So-net無料ブログ作成
前の5件 | -

ジャガー Eタイプ で サクラ・オートヒストリーフォーラムに参加 その2 [クラシックカーショー]

 
 5月11日に千葉県佐倉市の草ぶえの丘で行われた題記クラシックカーショーに参加して来ました。 ショーの概要は前回のブログでレポートしましたので、今回はショーのテーマだった「ダットサン」の主な参加車を紹介します。


1937年型,ダットサン
1-blogDSCN8013.jpg 1-blogDSCN8014.jpg


スポーツカーの変遷

1952年型,ダットサン スポーツ (販売期間1952年~1954年,860cc)
 赤白のツートンカラーは下記フェアレディ
1-blogDSCN8003.jpg


1960年型,ダットサン フェアレディ (販売期間 1959年~1962年,1000cc/1200cc) 
 このモデルは輸出車のみフェアレディ,国内販売車はダットサンスポーツ
1-blogDSCN8007.jpg


1968年型,ダットサン フェアレディ2000 当初1500cc 3人乗り,のちに2人乗りに
 (販売期間 1962年~1970年,1500cc/1600cc/2000cc)
1-blogDSCN8008.jpg

1967年型,ニッサン シルビア (販売期間 1965年~1968年,1600cc)
(フェアレディ1600のシャシーやエンジンをベースにニッサンブランドの高級スポーツ車)
1-blogDSCN7993.jpg


1973年型,フェアレディZ (販売期間 1969年~1978年,2000cc~2800cc)
  このモデルから"Z"が付いた。 写真のヘッドランプカバーはオプションです。
1-blogDSCN8036.jpg


セダンの変遷

1958年型,ダットサン 210系セダン (販売期間 1957年~1959年,1000cc)
1-blogDSCN8015.jpg


1963年型,ダットサンブルーバード 310系(販売期間 1959年~1963年,1000cc/1200cc)
1-blogDSCN7994.jpg

(販売期間
1966年型,ダットサン ブルーバード410系(販売期間 1963年~1967年,1000cc~1600cc)
1-blogDSCN8020.jpg


1970年型,ダットサン ブルーバード510系(販売期間 1967年~1972年,1300cc~1800cc)
1-blogDSCN7997.jpg


尚、1967年,ダットサン サニー B110系 (販売期間 1966年~1970年,1000cc)が加わりました。
1-blogDSCN7999.jpg



 で、サクラ・オートヒストリーフォーラムは15時過ぎに解散となり、せっかく佐倉市に来たのでと「佐倉順天堂記念館」や「佐倉藩の武家屋敷」等を見学しましたので次回レポートします。


nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

ジャガー Eタイプ で サクラ・オートヒストリーフォーラムに参加 その1 [クラシックカーショー]

 
 5月11日、千葉県佐倉市の草ぶえの丘で行われた題記クラシックカーショーに参加して来ました。

 会場は自宅から100km以上離れており、又、暑さに弱いジャガー E タイプの為、早朝5時20分に家を出て横浜市の湾岸道路から東関東自動車道に乗り継ぎ、四街道インターで高速を降り会場の草ぶえの丘に。

blogDSCN7962.jpg


 で、会場に7時過ぎに到着し、係員の案内で正門を入って直ぐの右側駐車場に駐車する事が出来ました。

早い到着の為他の参加車はまばらでした。 会場のスタッフの方々は開場に向け大忙し。
blogDSCN7957.jpg

blogDSCN7954.jpg

少しすると続々と参加車が到着し、最終的には110台を上回ったそうです。
blogDSCN7958.jpg


9時30分頃に開会式が行われました。
blogDSCN8022.jpg


10時には、20台の車が佐倉市内のパレードに出発。 約9kmのコースだそうです。
bblogDSCN8025.jpg

blogDSCN8028.jpg

blogDSCN8031.jpg



で、会場を一回りして多くの参加車をゆっくり拝見させて頂きました。
blogDSCN7971.jpg

ボルボはグループで参加された様でした。
blogDSCN7968.jpg

いすゞのジェミニや初代三菱コルトギャラン等も
blogDSCN7976.jpg

初代コルトギャランは綺麗でした。
blogDSCN7978.jpg

相変わらず日産の旧車は多数参加しておられました。 それも多くの車種が!!!
 日産車が多いのは、下記講演会「ダットサンの歴史」でも語られていましたが、何より丈夫で長持ちする車を作っていた事、そして比較的多くの旧車用部品を市場に提供していた事だろうと思います。
blogDSCN7987.jpg

blogDSCN7984.jpg


 今回のフォーラムのテーマは「ダットサン」で、クラシックカー展示場のメインステージ近くには多くの「ダットサン車」「ニッサン車」が展示されていました。
 それらについては「ジャガー Eタイプ で サクラ・オートヒストリーフォーラムに参加 その2」で紹介します。


