。

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松並木は約600m続きます。
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 松並木が終わり小さい橋を渡るとすぐに右側に「赤坂宿東見附跡」の立札がありました。
説明にとると、当初東の見附はこの付近の両側にあった様ですが、寛政8年(1796年)代官辻甚太郎によってもう少し行った関川神社の前に移され、明治7年取り壊されたとの事。

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 赤坂の東見附から約500m。 左側に赤坂の本陣がありました。
赤坂の本陣は4軒有ったそうで、下写真の位置は松平彦十郎家跡です。

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本陣のはす向かいには、赤坂宿の立場の掲示板の掲示や休息所がありました。

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そして、名電赤坂駅に向かう路地を挟んで「尾崎屋」さんがありました。

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 2・30m歩くと左側奥に「浄泉寺」があります。
このお寺さんには歌川広重の赤坂宿の浮世絵「旅舎招婦図」に描かれている蘇鉄が植えられています。 明治20年頃道路拡張により旅籠からこの寺に移植されたそうです。

浄泉寺
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浄泉寺境内の蘇鉄
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広重の赤坂宿の浮世絵
Akasaka.jpg


 更に街道を2・30m歩くと左側に一昨年3月迄営業していた旅籠の「大橋屋」さんです。
大橋屋さんは1649年創業、写真の建物は1705年に建てられたものだそうです。
大橋屋さんのページが今も残っていました  http://aichi.j47.jp/ohashiya/

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 で、赤坂宿最後は赤坂宿の休息所「よらまいかん」です。
この建物は三河産の木材で作られており、第7回木の使い方コンテスト入選だそうで素敵な木材の建物でした。
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東海道五十三次 吉田宿から御油宿 その2 [ 東海道五十三次]

 
 10月に吉田宿から国府(こう)迄を歩き、前回の記事に"その1"として書きました。
で、12月半ば、国府から御油まで歩きましたのでレポートします。

 ほぼ2ヶ月ぶりに新幹線の豊橋駅から名鉄名古屋本線に乗り替え国府迄行き、前回の終点、県道374号線 新栄2丁目交差点に戻りました。

 10月黄色い矢印の方から来て、12月は緑矢印の方向に歩いて行きました。
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 新栄2丁目の交差点から2・300m歩くと大社神社がありました。
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 ここの神社にはサンリオの「キティちゃん等」のお守りがあります。
何とか入手しようと、神社に来られていた方に伺ったのですが「社務所に聞いて」との事。 社務所にはだれもおられなく、近所の方に伺い神主さんのお宅にお伺いするもお留守で、あきらめて先に進む事に。
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 100mも行かないうちに右側の「がましん」と書かれた大きな看板の下に「御油の一里塚」がりました。 
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 更にまっすぐに200m程行くと県道368号線との交差点に「三州御油宿 これより姫街道 遠州見附宿まで」との綺麗な立札がありました。
姫街道は緑矢印の方向に約60km、静岡県磐田市の見附宿迄続きます。
姫街道についてのウィキペディアの解説は下記
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E8%A1%97%E9%81%93_(%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93)

blogDSCN1128.jpg

尚、2015年12月23日時点の 見附宿場通りと県道44号線の交差点
 「静岡県磐田市 見附宿の姫街道入口(出口)立札」(緑矢印)
 青矢印の先が見附宿の姫街道の立札で、緑矢印の方向に行くと60km先が御油宿
blogDSCN8322-41.jpg


 更にまっすぐ「姫街道の始まりの交差点」から600m程歩くと、下の様な立札のある小さな交差点に出ました。 
 立札にあるベルツさんはドイツ人の医師で、ウィキペディアに経歴や人となりが書かれていますが、ベルツさんの考えは現代にも通じる事が多くある様です。
ベルツさんについてのウィキペディアの説明
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%84


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この交差点のはす向かいが高札場でした。
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で、この交差点を右に曲がるとすぐに右側に問屋場跡で、写真左端の緑の矢印がその説明の立札です。
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問屋場の通りの突き当りの右奥には「御油の松並木記念館」がありました。
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松並木記念館内にあった「御油宿の模型)」です。 昔は小さな町だったんですね。
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 旧街道に戻り、右前を見ると大きな工場の様な会社がありました。 そこが醤油等の食品を販売している「イチビキ」さんで、その向かい、街道の左側が「御油宿本陣跡」でした。
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 足掛け3ヶ月かけて吉田宿から御油宿でした。
今は、広重の浮世絵の様に街道で客引きを行う女性もなく、御油は静かなごく普通の街でした。

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 御油から赤坂宿、又、赤坂宿から藤川宿のレポートは来年になります。


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東海道五十三次 吉田宿から御油宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 先日、愛知県豊川市から岡崎市にかけての東海道五十三次を歩いてきました。

 で、10月13・14日に歩いた分と合わせてレポートしようと思います。
この間のハイライトは何といっても「豊川稲荷をお参りした直後に、人生初の野生の狐とのご対面」だったと思います。
  野生の狐の記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-11-07
  豊川稲荷の記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-11-02-1


