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東海道五十三次 鳴海宿から宮宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 昨年3月頃に再発した腰痛も大分回復し、先日名鉄名古屋本線の有松から鳴海宿を経由し宮宿迄を歩き、下記ページで有松から鳴海宿迄をレポートしました。
で、今回は鳴海宿から名鉄の桜駅迄です。
 前回の記事 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-10


 歌川広重の東海道五十三次 宮宿
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 有松駅に11時頃到着し、鳴海宿本陣跡に午後1時過ぎに到着。 そして鳴海宿最後の「丹下町常夜灯」を13時半頃に通過。 長期の腰痛療養で体力は減退、疲労を感じ始めましたが中断せず宮宿を目指し自分に鞭打って歩き続けます。


 で、いきなり自動車修理工場内の旧車を発見。 立ち寄りお店の方と20分位旧車談議!
2代目コロナマークⅡ(1972年~1976年)
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 大好きな旧車談議をした事で、軽くなった足取りで先を急ぎます。

 丹下町常夜灯から約500m、右側に鉾ノ木貝塚と書いた掲示板を見つけました。
縄文時代早期から前期にかけての貝塚との事で、貝層はハイガイを主としており、土器も出土したとの事。 上層土器が鉾(ほこ)の形をしていた為、その型式をとらえ「鉾ノ木式」と呼ばれているとの事でしたが、狭い範囲だったし草位刈ってほしかったな!
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 で、上写真左側の路地ににた次の路地を上って行くと「千句塚公園」です。
下写真掲示板の様に「芭蕉が生前に立てられた唯一の碑「千鳥塚」」があります。
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 千句塚公園の下の交差点「三王山」から1km強歩きやっと「笠寺一里塚」に出ました。
ここの立派な榎は、超大きな石付き盆栽の様に盛り土を抱え込む根張りがすごかった。
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 笠寺一里塚から400m「笠寺観音」正式名「天林山 笠覆寺(りゅうふくじ)」に到着。

ウイキペディアによると、
 寺伝によれば、天平5年(733年、一部文書には天平8年-736年)、僧・善光(または禅光)が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り、現在の南区粕畠町にその像を祀る天林山小松寺を建立したのが始まりであるという。

 その後 1世紀以上を経て堂は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままに。 旅の途中で通りかかった藤原兼平(875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆っていた娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。 この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺即ち笠覆寺(りゅうふくじ)と名付けられたという。 笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。
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仁王門には立派な彫り物、勇壮な仁王様がある。
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本堂
本尊の十一面観音像は秘仏で、開帳は8年毎との事(最近の開帳は2014年4月)。
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鐘楼や人質交換之碑等他の各施設は前回ページの「名古屋市南区の笠寺観音」を参照願います。 前回ページ https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-15


 笠寺観音でゆっくり見学と休息をした後、西門から出て旧東海道歩きに戻りました。

 笠寺を出て100m弱、「笠寺西門」交差点には「笠寺の歴史」を記した石碑がありました。 残念ながら扇形の上の銅板は腐食で読む事が出来ませんでしたが、下の文字板は下写真の様に充分に読めました。
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「笠寺の歴史」を記した文字板     写真をクリックすると大きく表示します。
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 「笠寺西門」の交差点を通過し、すぐに名鉄名古屋本線の踏切を渡り約60m、小さな交差点を右折しまっすぐに約500m歩き、「東海道の石碑」と共に赤い鳥居,そして中では高さ10mはゆうに超えるかと思われる大きなカラマツ(だったかな?)の木を剪定していましたので見学、更に中に入って見ました。
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 更に奥に進むと、中には「長楽寺」の看板があり、地図を見ると「富部神社」とあり、神社の社の提灯には「清水稲荷大明神」と! 何が何だか分からなくなりながらもお稲荷さんにお参りし、休息!(休んでばっかり! だって病み上がりみたいなもんだもん!!)
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 で、約200m歩き名鉄名古屋本線の桜駅入り口で何の躊躇もなく右に曲がり、「桜駅」から電車に乗りホテルのある「神宮前」に。
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 更に歩く気力は無く、タクシーで伝馬町(てんまちょう)のホテル「エクセルイン名古屋熱田」に!
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 ホテルでひと寝した後、「煮込みうどん」か「名古屋コーチン」を食べたくホテルの方にお伺いし一路地下鉄で「栄駅」から「三蔵通本町」交差点の「山本屋本店」に。