 で、旧車展示場脇の体育館では、ダットサン会の副会長石川和夫さんによる「ダットサンの歴史」について約1時間の特別講演が行われ、多くの方が聞き入っていました。
blogDSCN8048.jpg

講演の内容は下記の様でした。 
blogDSCN8049.jpg


午後3時頃に各賞の表彰と閉会式が行われ解散となり、私は佐倉に一泊し「佐倉順天堂記念館」や「佐倉藩の武家屋敷」等を見学させて頂きました。
(武家屋敷はTV放送された事も有り見学者が増えたそうです。 見学した結果も後日レポートします。)


 所で、ここ数回にわたり「東海道五十三次」の内「石薬師宿から関宿迄」を連載してきましたが、佐倉のクラシックカーショーを優先してレポートします。
その後、東海道の続きをレポートします。


nice!(10)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

東海道五十三次 庄野宿 から 亀山宿 その2 [ 東海道五十三次]

 
 先月石薬師宿から関宿迄を歩き、その内前々回のブログで「石薬師宿から庄野宿」を、前回のブログで「東海道五十三次 庄野宿 から 亀山宿 その1」で庄野宿から亀山宿に向かって井田川駅迄をレポートしました。
今回は井田川駅から亀山宿迄をレポートします。


 ホテルを出て、8時45分頃に井田川駅(下写真)に着き歩き始めました。
blogDSCN7676.jpg


 歩き始めてすぐ、最初の記念碑は「旧井田川小学校跡」でした。
 自分の出身校が無くなった方にとっては、その跡地に行かれた時の淋しさは相当な物だろうと思います! 尚、この記念碑は旧井田川小学校の校門の門柱だったそうです。
blogDSCN7682.jpg


 井田川駅前から旧井田川小学校前を通って道なりに約400mで国道1号線に出ます。 陸橋を渡り国道と直角方向の道を100m弱進み左折します。
 左折し道なりに真直ぐ進み椋川の橋を渡り、国道1号線の下をくぐり、更に道なりに進み左折した所から900mで和田の道標がありました。

 「和田の道標」は東海道から鈴鹿市の神戸,白子,若松方面に行く分岐に建てられた物で、亀山城下の若松港にいたる重要な分岐点でした。
blogDSCN7690.jpg
 

 和田の道標から道なり右カーブして行くとゆるやかな上り坂となり、小さな川を渡ると桜並木の急坂となります。 その坂の上り始めの右に「那智山 松寿院 石上寺」がありました。
 石上寺は延暦15年(796年)に新熊野三社(いまくまのさんしゃ)の神宮寺として開創されたという歴史のあるお寺で、鎌倉から室町時代の古文書が20通(21点)も残されているとの事。
blogDSCN7696.jpg

寺の最上部には鐘楼もありました。
blogDSCN7703.jpg


 石上寺を出て坂を上り約300m、江戸から104里の和田一里塚に出ました。
昭和59年迄は昔の一里塚の一部が残されていたそうですが、道路の拡張で現在の塚は塚の跡地の東側に模式復元したものだそうです。
 (所でこの塚の前は何時も車が止まっている様で、多くの方が「残念」とか「車が出るのを待って写真を」とか書いています。 私も塚に到着した時にちょうど軽自動車が来て止まってしまったので塚の裏で休息をしながら車の出るのを待って写真を撮りました。)
blogDSCN7710.jpg


 和田の一里塚から700m歩くとカメヤマ株式会社です。
 この会社は1927年に谷川兵三郎さんがローソクを作る「谷川蝋燭製造所」を立ち上げ、その後明かりは電灯に変わる中キャンドルの活用等多くのローソクに関する事業を開拓し、今は国内のシェア―60%をほこっているそうです。
 カメヤマローソクに関するページ
  https://www.nttcom.co.jp/comzine/no092/long_seller/index.html

blogDSCN7714.jpg



 カメヤマ㈱さんの西の端の向いに「能褒野神社二の鳥居」があり、木の案内板には「従是西亀山宿』と書かれており、ここからが亀山宿の様です。 又、「屋号」等の説明板がありましたが、どの説明板も字が消えかかっており読むのにちょっと苦労しました。
blogDSCN7716.jpg