 とは言っても今回は、豊橋市の吉田宿から豊川市の御油宿迄の道中記を2回に分けてレポートします。

 豊橋市は以前は吉田と言われており、豊川に架かる豊橋(この橋も以前は吉田橋と言われていた様です)を渡り吉田宿を後にします。

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 橋を渡ったらすぐに左折し豊川沿いに少し歩くと「鬼まんじゅう(写真は下5枚目)」の旗を立てた「餅昌」さんと言うお店が右側にありました。 鬼まんじゅうはサツマイモを角切りして小麦粉等でつないで蒸した物だそうです。 私は初めて見る物で買ってみました。

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 豊川の豊橋から約1.6kmの横須賀町という信号の次を右に150m程入った所に瓜郷遺跡(うりごういせき)があり、寄ってみました。 この遺跡は弥生時代中期から後期にかけての遺跡だそうで、大きな集落跡があり、登呂遺跡に匹敵する低湿地遺跡として重要なものだそうです。
詳細は下記ページを参照願います。
http://www.toyohashi-bihaku.jp/wp-content/uploads/2014/02/urigou.pdf#search=%27%E7%93%9C%E9%83%B7%E9%81%BA%E8%B7%A1%27

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 この遺跡の所で20分程休息を取り、鬼まんじゅう(黄色い角切り芋の塊)を食べ英気を養い再出発しました。 鬼まんじゅうは美味しい事は美味しかったのですが、今はやる物とは思えませんでした。 焼き芋の方がいいような?

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 瓜郷遺跡から約20分歩き、豊川放水路を渡ると右側のニチレイさんの所に「子だが橋」と言う石碑が木陰に立っていました。(子断が橋(こだんがばし)とも言われ、明治期には小田橋とも言われていたそうです。)
立て看板によると、
 この先の「兎足(うたり)神社」は、千年前には人身御供があり、春の大祭の初日に街道を通る最初の若い女性をいけにえにする習慣があったと伝えられている。ある年の事、贄狩り(にえがり)に奉仕する平井村の人の前を、若い女性が「故郷の例祭と父母に合う楽しさを胸に秘めて」暁の街道を足早に通りかかり橋の上まで来た。 見れば我が子である。 村人は「どうすべきか苦しんだ」が、神の威光の尊さに「わが子だが止むを得ん」と遂に生贄にして奉った。 それからこの橋の事を「子だが橋」と呼ぶようになったとの事。
現在、兎足神社では12羽の雀を贄に替えて行われているそうです。

blog 20161223).jpg


 で、広い道を横切り少し歩くと右側にその 「兎足(うたり)神社」があった。 兎足神社はかなり奥行きがあり、昔は相当大きかったのだろう。
また、この神社境内及び近隣には貝塚があり、縄文時代早期(1万から6千年前)から弥生時代の土器も見つかっているとの事。

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境内
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賽銭箱等多くの所にうさぎの作り物がありました。
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 ここ迄来て夕方になり、すぐ近くのJR飯田線小坂井駅から宿の豊川駅に向かいました。 で、翌日「豊川稲荷」をお参りし、小坂井駅に戻り踏切に出て東海道五十三次を再開した。

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 JR小坂井駅の踏切から15分弱 (1.2km)歩くと「伊奈村立場茶屋 加藤家跡」があった。
加藤家跡には下写真の古井戸しか残っていません。 また、下写真の石碑には芭蕉の句と鳥巣(うそう)の句が残されていました。

芭蕉と鳥巣の句碑
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説明の立て看板
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加藤家跡の井戸(立て看板には南西30Mだが、道路から真南か南東に15m位だった様な。)
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 加藤家跡の句碑から約300m歩いた右側の太鼓屋さんの所に「伊南村の一里塚」の石碑(黄色い矢印)がありました。 江戸より75里、ちょうど300kmです。

 !!!歩きましたねェ~~~ 300kmだそうです!!!

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 その後は休息などを入れ1時間弱住宅街や工業地帯を約3km、ただてくてくと歩き、白鳥五丁目の信号で国道1号線を横切り、更に農道の様な道等を歩きました。

 で、道だけは間違えない様にと注意しながらも漠然と歩いている中、突然野生の狐に遭遇。 びっくりやら慌ててカメラをいじくりまわすやらと平常心は何処へやら!
野生の狐の記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-11-07


 名鉄豊川線の踏切を渡り、更にすぐ名鉄名古屋本線を超えて、ふたたび国道1号に出ます。 そして、すぐに国府町薮下の信号で斜め左に入り県道374号線を歩きます。


 県道に入って250m位歩くと立派な古い常夜灯がありました。
寛政12年(1800年)に作られたとの事です。
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 で、2016年10月13・14日は、二川宿から歩き始め更に豊川稲荷に寄った事等もあり、名鉄の国府駅横に来た時、御油宿迄あと1㎞ちょっとだと言うのに急に疲れを感じ、歩く気力がなくなり、宿に向かいゆっくり休み翌日帰宅しました。
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次回は名鉄の国府駅から御油宿までをレポートします。


