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栃木県宇都宮市の大谷地区を観光 その1 [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]

 少し前にJRの「大人の休日倶楽部」の雑誌に宇都宮市の大谷地区について取り上げられていました。

 最近の塀等はコンクリートブロックが殆どで、大谷石の需要は少なくなり、石切り場跡はコンサートが行われたりと観光地化している事は承知していました。 が、改めて雑誌に取り上げられた事で「ちょっと遠いよなァ~」と思うネガティブより、今回見て見たいと言う好奇心が上回った様です。


 で、見学の前日昼過ぎに車で出発し、宇都宮駅近くに宿泊。

 翌日、まず「カトリック松が峰教会」を見学し、「宇都宮聖ヨハネ教会」横を通り、「株式会社 屛風岩」の前を通って「大谷寺」に行き、その後「大谷石資料館」を見学してきました。


「カトリック松が峰教会」

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 「カトリック松が峰教会」は、現存する日本一大きな大谷石の建物で、
 明治21年 パリ外国宣教会のカジャック神父によって宇都宮市の川向町に建てられ、「宇都宮天主公教会」として創立され、明治28年には現在の松が峰に移りました。
 聖堂は、上智大学1号館を設計したスイス人の建築家マックス・ヒンデルにって設計され、昭和7年11月20日竣工。 近代ロマネスク様式を基調にした日本では数少ない双塔を持った教会建築であり、外壁は宇都宮特産の大谷石を大部分に使っています。

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 2階にある聖堂の内外壁の大谷石は、旧帝国ホテルに用いられた大谷石と同じ大谷の採石場から切り出されたものに、石工職人によりさまざまな意匠が施されています。
又、バロック様式のパイプオルガンの音色も美しく響きます。

 国の登録有形文化財にも指定されており、教会内部や敷地内の見学も可能です。
「カトリック松が峰教会」のホームページ ; http://www2.ucatv.ne.jp/~matumine.sea/

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 次いで「宇都宮聖ヨハネ教会」の見学は時間の都合上近くを車で通るだけとなりました。

「宇都宮聖ヨハネ教会」はイギリス聖公会の教会で、
1891年、T・S・チング司祭によって宣教が開始され、1911年「宇都宮聖ヨハネ教会」として認可された。 大谷石造りの荘厳な現礼拝堂は、1933年聖別されたものです。 国の登録有形文化財に指定され、コンサートが催される事もあるそうです。

「宇都宮聖ヨハネ教会」のホームページ
    ; http://nskk-kitakanto.org/facilities/utsunomiya-christ.html

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 次回のブログ記事は「株式会社 屛風岩」と「大谷寺」です。


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静岡県 函南町の「かんなみ仏の里美術館」 [ 旅行 東海]

 
 先日函南町の「かんなみ仏(ほとけ)の里美術館」を見に行ってきました。

 私にとっては函南町はなじみのない町でしたが、東海道五十三次の箱根峠、そして五十三次で静岡県やそれ以西に行くたびには必ず通る丹那トンネル,新丹那トンネルのある町と思ったら急に近親感がわき、興味を持ち観光地などを調べる様になり、今回「仏の里美術館」を見学しに行って来ました。


 函南町の桑原地区の人達は、平安時代の「薬師如来像」や鎌倉時代の「阿弥陀如来三尊像」等二十四体の仏像郡を守ってきました。
 これら仏像郡の散逸を防ぎ後世に残していく施設として、明治30年代後半に桑原の有志によって長願寺の裏山に「桑原薬師堂」を建て安置してきました。
 平成20年3月、桑原地区はこれらの仏像郡を函南町に寄付し、函南町の財産として保存すると共に多くの人々が鑑賞できる様にと「かんなみ仏の里美術館」を設置,展示公開しました。


 西伊豆方面に行く途中でしたので、箱根新道(国道1号線)で箱根峠に出て、そのまま1号線で三島方面に下り、中山城址脇そして三島スカイウオーク前を通り、笹原新田の交差点で1号線から左に曲がり、ナビの指示通りに細い道をくねくねと曲がりながら15分程走行し、「かんなみ仏の里美術館」に到着です。
「かんなみ仏の里美術館」はピラミッド型の屋根を持つ2棟からなっており、一棟は24体の仏像の展示室、他棟は資料の展示室になっていました。

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建物の裏の駐車場に車を止め、駐車場脇の玄関から入館。
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館内は全て撮影禁止との事でした。

 と言う事で、私の撮った仏像などの館内写真は1つもありません。
 又、「かんなみ仏の里美術館」のホームページによると「無断で複写・複製・転用・引用・改ざん・配布・販売・リンク等に利用する事を固く禁じます」との事。
 ホームページのアドレス ; http://www.kannami-museum.jp/