で、「名古屋コーチン入り味噌煮込みうどん」を食べました。
美味しかったのですが、岡崎市の「角久さんの食堂で食べた味噌煮込みうどん」の方が美味しかった。 八丁味噌屋さんの宣伝用の様なお店と比較する事に無理があるのかも!!!
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名古屋市南区の 笠寺観音 [ 旅行 東海]

 先日、東海道五十三次の内の有松から鳴海宿を経由し名古屋市熱田区の宮宿迄を歩きました。 その中で休息を兼ね特に時間をかけて見学したのが題記「笠寺観音」でした。
  
 笠寺観音の正式名は「天林山笠覆寺(りゅうふくじ)」と言い、鳴海宿から約3kmの所にあり、最寄り駅は名鉄名古屋本線の本笠寺です。

ウイキペディアによると、
 寺伝によれば、天平5年(733年、一部文書には天平8年-736年)、僧・善光(または禅光)が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り、現在の南区粕畠町に天林山小松寺を建立し、観音像を祀ったのが始まりであるという。

 その後 1世紀以上を経て堂は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままに。
 旅の途中で通りかかった藤原兼平(875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆っていた娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。 この縁で兼平と姫によりこの地に観音像を祀る寺が建立し、笠で覆う寺即ち「笠覆寺(りゅうふくじ)」と名付けられたという。 笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。


旧東海道と環状線との「笠寺西門」交差点に「笠寺の歴史」と言う石碑があり、ここには下写真の様に記されていた。 写真をクリックすると大きく表示されます。
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旧東海道から見た笠寺観音
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仁王門には立派な彫り物や勇壮な仁王様が。
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手水舎
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本堂
本尊の十一面観音像は秘仏で、開帳は8年毎との事(最近の開帳は2014年4月)。
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玉照堂
 本堂の隣には、藤原兼平公と玉照姫の縁結びを祀った玉照堂があります。 このお堂は平成14年に再建したお堂です。
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鐘楼
 鎌倉時代、僧・阿願によって建造され、尾張三名鐘に数えられる梵鐘が鋳造された。 ここの鐘には建長3年(1251年)の銘があり、愛知県の有形文化財に指定されている。
鐘楼は貞享元年(1684)に再建されたものとの事。
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 鐘楼から更に奥に進むと「宮本武蔵の碑」や芭蕉の「千鳥塚」の碑がありました。

 宮本武蔵は、播磨国(今の兵庫県)に生まれ、各地を回りながら修行を重ねており、名古屋市南区笠寺にある東光院を宿坊にしていたと伝えられ、滞在期間は数ヶ月とも数年とも言われている。 この笠寺観音には、武蔵の百回忌にあたる延享元年(1744年)、武蔵の弟子左右田邦俊の子孫・門弟が顕彰碑(下写真)を建立した。

 又、その隣には「星崎の闇を見よとや啼く千鳥 芭蕉翁」と書かれた石碑と新しい「千鳥塚 芭蕉」と書いた碑がありました。 名古屋市緑区鳴海町の千句塚公園に芭蕉の筆による「千鳥塚」の石碑がありその碑との関係は??? 
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本堂を挟んで反対には多宝塔が。 又、その前には新しい「人質交換之地」の石碑が、
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 「人質交換之地」の石碑には、
「天文16年(1547年)尾張の織田方に対応し、三河の松平氏が駿河の今川方の援護を求め 6歳の竹千代(のちの徳川家康)を人質として差し出すも護送中に織田方の手に落ちた。  天文18年には今川方が安祥城(今の安城市八幡前)を陥落し織田信広(信長の異母兄)を捕らえ、この笠寺観音で今川方の竹千代と織田方の信広との人質交換が行われた」と言う様な事が記されていました。
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 多宝塔の向かいには 行者堂,延命地蔵堂,白山社 がありました。
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 西門の横には六地蔵堂が、
6面にお地蔵様が掘られており、一石六地蔵と言われる珍しい形だそうです。
笠寺観音の寺史によれば、明和7年(1770年)建立、善光寺九度参詣とあるとの事。