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東海道五十三次 二川宿から吉田宿(豊橋市) [ 東海道五十三次]

 先日約3か月ぶりに東海道五十三次の内、愛知県豊橋市の二川宿から吉田宿を経て御油宿の近くまで歩いてきました。 で、今回は吉田宿迄をレポートします。
下の浮世絵は 広重の東海道五十三次の内の吉田宿で、吉田城付近から豊橋(旧吉田橋)方向を見たところと思います。
Tokaido34_Yoshida[1].jpg


 自宅の神奈川県からはだいぶ遠くなり、朝早く出発し、小田原から新幹線で浜松へ、浜松からはJRの東海道本線で二川駅まで行き、歩き始めました。

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 歩き始めて2・300m行くと左手に「伊良胡阿志両神社」と書かれた石碑が立っていました。 石碑の裏面には「左 渥美奥郡道」と「右 東海道」と道案内の道標になっていました。 この道標のすぐ先にはT字路があったので、昔はこのT字路が石碑の示す街道だったのでしょう。

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 さらに2・300m行くと「火打坂交差点」があり、左に行くと「岩屋観音」ですが、旧東海道はまっすぐに火内坂を上っていきます。 火打坂を上り切った所で左に曲がります。
曲がり角は火打坂交差点からは 約700mで、下写真の様な手作りらしい案内板が立っていました。 こういう看板があると安心して街道を歩く事が出来本当に助かります。

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 左に曲がってから約500m進むと小さな松が植えられており、東海道の松並木を再現しようと頑張っておられる様です。 で、更に進み左に曲がってから約1km、こんな石碑がありました。
旧東海道を歩く多くの先人達が「素晴らしい松の木」として写真に残している松の石碑で、石碑にも写真が貼られていました。

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 この松の石碑から 約1.5km、国道1号線と合流する手前に 「飯村一里塚」の石碑があるはずでしたが行ったり来たりして探すも見つからず、あきらめて先に進む事にしました。
(帰宅後再度グーグルで調べたところ、一里塚の石碑は1号線との交差点で旧東海道側ではなく、1号線側に面して設置されていました。)


 一里塚が見つからずがっかりしながら国道1号線を歩くも、12時を回っていた事もあり疲れが出て、「Cerfeuil」というチョコレート専門店でコーヒーとパウンドケーキの様な物を食べ、昼食兼休息としました。 で、何となく生きかえった様な気分になり歩きを再開。

 国道1号線との合流点から 約1.6km,瓦町交差点の所に石造りの立派な門を備えた 「壽泉禅寺」がありました。 境内には三重の塔もあり道路を挟んでは幼稚園もあり、頑張っておられるお寺と感じました。 三重の塔は立派でぜひ寄って見てほしい建物です。

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 更に約1km行った所で「市電」の走っている 「東八丁」の交差点に出ました。
国道1号線で、路面電車が走っているのは唯一ここだけだそうです。
で、歩道橋から「市電がこないかなァ~」と待っていると、花で飾られた「花電車」が!!
前面の「110」は豊橋市市制施行110周年にちなんでの「110」です。

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 で、この付近に吉田城の東惣門があるはずと横断歩道橋から見渡すも見つからず、歩道橋から下り探すと交差点の南東の角 歩道橋の真下、「八丁もちや」さんの前にモニュメントの様に設置されていました。
吉田城について;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%9F%8E_(%E4%B8%89%E6%B2%B3%E5%9B%BD)

 惣門の脇の説明板には 「鍛治屋町の東側に位置する下モ町の吉田城惣堀西で東海道にまたがって南向きに」 と書かれておりこの場所にあったとは書かれていなかった。 多分この付近にあったと言う事だろう。
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 その後、すぐ先(10m位先)の薬屋さんの手前を左折して、更に2ブロックほど進み突き当りを右折し、3・400mまっすぐに進むと中央分離帯に大きな並木のある道路に出ました。
この交差点で中央分離帯を見ると左に「吉田宿,江戸 74里」、右に「曲尺手門」 の石碑が立っていました。

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 で、更に3・400mまっすぐ行った所で「吉田城大手門跡」の道標を見つけ、更に路面電車の走る通りに出て左に1ブロック、札木の交差点に行くとNTTの脇に「問屋場跡」の道標を見つけました。

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 そして路面電車の道を横切るとすぐに吉田宿本陣跡の道標とうなぎの丸よさん前に石碑がありました。 享和2年(1802年)の書上には、吉田宿はこの札木町付近に2軒の本陣と1軒の脇本陣,旅籠が65軒有ったそうです。

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 で、早く豊川を見たい事もあり先を急ごうと、松葉公園迄まっすぐ行き右折して更にまっすぐ約500m行くと豊川です。 途中23号線との交差点には「西惣門」もありました。