 それではブログでの紹介は無理と思い、入館時に受付の方に「パンフレットの写真」の利用を確認した所、個人での利用は可との事で、帰宅後スキャンしたのが下の写真です。


 下パンフレットの右の写真は「薬師如来坐像」(本体像高110cm)で平安時代中期(11世紀前半)と推測されています。 ふくよかで端正な顔が針葉樹の木目と相まって素晴らしい像でした。
 又、左の写真は「十二神将立像」、当初は鎌倉時代初期に作られましたが、時代と共に壊れたり痛んだりして作り直されたりで時代の異なる像で構成されているとの事。
 勇ましく見ごたえのある十二体です。
                  写真をクリックすると大きく表示されます。
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 下パンフレットの右上小さめの写真が「阿弥陀三尊像」です。
近畿地方には運慶や快慶等で知られる「慶派」の仏師の作が多数存在しますが、鎌倉幕府が成立し、力強い慶派の仏像が関東地方の武士にも好まれました。 ここの「阿弥陀三尊像」は「慶派」の實慶の作です。
 パンフレットでは小さな写真ですが、非常に素晴らしい「阿弥陀三尊像」ですので、ぜひ上のホームページの写真で詳細を確認して頂ければと思います。
                  写真をクリックすると大きく表示されます。
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 仏の里美術館を見学の後、「桑原薬師堂」(下写真の黄色矢印)を見学してきました。
「桑原薬師堂」は仏の里美術館前の3差路を桑村小学校方向に2・300m歩き左に曲がり、長源寺前を通り急坂を上るとお堂に出ます。

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 このお堂は明治時代から長きにわたり、仏の里美術館の仏像を安置されていたお堂で、各仏像が以前安置されていた場所に写真が貼ってありました。

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 帰り道では素晴らしい富士山も見る事が出来ました。
 (ここ一週間の連日の雨とは大違いだった!!!)
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 小さい美術館ですが、素晴らしい仏像郡ですし、何より桑原地区の住民が約8・900年もの長い間守ってきた仏像郡です。 是非見に行かれたらと思います。



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熱海の起雲閣 [ 旅行 東海]

  
 先日熱海市の起雲閣に行って来ました。
起雲閣は熱海の岩崎別荘,今は無き住友別荘と並び熱海の三大別荘と賞賛された名邸です。


 起雲閣は大正7年(1918)、大正・昭和期の政治家で海運王と呼ばれた実業家の内田信也氏(茨城出身)が建設、翌年 内田別邸として竣工「麒麟・大鳳の棟、孔雀の棟」を完成。
更に大正9年(1920)隣りの土地を入手し敷地を拡大、主に実母の静養の場所とした。

 大正14年(1925) 根津嘉一郎氏(山梨出身)が内田信也氏より取得し根津別邸となる。
根津嘉一郎氏は明治から昭和期の政治家で東武鉄道社長等につき鉄道王と呼ばれた実業家。
昭和4年(1929)に 金剛・ローマ風浴室の棟を完成、昭和7年(1932) 玉姫・玉渓を完成。

 昭和22年(1947)年 、大正・昭和の政治家、実業家の桜井兵五郎氏(石川出身)が取得し、旅館「起雲閣」として開業。 1949(昭和24)年 金剛の棟を改築、昭和56(1981)年以降 現在の音楽サロンの棟(当時は宴会場)等を新築。

 平成11年(1999)年 旅館廃業 競売物件となり、平成12年(2000) 熱海市が取得 一般公開開始。平成14年(2002) 熱海市指定有形文化財に登録しました。



起雲閣の表門で、大正8年に創建された薬医門(やくいもん)と言う造りです。
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薬医門を入り玄関に続く道です。
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玄関に入り、入館料510円を払って入館。 

 最初の見学は大正8年に完成した麒麟の間とその2階の大鳳です。
 伝統的な和風建築で、壁等の青色は「加賀の青漆喰」。 石川県加賀地方の伝統技法で旅館になってから塗り替えられた。 桜井兵五郎氏が石川県出身だったからと思われます。

麒麟の間
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2階の大鳳
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2階の大鳳から見た庭園です。
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 次の部屋は、二代目の持ち主根津嘉一郎氏により、昭和6(1931)年に着工、昭和7(1932)年に完成した玉姫の間と玉渓の間です。

玉姫の間
 玉姫の間は正面中央に暖炉があり、「折上格天上」(おりあげごうてんじょう)の建築様式で、玉姫の間に併設されたサンルームは天井や窓がステンドグラスになっています。