 能褒野神社二の鳥居の一軒隣りには「露心庵跡」の説明板がありました。
天正12年(1584年)神戸正武か亀山城を急襲したが関万鉄斎が撃退。この合戦の時の死者を城下東端に2ヶ所の塚を築き葬ったとの事。 詳細は下写真を参照願います。
blogDSCN7719.jpg


 能褒野神社二の鳥居から300m亀山本町郵便局前の交差点に着き、左を見ると小さな公園がありそこには「巡見道」と言う看板が。 「巡見道」や下説明板の「巡見使」は初めて聞く言葉ですが、地方巡回視察(時代劇の水戸黄門の様な?)の様な事が江戸時代にも行われていたと言う事の様です。 
blogDSCN7727.jpg



 亀山本町郵便局から道なり700mで県道566号に突き当たります。
 ここが「江戸口門」で、下右の説明板によると相当大きな施設だった様で、当時の旅人がここに到着した時にはその大きさに驚き、曲輪内を通る時は緊張しただろうと想像します。
で、東海道は下写真の様に右折して、県道566号を亀山城方向に向かいます。
                        写真をクリックすると拡大します。
blogDSCN7734.jpg blogDSCN7732.jpg 


 江戸口門から100mで東町交差点に出ました。 前回1月26~28日に来た時は大雪(下右写真)の翌日で「亀山大市」の日でした。
地元の方に伺った所「亀山大市の日には雪が降る」と言う特異日だそうです。
 前回1月27日に亀山城近辺を散策した時のblogは下記
  https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-19
                        写真をクリックすると拡大します。
blogDSCN7735.jpg blogDSCN7119.jpg


 江戸口門から200mで、左側の「東町ふれあい広場(旧佐川邸跡)」前を通り、約400mで樋口本陣跡に着きます。 この頃から何となく雲行きが怪しくなりました。 雨??!!
blogDSCN7739.jpg



 樋口本陣から50m強、江ケ室交番前交差点を左に曲がり坂を下り、江ケ室交番前交差点から約400m、県道302号との交差点に出ます。
 この交差点の向こう側には小さな公園と石碑があり、旧東海道はこの公園脇の急坂を上って右折します。 又、右折して直ぐに左の旧家の玄関脇に「とんやば」の表札が。
blogDSCN7750.jpg blogDSCN7751.jpg


 右折して200m強、素晴らしい旧家と白壁の旧舘家がありました。
blogDSCN7759.jpg


 旧舘家から50m強で道なり右折して、更に70m進むと小さな公園の様な「亀山城 西ノ丸・外堀跡」に突当り、そこを左折して200m竜川(たつかわ)にかかる京口坂橋に出ます。 ここが歌川広重の浮世絵「亀山宿,「雪晴」です。
(1月27日、せっかく雪の後に亀山城周辺を歩いたので「ここ迄足を延ばせば良かった」と悔やまれてなりません。)

現在の「京口坂橋」               blogDSCN7769.jpg

歌川広重の「亀山宿,「雪晴」
1280px-Hiroshige47_kameyama[1].jpg


京口門跡には下の様な説明板がありました。写真をクリックすると拡大表示します。
blogDSCN7763.jpg


 京口門付近では霧雨が舞ったり、止んだりとはっきりしない天候で、「亀山駅に戻る」か「関宿迄進む」か悩みながらゆっくり歩き、結局「ここまで来て駅に戻るのは無駄」と関宿迄歩く事に。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

東海道五十三次 庄野宿 から 亀山宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 先日石薬師宿から関宿迄を歩いて来ましたが、今回はその内の庄野宿から亀山宿を2回に分けレポートします。


 石薬師宿の佐々木信綱記念館をほぼ14時に出発。 庄野宿に到着し、見学しながら歩き庄野宿の西入り口を16時通過。 日が暮れる迄には少ししか時間がありません。


 庄野宿西入り口から歩き250mで国道1号線と県道637号線との交差点を過ぎ、左折し直ぐに右折して道なりに進みます。
 国道の交差点から550m、左側に女人堤防の碑があり、又、その奥には小さな石碑郡があり、江戸時代の石碑も多数有る様でした。