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 豊橋や豊川は手筒花火が盛んで、何軒ものお宅の玄関に手筒花火が置かれていました。

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東海道五十三次, 舞阪宿から新居宿 [ 東海道五十三次]

 先日非常に暑い中、東海道五十三次の内舞阪から新居宿を歩いてきました。
 4月末以来の東海道でした。
非常に暑いとはいえ舞阪駅から約2km程歩き浜名湖に出ると、浜風が涼しく、ある程度は暑さをしのぐ事が出来ました。

 今回は旧友達との旅行も兼ねており、早朝家を出て旧友達と同じ新幹線に乗り合わせました。
静岡県のJR舞阪駅に10半頃に到着し、松並木のある旧東海道(県道49号線)を歩きます。
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 約1kmの松並木の下には歌川広重の東海道五十三次の絵を、日本橋から京都迄銅版に彫込んで石碑にしてありました。

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江戸日本橋                         京都三条大橋
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御当地舞阪は特別大きな石碑でした。
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 で、松並木の終点、国道一号線との交差点には 「波小僧」 と言う可愛い石像がありました。

 「波小僧」 の由来は、
昔、遠州灘の浜で地曳網漁が行われており、不漁が続いたある日真っ黒に日焼けした「小僧」が網にかかりました。 漁師たちは気味悪がり小僧を殺そうとすると 「私は海の底にすむ波小僧です。命だけはお助け下さい。その代わり御恩返しに、海が荒れたり、風が強くなったりする時は海の底で太鼓をたたいてお知らせします。」 と言う事で海に戻してやりました。 以来天候が変わる時には波の音がする様になったと伝えられています。
しかし、可愛い波小僧ですね。

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 波小僧から5分位歩くと 「舞阪宿の入口」 とも言える 「見付けの石垣」 がありました。
見附の石垣は宝永6年(1709年)の古地図には既に記載されていたそうです。

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 見附の石垣から 1分程で 「舞阪の一里塚がありました。 下写真は道路の南側の1里塚です。

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 で、道路の北側には小さな公園風になっていて、黒御影石の一里塚の石碑が立っており、他に下写真の様な文久2年(1862年)の宿場の 「東海道舞坂宿 宿内軒別書絵図面」 という石碑が設置されていました。
非常に長い街並みで、当時港町としてにぎわっていただろうと推察します。

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 一里塚から少し歩くと街道の北側に宮崎伝左衛門の 「本陣跡」 の石碑が、

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 そして、本陣のはす向かいには舞阪宿自慢の 「脇本陣」 が復元されていました。
この脇本陣は、「茗荷屋」との屋号で堀江清兵衛の脇本陣でした。
 建物は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構成され、現構で間口五間・奥行十五間です。
書院棟一棟は天保9年(1833年)の建築で、旧東海道の中では唯一江戸時代の脇本陣として現存する貴重な建物です。
下記は浜松市の舞阪宿 脇本陣の解説ページです。
上写真 「文久2年の宿内軒別書絵図」 の例も含まれています。
   http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/w-machi/culture_art/maisaka_wakisakahonjin/index.html

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 この立派な「脇本陣」、内部を無料で見学できました。
下写真は、上写真の正面から見て左側の入り口から入った所で、立派で頑丈な建物でした。
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書院棟で、一番奥に 「上段の間(座布団の敷いてある所が大名が座った所)」 があります。
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 脇本陣をゆっくり見学した後、街道に出て西を見ると直ぐ先が浜名湖です。
 街道の突き当りは渡船場の本雁木(ほんがんげ)があった所で、旧東海道を行き来する人が一番多く利用した場所です。 今は昔の船着場の跡は全く見当たりませんでした。
雁木とは階段状になっている船着場の事を言い地元では昔から「がんげ」と言っていました。

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 本雁木の交差点から南側に150m位行くと水神宮がありました。 この水神宮はもともとは30m位東にあったそうですが、昭和25年からの港の工事でここに移されたそうです。
 で、ここは南雁木(渡荷場跡)のあった場所でもあります。 南雁木は主に荷物の揚げ降ろしに利用されましたが、一般庶民の乗り降りにも利用されました。

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 本雁木の交差点に戻り、更に北に100m位行くと北雁木跡がありました。
この北雁木は明暦3年(1657年)から貫文元年(1661年)に構築されたそうです。 この北雁木は主に大名や幕府の公用役人が利用したそうです。

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 江戸時代の東海道は、上記の雁木から新居宿関所の船着場迄 1.5里程の船旅となります。
下写真は4月末に訪れた時の新居宿の関所です。
東海道で唯一江戸時代の建物が現存する関所でもあります。
新居関所の記事は右記 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-05-16

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新居関所に復元された船着場跡
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 で、今は船旅が出来ないので弁天島を歩いて新居迄行きます。