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玉姫の間に併設されたサンルームの天井
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玉渓の間
柱や梁などほとんど全ての木材部分は釿(ちょうな)による加工なのか「名栗仕上げ」となっていました。
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 次の3部屋は多くの文豪達の展示室となっており、この部屋は賑わっていました。
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下は昭和23年起雲閣での写真で、左から山本有三,志賀直哉,谷崎潤一郎さんです。
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 その次の部屋が「金剛」の間とローマ風呂です。
この建物は根津嘉一郎氏により、昭和3年に着工、翌年に完成しました。その後、何度も改築されているそうです。
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 金剛の間に併設されたローマ風呂です。
 昭和64年の改築の際、多くの部分で現代の材料に改められていましたが、ステンドグラスの窓やテラコッタ製の湯出口などは、建築当時の物だそうです。
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ローマ風呂を出て廊下に出ると「元は旅館だ」と実感する廊下を歩く事になります。
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 最後の和室は、「孔雀」の間です。
 この棟は大正8年に完成した内田信也氏の別邸で、当時は麒麟の棟と並んでいた。 昭和28年に旅館の客室等の増築の為現在の音楽サロン辺りに移築。 更に昭和56年、音楽サロン建築の為現在地に移築しました。 (何度も移築されながらも建物は本当に綺麗な状態でした。)
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 その後、音楽サロン等を通り、庭園に出ました。
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 で、庭園から麒麟の間を見るとガラス窓のガラスが光を反射し、大正時代の手すきガラスの歪みがはっきりと確認できました。
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  次々と所有者が変わっても廃墟にならず竣工者の意図した形で「よくぞ残った」と言うのが感想です。

熱海市の起雲閣のページ ; http://www.city.atami.lg.jp/kiunkaku/1001903.html

 熱海駅から徒歩で20分,起雲閣の裏手には駐車場もありますので、特別派手ではないがしっかりとした日本間を見に行かれてはと思います。

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東海道五十三次 亀山宿 から 関宿 その2(関宿の街並み) [ 東海道五十三次]

 
 先々月石薬師宿から関宿迄を歩き、「東海道五十三次 亀山宿 から 関宿 その1」等のブログで関宿の入り口迄をレポートしました。
今回は関宿の歴史ある街並みをレポートします。


 4月17日は井田川駅から歩き始め、亀山宿を出た時には雨になり、「関宿東の追分」に着いたのが午後3時半を回っていました。 で、この日は関の街並みをほぼ1/3の所迄(百五銀行を過ぎた所)歩き亀山駅近くのホテルに戻りました。 翌18日には関宿の街並みを散策し、「関の地蔵尊」を少し過ぎた所で東海道歩きを中断、帰宅しました。


 で、関宿の東の追分を過ぎた所からレポートします。
 歴史ある建物が次々と!、延々と! 続きます。
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  一の鳥居から450m、御馳走場に着きました。
(カメらを構えた所に軽トラックが来て目の前に駐車、全体を取る事が出来ませんでした。)
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御馳走場の向いにも素敵なお宅が。
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少し歩くと最近建てられて、まだ開所されていないと言う山車庫がありました。
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 ここで、突然ですが、皆さんは「せきのやま」と言う言葉をご存知ですよね?!

「せきのやま」と言うのは「精一杯」とか「これ以上できない限界」の様な意味で「なしうる限界」を現す言葉と思います。
 では「せきのやま」の語源はご存知ですか?

 多分こう書けばわかるかと 「せきのやま」→→「関の山」→→「関の山車(やま)」

 そうなんです。 関宿の方々は「なしうる限界」まで頑張って「山車」を作っておられたとの事から「せきのやま」と言う言葉が生まれ、限界を現す言葉となった様です。

で、「せきのやまかいかん(関の山車会館)」(黄緑矢印)と言うものが、新しい山車庫の隣にありました。
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御馳走場から100m弱「百五銀行」。現在の銀行で関の街並みに配慮した建物となっています。
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 この日は朝8時半頃にホテルを出て、井田川駅から亀山宿を経て関宿の1/3入った所で午後4時半。 雨で夕暮れも早く、疲れもありこの日は此処で終了に。

 で、関駅に出て初めての「西日本旅客鉄道(JR西日本)」のローカル電車で亀山駅近くのホテルに戻りました。

関駅
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初めて乗るJR西日本のローカル電車,関西本線の明るい色の電車で疲れも半減です。
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 前日迄の二日間の頑張りで、翌日は体がだるく関宿の街中を散策するだけとしました。
朝ホテルを出て関西本線の空色の電車に乗り、関宿に9時半頃に到着。