「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」による「六地蔵」とは、
 地蔵菩薩の六分身をいう。生前の行為の善悪のいかんによって、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するといわれるが、そのそれぞれに、衆生救済のために配される檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の六地蔵をいう。

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 で、笠寺観音でゆっくり見学をし、休息も取り、西門(下写真)から出て東海道五十三次 歩きに戻りました。
尚、下記のページには笠寺観音について細かく分かりやすく解説されています。
  http://hosoiri076.webcrow.jp/kasaderakannon/kasaderagaido/newpage1.html#no11 

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東海道五十三次 有松から鳴海宿 [ 東海道五十三次]

 
 先日、東海道五十三次の内名古屋市有松から宮宿迄を歩いてきました。

 実は昨年3月に「腰椎脊柱管狭窄症」で、腰痛再発となりほとんど歩けなくなりました。
 (2011年2月に椎間板ヘルニアで腰痛となり、東海道五十三次は2年半中断しました。)
 そこで病院の「整形外科とリハビリ」に5ヶ月通い多少改善したものの楽に歩く事は出来ず、リハビリの健康保険扱いの期限も超え、今はその病院に併設された「メディカル フィットネス」に通って8ヶ月目になります。
 「メディカル フィットネス」は「コーチの指導によるストレッチや温水プールでのウオーキング」で、腰痛は大幅に改善。 病院の痛め止めを飲みながらだったら普通の生活が出来る様になり、腰痛を気にせず歩く事が出来る様になりました。


 そんな事から3月に知立宿から鳴海宿を目指しましたが、体力の低下が激しく有松迄で中断。 今回、有松から鳴海宿を経て宮宿迄を歩く事にしました。
で、今回はその内の有松から鳴海宿迄をレポートします。
 知立宿~有松のレポートは右記 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-23
                https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-26
 有松の街並みレポートは https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-06-10
 織田信長と今川の桶狭間の合戦跡は
             https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-05-27

歌川広重の東海道五十三次「鳴海宿」
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 で、先日6時半に家を出て、新幹線・名鉄名古屋本線と乗り継ぎ11時頃有松駅に到着。 

 今回のスタート地点である名古屋第二環状自動車道と旧東海道(県道222号線)との立体交差点を目指し線路沿いを歩きます。
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途中、旧家に挟まれた趣のある路地を通って、
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今回のスタート地点、江戸から87里(348km)の「有松一里塚」に到着。
(有松一里塚は現在地あたりだった様ですが、大正13年に民間に払い下げられ消滅してしまったが、歴史ある街並み復活を目指しこの地に平成24年に再建された。)
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 有松一里塚から1km強で平部北の交差点にある「平部町常夜灯」に出ました。 ここからが鳴海宿となります。 この常夜灯には「文化三丙寅(1806年)正月と刻まれており、長く人々の安全を願う歴史ある常夜灯です。
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常夜灯から約10分、扇川の手前70m位の所に下の様なモニュメントが、
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で、扇川を渡ると右に瑞泉寺がありお参り。 門前には下の言葉が掲示されており、簡単な言葉ながら「日常の事から心の悩み等まで当てはまる言葉」と感銘しました。
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 更に県道222号を進むと相原町と本町の境界に「曲尺手(かねんて)」がありました。
(曲尺手は道路をクランク状に曲げた所の事で、宿場に賊が押し入った時賊はクランク状に曲がって走らざるを得ず走る速度を落とす事が出来ます。 又、大名行列で大名同士がかち合いそうになった時、格式の低い大名が休息をよそおい寺等に退避、クランク状道路が陰となり格上の大名を見る事無く緊急避難できます。)
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 鳴海の「曲尺手」から約200m、本町交差点を右折して50m位の所に「高札場」が。
(高札場(こうさつば・たかふだば)は、奈良時代頃から明治時代初期迄一般法令や基本的法令を板に記して、宿場等人の集まる場所に掲示して民衆に周知させる場所です。)
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高札場には下の様な説明板がありました。(写真をクリックすると拡大します。)
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 高札場の斜め向かいの誓願寺には「芭蕉翁」の碑があります。
この碑は芭蕉が没した翌月如意寺に建てられたものを芭蕉の門下下里知足(しもさとちそく)の菩提寺であったこの誓願寺に移された。 芭蕉が亡くなられた(1694年10月12日)翌月に建てられた碑で、芭蕉の碑としては最古の供養塔との事。「芭蕉堂」の南東にあります。
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芭蕉堂と緑石の供養塔
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 本町交差点に戻り県道222号を50m強歩くと左側に綺麗な「山車蔵」があり、そこには「鳴海宿本陣跡」との表示がありました。 愛知県には本当に多くの山車があります。