 北雁木から150m程歩き弁天島に渡る弁天橋に出た所で、浜名湖の広々とした景色に暑さも忘れ、浜風に吹かれながらゆっくり湖を見てしまいました。

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 下写真は浜名大橋で、水色矢印辺りが浜名湖と外海を結ぶ 「今切口」 です。
この浜名湖は、室町時代迄は砂洲で外海と隔てられていましたが、室町時代 明応7年(1498年)の大地震やそれに伴う津波で砂洲の一部が崩壊し外海と繫がった。 で、当時 「今切れた」 と言われ海と繋がっている場所を 「今切(いまきれ)」 と呼ぶ様になった様です。 又、この大地震に伴う大災害では舞阪と繋がっていた弁天島付近も切り離され弁天島が出来ました。

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 弁天島に渡ったら直ぐ南側に弁天神社がありました。
この弁天神社は宝永6年(1709年)、舞阪宿と新居宿の間の 「今切渡海の安全」 の為に建てられました。

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 弁天島を横断し、JR新居町駅に到着し、今回の東海道五十三次は終了です。

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新居宿から白須賀宿経由二川宿, その3 愛知県の二川宿(ふたがわじゅく) [ 東海道五十三次]

  
 前回、新居宿から白須賀宿迄をレポートしましたが、今回は静岡県の白須賀宿から愛知県の二川宿迄をレポートします。

 全国で現存する本陣は2ヶ所、この二川宿と草津宿(滋賀県)です。
 毎日新聞の2015年7月の記事によると、草津宿交流館がネットなどを使い行った東海道五十三次プラス京街道(大坂街道)の人気投票で 二川宿が 「1位」 でした。
http://mainichi.jp/articles/20150729/ddl/k25/040/484000c


 静岡県最後の宿場 白須賀宿の境宿です。
 写真の「夢舞台 東海道」 の石の道標(緑矢印)はこの先にはなく、これが最後らしい。
地図を頼りに歩いてきましたが、道が正しいかどうかの確認に役立ち大変お世話になった道標です。

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 白須賀宿の境宿から5分強で割合大きな交差点に出て、すぐに小さな川 「境川」 に到着。

 静岡県と愛知県の県境です。
白いフェンスの下に小さな 「境川」 が流れており、上の道路標識には「愛知県豊橋市」と!

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 こんな小さな川が 静岡県と愛知県の境界!!!
 静岡県を歩き始めたのが2013年7月。 約3年間静岡県を歩き、富士川や安倍川に大井川そして天竜川等日本を代表する大きな川を渡ってきたので
 「えッ!  これが県ざかいの川? 静岡県の終わりィ!・・・」 と言う感じです。

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 で、歌川広重の二川宿の絵は ”二川,小松原の「猿ヶ馬場」との事で、先人の調査ではこの境川付近の様です。
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 境川からは登り坂で坂を上りきると、国道1号線との合流「一里山東」交差点に出て、1号線を少し歩くと 「一里山」 の交差点です。 ここからは二川宿の新幹線のガード下迄1号線を歩きます。

「一里山」 の交差点から約100m,白須賀宿の境宿から15分強で 「一里山一里塚」です。

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 この豊橋から岡崎付近までは春キャベツや玉ねぎの産地。
で、春キャベツの収穫の終わった畑(黄色い花はキャベツの花)やもうじき収穫の玉ねぎ畑の中を、ヒバリのさえずりを聞きながら歩きます。 一見のどかでしょ!

キャベツの花が風になびいています。
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玉ねぎ畑
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 30m位先のヒバリ(緑矢印の先)を小さなカメラのズームを一杯に伸ばしやっと撮れました。
ヒバリの保護色で良く分りませんが、私にとっては初めてヒバリを撮った貴重な写真です。
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 等と書きますと 「のどかな畑の中を楽しんで歩いている様な感じ」 ですが、
実は砂ほこりが顔に当ると痛い程の強風で、目に埃が入り、帽子も飛ばされ、ヒバリのさえずりも風の音でかき消される程の状態。 そんな中を約3.5km 1時間半近くかけて歩きました。
しかも、新居宿を出発し、白須賀宿を経て来たので疲れもかさなってきつかった。


 で、やっとの事、国道1号線から右に曲がり新幹線のガードをくぐり、梅田川の橋を渡り、東海道線の踏切を渡り、左側に行くとすぐ目の前に古い建物の 「二川宿案内所」。 そしてその前には小さな一里塚の石碑が立っていました。
 強風に吹かれ埃まみれの様な気分の私、家の中で休息を取らせて頂きました。
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 休息後、古い家並みが続く中、約300m進むと 商家 「駒屋」です。
 駒屋は田村家の経営で、元禄4年(1691年)医者として遠州から二川宿に移転し、明和5年(1768年)頃棒手振りとして創業し、2年後に現在の地に店を構えて米穀の小売りを始めました。
(棒手振りとは、江戸時代、商品を下げた天秤棒をかついで行商する商人を特に棒手振りと言った。)
安永3年(1774年)土蔵を新築し質屋も始め、規模を拡大して行きました。
又、問屋役や名主等宿村役人も務めました。