 女人堤防の碑の文字は読めず、掲示板にはおおよそ下記の様な事が書かれていました。
 鈴鹿川の北安楽川との合流点は完全な堤防がなく毎年夏の水害で耕地や住宅が被害を受け、時には人命を失う事も。 幾度か堤防建設を願い出たが許可されず、しいて行えば打ち首の極刑に処せられる。 築堤は男子全ての命を失い部落の自活に支障きたすと、女衆二百余人が暗夜を選んで工事を行い六年で遂に完成。 何時しか藩主の知る所となり処刑の日は来たが、家老の死によって赦罰の早馬が来て二百余名の命は救われ、更に築堤の褒美まで送られた。

blogDSCN7636.jpg

女人堤防の奥の石碑郡
blogDSCN7639.jpg



 道なりに進み、女人堤防の碑から400mの所のY字路を左に進み、女人堤防の碑から550mで左側に「中冨田一里塚」がありました。
blogDSCN7650.jpg

 一里塚の説明文の中には「御馳走場」や「東百里屋(ともりや)」等初めての言葉の説明も書かれていました。 (クリックすると大きな画像になります。)
blogDSCN7649.jpg


一里塚の前を道なりに進み、安楽川の堤防に突き当たったら左に曲り、安楽川を渡ります。
blogDSCN7656.jpg


 橋の突き当りを右に曲がり堤防の上を少し歩き、道なりに堤防から下りると右にクラシカルな「和泉公民館」前に出ます。
blogDSCN7666.jpg


 和泉公民館から道なりにまっすぐ進み550mで地福寺に出ます。
地福寺前には大きな常夜灯があり、手前の階段を上がった所にはさぞ大きな観音堂だったろうと想像させる鬼瓦(鬼飾り)が展示されていました。
blogDSCN7670.jpg blogDSCN7669.jpg


 地福寺の前のY字路を左側に進み約100m、県道641号線を斜めに横切り、農道の様な道を200m程進むとT字路に突当り、右折し関西本線の踏切を渡ります。 
 踏切を渡って線路沿いを50m程歩き、道なり右折してまっすぐ200m程進むと先程斜めに横切った県道641号線に突き当たります。 左折し県道を200m弱進むと関西本線の「井田川駅」前に出ます。
blogDSCN7673.jpg


 井田川駅前でほぼ午後6時、疲れも手伝ってこの日は東海道あるきを終了する事に。
 で、電車で亀山駅迄行き、駅近くのホテルに宿泊。
 尚、この日の夕食は亀山のB級グルメ「味噌焼うどん」を食べさせて頂きました。 美味しかったのですが私にはちょっと味が濃すぎました。

blogDSCN7679.jpg


 尚、旧東海道の道順は毎回下記アドレスの方の地図を利用させて頂いています。
   http://nonbiritabi.edo-jidai.com/toukaidou/toukaido_doucyuuki_index.html
 毎度お世話になり、本当に有難う御座います。


nice!(9)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

東海道五十三次 石薬師宿 から 庄野宿 [ 東海道五十三次]

  
 先日、東海道五十三次の内石薬師宿から関宿迄を歩いて来ました。
今回はその内の石薬師宿から庄野宿迄をレポートします。

 今回は、朝8時過ぎに家を出て新幹線で名古屋駅へ、そして桑名駅迄行き、近鉄名古屋線に乗り換え伊勢若松で近鉄鈴鹿線に乗り換え終点の平田町駅に13時過ぎに到着。
 (石薬師宿に近いJR線は関西本線の加佐登駅や河曲(かわの)駅ですが共に無人駅で、近鉄平田町駅は三重交通のバス路線やタクシーもあり割合便利な駅です。)

近鉄鈴鹿線 平田町駅  バスもタクシーもあります。
blogDSCN7560.jpg


 食事をとった後、タクシーで石薬師宿の佐々木信綱記念館前に行きました。
 前回1月26日は亀山宿迄歩く予定が「大雪」でここで東海道歩きを断念。 ちょっとした決断の遅れでバスにも乗れず、雪の中、国道1号線を黙々と歩き加佐登駅迄行き亀山のホテルに着きました。