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 (写真をクリックすると大きく表示されます。)
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 本陣跡から約100m歩き作町交差点を道なり右方向に曲がり、更に歩く事700m位の所の右側に「丹下町常夜灯」がありました。 この常夜灯は「鳴海宿の西の入り口」に建てられた様で、東から見ると鳴海宿の終点と言っていいのかも。
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 で今回、思いがけず下写真の様な車を10分弱の間に各々見る事が出来ました。 お互いのオーナーさんは承知しているのでしょうかね!

ニッサンマーチベースの車
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オリジナルのフォルックスワーゲン
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 次回は「鳴海宿から宮宿」をレポートしたいと思います。

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小田原市根府川の JR白糸川橋梁,白糸川の釈迦堂と根府川の関所跡 [ 旅行 神奈川県]

 
 先日東海道五十三次の内「有松~鳴海宿~宮宿」を歩いてきました。

 この区間は10km程とそれほど長くない為名古屋に宿泊し、帰路は新幹線で熱海まで帰り熱海からJR東海道本線に乗り換え、根府川駅で降り題記場所を散策しました。

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 実はこの駅は、根府川の街の海側の端、海側の崖にせり出した様に作られています。
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 更にこの根府川駅の近くには、源頼朝が初めて挙兵した「石橋山の古戦場」や江戸時代の「根府川の関所」等があり歴史的にも非常の尽きない地域です。

 まずは根府川駅南側の「白糸川の橋梁」で、「かながわの橋100選」にも選ばれています。
  かながわの橋100選のページ http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f7488/
  かながわの橋100選の内の白糸川の橋梁(以下鉄橋)
            http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f7488/p27903.html


 駅を出て駅前の740号線を南方向に約200m歩き、左手の階段を下りて行きます。 約200m細い階段や旧な坂道を下って行くと、鉄橋はだんだんと近づいてきます。
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鉄橋を真下から見ると迫力満点です! 
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 鉄橋の下には「白糸川の釈迦堂」や「根府川の関所」の案内板が。

 釈迦堂は、案内板に従って鉄橋の真下の道路から白糸川におり、川を渡って行きます。
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釈迦堂の内部は一見何もない様に見えますが、
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内部は階段を下りて、黄緑矢印の先の洞にお釈迦様の像が祀られています。
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で、内部には下写真の様なお釈迦様が祀られています。

 この釈迦堂は根府川の旧家広井家の古文書によると、
広井家二十二世広井長十郎重友の代に地震が頻発、特に寛永九年(1632年)1月21日と正保四年(1647)9月14日と慶安元年(1648)4月22日の地震は、死者、民家の倒壊多く津波も来襲する等で世相は不安に満ちて居り、長十郎重友は村内世相の安泰の為「岩泉寺」境内の岩盤に釈迦尊像を像立して世相の安泰を祈ったとあります。

 二十二世広井長十郎重友(名を)改め宗左衛門が、台座に刻まれて居る『大工権助策』『石匠寅佐代』によって明暦二年(1656年)に像立したものと思われます。 その後、万治二年(1659年)の大洪水で「岩泉寺」は現在の高台に移ったがお釈迦様は自然の岩盤に刻まれていたので移す事が出来ず、現在の場所に残った。