旧街道から見た駒屋さん 
 豊橋市から有形文化財の指定もされており、平成24~26年に改修復元工事を行いました。 屋根は勿論 「三州瓦」です。
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敷地内部  主屋や離れ座敷、4棟の倉等8棟からなっています。
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街道に面した主屋の内部  すごく頑丈な作りです。
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 駒屋でもゆっくり休息兼見学をさせて頂き、更に300m程進むと立派な本陣と旅籠がありました。

 二川宿本陣は、文化4年(1807年)より明治3年(1870年)の本陣廃止まで本陣職を勤めた馬場家の建物で、馬場家が本陣を務めていた60年の間に増改築を行い、安政2年(1855年)には233坪となり本陣としてよく整備された状態になりました。
二川宿本陣資料館のページ
  http://www.net-plaza.org/KANKO/toyohashi/siryokan/honjin/index.html

手前が旅籠「清明屋」 棟続きの様に見える右の建物が本陣
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東海道人気No.1なだけに大きな駐車場、奥には二川本陣資料館もあり観光地となっていました。
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本陣の内部
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そして隣接の旅籠の清明屋の内部です。
清明屋は文化14年(1817年)に建てられ、主屋,つぎの間,奥座敷を備えた旅籠の建築様式を良く残している建物です。 
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 尚、本陣の向いには「駒屋」さんの分家 「西駒屋」さんがありました。
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 下写真は高札場の跡ですが、旧街道沿いは少しずつ古い家の割合が減って行き、
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 本陣資料館から約1km、二川駅に到着です。
 二川宿の案内所に着いた時にはどっと疲れが出てしまいましたが、その後 ゆっくり休みやすみ 「昔の家や街並」 を見学させて頂き元気を取り戻し、ホテルに一泊、リフレッシュして翌日帰宅しました。

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 これからは暑くなるので、6・7.8月歩けるかなァ~~~

 取り合えず、7月友人と観光がてら舞坂宿から新居宿迄、浜名湖を渡ってみよう。 



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東海道五十三次,新居宿から白須賀宿 経由 ニ川宿 その2 「白須賀宿」 [ 東海道五十三次]

 
 前回も書きましたが新居宿から二川宿は大きく海側に回る為近くに駅も宿泊施設もなく、東海道五十三次を歩かれた先人達の中には気温や疲労で苦労した方もいる様でした。

 そんなこともあり、私は体力温存も考えて、前日新居宿を少し過ぎた高師山公民館迄歩き距離を稼いで、当日はJR新居町駅からタクシーで高師山公民館迄行き、そこから歩き始めました。

 公民館の所からは海側の歩道にかなり大きな松の並木が1km以上続いていました。
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 松並木が途切れたすぐ先に 「立場跡」 の立札と石碑がありました。
この立場は旅人や駕籠かき等が休息する場所で、新居宿と白須賀宿の間にもうけられ、代々加藤家がつとめられていました。 
立場ではお茶等を勧めた為、ある殿様は 「水飲め飲めと鮒や金魚じゃあるまいに」 だったそうです。
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「立場跡」を過ぎたあたりから 「潮見坂下」迄の長い距離所々に古い家が有り、趣がありました。

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 こんな立派な長屋門も
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 何よりこの辺りの家並を引き立てているのは素晴しい色の屋根瓦。 「三州瓦」です。
三州瓦の詳細は下記を参照願います。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B7%9E%E7%93%A6

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 火鎮(ほずめ)神社の前に立っていた観光マップです。
火鎮神社は、”火を鎮めるはず” の神社ですが、火災にあい神社の歴史や由来を焼失してしまいました。
      画像をクリックすると大きな画像になります。
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 「潮見坂」 の下に到着しました。
 ここで 「あれ! 一里塚は?」。  どうやら 上の長屋門の家あたりだった様ですが見逃した様です。 

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 で、潮見坂の登りはと言うと、前日舞坂近くの春日大社で、自転車で京都から東京に向って東海道を走っておられる方に伺った所 「かなりきつかった。 登りは相当大変だと思います。」 との事。 
 実際に歩いてみると、急な所もありましたがきつくはありませんでした。 金谷宿から日坂宿や箱根と比べたらほんのちょっとの坂道でです。
 金谷-日坂の記事 http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2015-09-26
              http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2015-10-01
潮見坂の途中の写真です。
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坂を登り切り、新道との交差点でふりかえると遠州灘の海が見え、強風で白波が立っていました。
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 歌川広重の白須賀宿の絵はこの 「潮見坂」 です。
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この日は風が猛烈にきつく、旧道との交差点から10m位の所でふりかえった所、鯉のぼりが真横に吹かれ、暴れまくっていました。
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 潮見坂を過ぎると 「おんやど白須賀宿」 の前を通り、石碑群へ。
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石碑群の説明
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 その後、小・中学校を過ぎたあたりで、ジャガイモ畑越しに熱海方向の雲を見ながら熱海の友人に電話をすると 「ただいま大雨」 との事。 晴れ男 「kotobuki1946」の天気はご覧の通り!!!
とは言え、風は猛烈に強く帽子や地図は飛ばされました。 奥の竹林もしなっています。
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 白須賀宿の 「曲尺手(かねんて)」 です。 やっと白須賀の宿場に入りました。
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 「曲尺手」 の説明板です。
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 風に吹かれ吹かれて、白須賀宿の本陣(下左の写真)に到着です。
白須賀の本陣は大村庄左衛門がつとめており、元治元年(1864年)の記録では、建坪183坪 畳敷き231畳 板敷き51畳だったそうです。