 前回の佐々木信綱記念館  すごいボタン雪でした。
 (前回のブログ記事 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-14

blogDSCN7113.jpg

そして今回の記念館  今回はこれ以上ない快晴!!!
blogDSCN7562.jpg



 そして歩き始めました。
今回は何となく股関節がスムースでない様な! 腰痛持ちなので何が起きても不思議はない。

 記念館から県道115号線との交差点を過ぎ道なりに行くと「高富山瑠璃光院石薬師寺」の名前からとった国道をまたぐ「瑠璃光橋」に出ました。 「瑠璃光橋」の先に宿場の名前となった「石薬師寺」の看板も見えます。

bloggDSCN7572.jpg


 看板の脇を入り(実はここは裏門でした)奥に進むと本殿が。 お参りして、住職さんに御朱印を書いて頂きました。
bloggDSCN7578.jpg


 本殿の前をまっすぐ進み左に出ると、正門です。
blogDSCN7582.jpg

 正門を出た所に「石薬師寺」の由来と広重の石薬師宿の絵が掲示されていました。
 (クリックすると大きく表示されます。)
blogDSCN7585.jpg



 石薬師寺から道なりに400m程歩き、才石川を渡ると「石薬師の一里塚」に出ます。
ここの掲示板によると、「天文9年(1540年)足利将軍が40町(1町は109m)を1里として一里塚を築かせたとの事。 しかし、慶長9年(1604年)2月徳川秀忠が東海道・東山道・北陸道に一里を36町(約3927m)に改め、一里塚を築かせたとの事。」

背景の電車はJR関西本線 亀山行です。
blogDSCN7588.jpg


 一里塚の前を左に曲がり、JR線下のトンネルをくぐり出た所で、すぐに右に曲がり線路下を歩きます。 この辺りはのどかな田園地帯、田植えのこの季節になると私の田舎と同じような風景に懐かしさを覚えます。
blogDSCN7593.jpg


 そして350m程歩き国道1号線の下をくぐり「椎山川」沿いに100m程歩き左側の橋を渡り、田んぼの中の農道の様な道を行き、350m程で国道1号線に出ます。
 国道を500m強歩くと「最も [恨めしい] と言うか [悔しい] と言うか [もう少しと安どした所] と言うか」 何とも言葉にならない場所「加佐登の交差点」に出ました。
(1月26日四日市から歩き、石薬師で大雪に会い、バスにも乗り遅れ、ただただ近い駅にと黙々と国道を歩き加佐登駅に向かった時の交差点です。)

blogDSCN7597.jpg



 加佐登の交差点を超え約国道を750m、庄野町北の交差点で右折して国道とわかれます。
少し行くと、左角に庄野宿入り口の石碑がありました。
blogDSCN7602.jpg

 庄野宿についての説明掲示板もありました。 (クリックすると大きく表示されます。)
庄野宿は江戸から102里との事。 日本橋から400kmとちょっと歩いた事になります。

blogDSCN7603.jpg


 庄野宿入り口から約350m、旧小林住宅跡の庄野宿資料館に出ました。
残念ながらこの日は休館日でした。 (休館日 月・火曜日,第3水曜日,年末年始)

blogDSCN7609.jpg


 7・80m歩くと右側の民家の壁に「問屋場跡」の表示があり、更に100m程歩くと沢田本陣跡です。
blogDSCN7614.jpg


 本陣跡脇の道路を挟んで隣には「高札場跡」の表示が、そして「脇本陣跡」や「郷会所跡」等の説明掲示板が次々と見つかりました。
bloggDSCN7622.jpg


 で、本陣跡から約200m、川俣神社のスダジイを見学。
三重県の天然記念物で、樹齢300年,樹高11m,幹回り5mとの事。 
blogDSCN7629.jpg


 そして、本陣跡から400m、庄野宿の出口の石柱がありました。
blogDSCN7632.jpg


 で、歌川広重の庄野宿(下絵)に相当する所は何処か考えながら歩いて来ましたが見つからず、街道を歩きながらの私には下右写真がせい一杯でした。
1280px-Tokaido45_Shono[1].jpg bloggDSCN7625.jpg


 石薬師宿の佐々木信綱記念館から約4km。 今回は股関節の具合も手伝ってかとにかく疲れました。 しかし、ここでリタイアするわけにはいかず、亀山宿を目指し歩きつ続ける事にしました。


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車
前の5件 | -