 大正十二年(1923年)9月1日関東大地震が起こり、上の鉄橋が落ち、その上に山津波の土砂でお釈迦様の像は埋没してしまいました。
 お釈迦様は目の高さより上に拝むように刻まれて居たのですが、山津波の土砂に埋まり周りの地盤も高くなってしまった為、現在の洞の中のお釈迦様となったのです。
 特に土砂に埋まったお釈迦さまを掘った人々が落ちた鉄橋や土砂の中から指一本損じないお姿を見て驚嘆したとの事で、如来信者も多く、村内始め県西地方の人々の信仰は厚い。

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 続いて、「根府川の関所」跡に向かいます。
関所跡は、釈迦堂から約300m急な坂道を上って行き、現在の新幹線の鉄橋下(下写真の緑矢印先,上の高架橋は新幹線)にあります。
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 案内板によると、
 東海道の脇道として、又、熱海や伊豆に通じる道としてこの地に根府川関所は設置された。
新編相模風土記稿等によると元和元年(1615年)に設けられ、明治2年(1869年)に廃止されるまでの約250年続きました。 関所は明け六つ(6時頃)に開門し暮六つ(午後6時頃)に閉門、関所破りは重罪でした。  
 江戸時代小田原藩内足柄、箱根地方には箱根本関所の他に脇関所として根府川、矢倉沢、仙石原、川村、谷峨の五箇所の関所が設置されていた。 根府川の関所は他の関所より格上で、幕府から箱根関所に次いで重要視されていました。
 関所の位置については設置されていた当時は白糸川の南側にあったが、関東大震災で埋没し、その後新幹線工事等で河床が移動し、現在関所跡は河床となってしまった。

案内板にある昔の関所の絵
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現在の風景からすると山の稜線等昔のままの様に思います。
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 今回、根府川駅の周りを散策してみましたが、今回見た根府川周辺の名所旧跡はほんの一部で、「東海道歩きのついでに!」等と軽い気持ちでよった事は大間違いでした。
 「根府川の駅には何故1番ホームが無いのか」等、関東大震災の自然災害による出来事等まだまだ勉強不足で、もう少し勉強し近い内にもう一度寄らさせて頂きたいと思います。


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箱根登山鉄道と箱根美術館 その2 [ 旅行 神奈川県]

  
 先日小雨の中、箱根登山鉄道で箱根美術館に行ってきました。
  箱根美術館のホームページ  http://www.moaart.or.jp/hakone/


 箱根美術館へは箱根登山ケーブルカーの「公園上駅」で早雲山駅に向かって左手に降ります。 駅前には売店等があり、平日にもかかわらず多くの人出でにぎわっていました。

 箱根美術館へ入館して左手には美術館の売店、右手直ぐの所には「岡田茂吉」に関する作品が展示された別館があり、別館の前には小川が、そしてその向こうにはもみじの新緑におおわれた苔庭が見えます。
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別館を出て進むと両側に大きな石と萩の植えられた「萩の道」があり、上って行きます。
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萩の道を更に進むと竹庭に出ます。 竹庭の奥に見える黄色い建物が美術館本館です。
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 本館には日本の縄文時代からの陶磁器が展示され、
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又、別の部屋には中近東(左)やギリシャ(右)の壺なども展示されていました。
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本館前の庭を通って、
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日光殿へ
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そして日光殿の奥の石段を上がると、
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別世界の様な 明るい緑の苔 と 新緑のもみじ の世界でした。
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 で、昼食は、
美術館を出て強羅方向に歩いて下り、箱根登山ケーブルの「公園下駅」前の通りの「山路」さんで丼物を食べる事に。
 私は親子丼(左),友人の中にはかつ丼(右)を選らんだ人も。 親子丼はいい味でしたが残念ながらちょっと塩味がきつすぎ。 かつ丼も同じだった様です。 ちょっと残念でした!
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 箱根美術館は庭園が素晴らしく、特に小雨の中の「苔庭」は期待通りの本当に素晴らいものでした。


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