 県道173号線と県道332号線との交差点 「白須賀駐在前」の東側には脇本陣、そして 「夢舞台 東海道」 も立っておりました。 新居宿から6.2km,二川宿迄6.7kmとの事。 もっともっとそしてもっとあった様な気がします。

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 交差点から少し行くと 「白須賀宿の火防」 と言う立て看板を見つけました。
 立て看板で私が気になったのは 「白須賀の宿は、津波の難を恐れ、宝永五年(1708年)潮見坂の下から、坂上へ宿替えをした。」 とありました。 初めの頃に書きました 「古い家並みが多い」 等は旧白須賀宿だったからかも。 新居の関所でも津波で移転とありましたが、江戸時代はそんなに津波が多かったのだろうか?
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 で、 「白須賀駐在前」から15分、 「境宿」 と書かれた 「夢舞台 東海道」 の道標に到着。
ここが白須賀宿の西木戸にあたるのだろう。

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 あとほんのちょっとで 「愛知県」 ですよォォォォ~~~~~

 と同時に先人たちの話では 「夢舞台 東海道」 の道標はこれが最後だそうです!!!



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東海道五十三次,新居宿から白須賀宿 経由 ニ川宿 その1 「新居の関所」 [ 東海道五十三次]

 
 新居宿から白須賀宿(しらすかじゅく)経由二川宿(ふたがわじゅく)への旧東海道は、浜名湖から海沿いのしかも静岡県と愛知県の県境を通る南回りです。
 電車は鷲津・新所原等山側の北回り、路線バスも県境の為両県をまたぐ路線がありません。
従って万一疲れたとか体調不良になっても電車やバス等の公共機関は期待できない。

 とは言えコミュニティバス等を利用できないかと色々調べた所、2015年度の時刻表では一日4・5本午後4時過ぎまである事が分りました。

 そんな事から午前中に浜松宿からJR舞阪駅迄を歩き、午後新居宿から少しでも歩いておこうと新居町駅を出て駅前から西の新居の関所方向に向いました。

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広重の東海道五十三次,新居(荒井)宿です。
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 関所手前の橋は昔風に作られ、橋の歩道には新居宿の浮世絵 6点が展示されていました。

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 で、駅から約10分強で 「新居関所」に着きました。
新居関所の 「あらい」 は旧地名では 「荒井」 で 明治になってから 「新居」 となりました。
関所の創設は1600年(慶長5年)と言われ、当初は東の向島でしたが、元禄年間の津波で移転、更に宝永4年の大地震と大津波で建物は全壊し、1708年(宝永5年)現在地に移転しました。
現在地は埋立等で浜名湖から少し離れていますが、当時は湖に面していた様です。
 明治2年に関所は廃止となったが、明治から昭和にかけて小学校や町役場等に使われました。
現在の建物は1858年(安政5年)までに再建された物で、江戸時代の建物が現存する唯一の関所です。 (箱根の関所等は明治維新で破壊されました。)

 
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 関所には平成14年に再整備された渡船場もありました。
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 関所の中には人形で当時の状況を再現していました。
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 関所の西側には立派な門と高札場もありました。
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 関所の斜め向かいには旅籠の「紀伊国屋」も有料公開されており、少し行くと古い格子の家の前に 「飯田武兵衛 本陣跡」 があり、更に飯田本陣の所の交差点を直角に左に曲がり、ちょっと行くと夢舞台・ 東海道の石柱が立っており、更にその隣と言っても良い位の所に 「疋田八郎兵衛 本陣跡」がありました。
夢舞台・東海道の道標によると白須賀宿迄は4.5kmとの事。 (実際はもっとあった様な気が?)

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     写真をクリックするると拡大写真になります。
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 で、更に15分位歩くと 「新居一里塚」 がありました。 立て看板のあるお宅の方と話をしていた所、新居町駅に向うコミュニティバスが通って行きました。
 一里塚からちょっとで右に曲がり100m位行った所にたい焼き屋さんがあり、その前に 「棒鼻跡」 の立て看板と石柱がありました。
 棒鼻とは、駕籠の棒先の意味もあるが、大名行列が宿場に入る時にこの場所で先頭(棒先)を整えたので棒鼻と呼ぶようになったとも言われています。

     写真をクリックするると拡大写真になります。
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 たい焼き屋さんの所で道なり左に曲がり、国道1号線の橋本の交差点に出て、国道を右に曲がって200m弱、 「風炉の井」 を見つけました。
(新居関所の職員の方が、「風炉の井は私の実家、是非見て行って下さい」と言われていました。)
 この井戸は現在は深さ2m,口径1.8mで昔はもっと深かったとの事。
言い伝えでは、建久元年(1190年)源頼朝が上洛のおり橋本宿に宿泊した際にこの井戸水を茶の湯に用いたとされています。 

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 で、国道1号線の次の西橋本交差点で斜め右に入り約5分、高師山公民館に着きコミュ二ティバスの時間表を確認した所、

 何と! 何と! 4時半位のバスは無く、新居の一里塚ですれ違ったバスが最終バスでした。
 午後2時半位のバスが最終のバスです!
  (出発前のネット検索では2015年の時刻表しか見つからず、2016年度は検索できなかった。)
 ここから約2kmの新居町駅に戻る方法は自分の足で歩くだけです。

 と言う事で、更にもう少し先まで歩くか、ここで戻るか、さんざん悩みましたが結局少し道程の短い国道1号線沿いに歩いて新居町駅迄戻り、弁天島のホテルに。



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旧東海道 浜松宿から舞坂 [ 東海道五十三次]

 
 先日、東海道五十三次の浜松宿から舞坂を歩いてきました。

 広重の 「濱松」 は何処から見た絵か分りませんが、後ろ右奥に浜松城が小さく描かれています。

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 で当日は、JR浜松駅から前回の終点、伝馬町交差点の梅屋本陣跡に行き、舞阪に向かって257号線を歩き始めました。

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 成子の交差点を右に曲がり菅原町の交差点で左に曲がると直ぐに「子育て地蔵尊」がありました。
 この地蔵尊は順礼供養仏に享保8年(1723年)と彫られており、少なくとも約300年前から祭られていた地蔵尊で、子宝に恵まれた親が石仏を寄進し、子供の病が癒したお礼仏と言った風習があった様です。
又、「隣町の成子町にあった西番所で取り調べを受け亡くなった妊婦の子が生き残り、その菩提をともらった」 事がいつの間にか 「子育て地蔵尊」 と言われる様になったとの説もあります。

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 で、東海道本線,新幹線のガードをくぐって約10分位歩きましたが、なんとなくおかしい。 で、たまたま見つけた郵便局に入り確認した所旧東海道からは大きく外れ浜松浅田郵便局の方に来てしまいました。

 右に曲がりどんどん歩き、兜橋の手前で257号線に戻りました。 又、兜橋のすぐ先には 「八丁畷」の立て看板もありました。
更に数分歩くと(東若林町交差点の1分位手前)若林の一里塚も見つかりました。

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 東若林の交差との直ぐ先には 「二つ御堂(ふたつみどう)」がありました。
二つ御堂は奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)公とその愛妾が1125年創建したと伝えられています。
 京に出向いていた秀衡公が大病である事を聞き、愛妾が京に向かう途中ここで秀衡公死去の報(誤報)を聞きその菩提をともらう為に北のお堂(阿弥陀如来)を建てた。
 一方秀衡公は病気が回復し平泉への帰国の途中ここでその話を聞き愛妾への感謝をこめて南のお堂(薬師如来)をたてたとの事。

道路の北側のお堂
 現在のお堂は昭和30年改築、阿弥陀如来,地蔵菩薩,毘沙門天が祭られている。
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道路を挟んで南側のお堂
 現在のお堂は昭和12年新築、薬師如来,不動明王,大日如来が祭られています。
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 その後、浜松市の可美市民サービスセンターとなっている明治6年創設の高塚学校跡地(可美小学校跡)や高札場跡の掲示板を見た後、JR高塚駅前の熊野神社を横目に見ながら先を急ぎました。

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 篠原一里塚を探しながら歩きましたが、ついに見つからず 「引佐山大悲院観音堂聖跡」 まで来てしまいました。
 ここには馬郡観音堂が建ち、観音像は定朝作と言われ引佐細江の観世音と呼ばれていた。
観音様は約38cmの立像で、今は近くの如意寺に安置されているそうです。

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 で、更に歩くと大きな交差点(馬郡跨線橋南(まごおりこせんきょうみなみ))に出た所で何となく大きそうな神社に見つけました。  春日神社でした。

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 春日神社でゆっくり休息を取って、更に少し歩くと道路の両側に立派な松が植わった並木通りに出ました。
で今回は、この交差点を右に曲がって JR舞阪駅 から電車に乗りJRの新居町駅に向いました。


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 舞阪宿から新居町宿の浜名湖越えは夏に友人と旅行がてら歩く事になっています。



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