 昨日の百五銀行まで戻り西方向に散策を再開。
 百五銀行から続く旧家。
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百五銀行から150m、街道の左側岩田屋さんの西隣りが「関まちなみ資料館」です。
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まちなみ資料館は「旅籠玉屋歴史資料館」とセットで300円で内部を見学出来ます。
まちなみ資料館の内部           現在の関の街の航空写真もありました。
                 (関の街は今でも旧東海道を中心とした街並みです。)
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まちなみ資料館のはす向かいが脇本陣の鶴屋さん、
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そしてその西隣りが中町三番町の山車庫の所が「問屋場跡」です。
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 百五銀行から約200mで川北本陣がありました。
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川北本陣の説明は「関まちなみ資料館」にもありました。
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 で、川北本陣の門が近くの「延命寺」の山門として明治5年に移築されており、川北本陣の唯一の遺構となっているとの事。 と言う事で見に行ってきました。
 延命寺の住職によると、「川北本陣の門はお殿様が宿泊する際、馬に乗ったまま入場する為かなり高い門であった」 所がお寺の門としては不釣り合いな程高い門になってしまう為、門の柱の下部を切って設置したとの事。

 川北本陣の門は薬医門で、彫刻の形式などから17世紀後期の建築と見られ、屋根の鬼瓦には川北本陣の家紋である三蓋松が彫られているとの事。
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 川北本陣から西へ60m、左側に「伊東本陣跡」(矢印先)がありました。
又伊東本陣についても「まちなみ資料館」に説明がありました。
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 川北本陣から約100m、「関宿 旅籠 玉屋 歴史資料館」があり、「関まちなみ資料館」で購入したセットの入場券で入って見ました。

写真左側が「旅籠玉屋歴史資料館」で、右側は現在の旅籠「民宿の石垣屋」です。
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「旅籠玉屋歴史資料館」の内部
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江戸時代、関宿の特産は「竹火縄」だったそうです。 (クリックすると大きく表示します)

 江戸時代にはマッチやライターは無かった。
その為タバコ吸いの為の火種用等に関の火縄は良く売れ、火縄屋さんは数十軒有りかなり強引な販売も行われた様です。
(マッチは1827年にイギリスの化学者ジョン・ウォーカーが考案、日本には輸入されていたが、明治8年(1875年)頃に吉井友実が三田別邸に構えた仮工場で製造を始めた。)
(クリックすると大きく表示します)

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下写真は民宿の石垣屋さんの内部。 相部屋の宿泊もあり、まさに現在の旅籠かも?
 石垣屋さんのページ  http://www.ishigakiya.net/ryoukin.html
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「旅籠 玉屋 歴史資料館」の西隣は「関郵便局」で、立場(立札場)も設置されていた。
郵便局も歴史ある関の街並みに合わせて昔風の建物となっています。

 ここ関郵便局の地は、天正20年(1592年)徳川家康が休息した場所で、「御茶屋御殿屋敷」と呼ばれていた所です。 その後陣屋や役人の詰所などに使用されていた。
又、街道に面した所には11間もの立札場があった。
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郵便局の向いは関宿の三大銘菓の一つ「関の戸」の深川屋さんです。
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 郵便局から170m、「関地蔵院」です。
関地蔵院は、国内最古の地蔵菩薩で知られる地蔵院(通称・関のお地蔵さん)です。
天平13(741)年、奈良東大寺の僧行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。
関地蔵院のホームページ ; http://www.seki-jizoin.or.jp/index.php

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地蔵院の鐘楼です。
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 地蔵院の向いにはやっと!観光地らしいお土産屋さん等が数軒ありました。
「やっと」と言う程 旧家が約2kmも立ち並ぶ中、多くの観光地の様にお土産屋さんが立ち並んではおらず、静にゆっくりと歴史ある街並みを見学できます。 又、多くのお宅で内部も見学できる様で地元の人との会話も楽しいと思います。 私は油屋さんに寄り30分以上も話し込んでしまいました。
尚、歴史ある建物が多く、関駅構内の案内所で街並みの資料を入手、持参しながらの見学がいいかも!!!


 下写真の緑矢印先が「小万茶屋」で小万茶屋の左が会津屋(昔は旅籠の山田屋)さんで、小萬が育った旅篭として知られている。
 「関の小萬とは、 久留米藩士 牧藤左衛門が同僚に殺され、その妻が仇を追って 関迄来たが旅篭山田屋で 女子を産んで死亡。 旅篭の主人 はこの子を小萬と名付けて 育てた。 小萬は親の悲劇を 知らされ亀山で剣術修行をし やがて仇を討ち果たした。 その後恩有る山田屋で奉公し36才で亡くなった。」
小萬については関宿の入り口の「もたれの松」についても参照願います。

又、「福蔵寺」に「お萬の碑」あります。
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東海道五十三次 亀山宿 から 関宿 その1 [ 東海道五十三次]

 先月石薬師宿から関宿迄を歩き、「石薬師宿から庄野宿」や「東海道五十三次 庄野宿 から 亀山宿 その1」・「その2」のブログで亀山宿迄をレポートしました。
今回は亀山宿から関宿迄をレポートします。


 4月17日は井田川駅から歩き始め、亀山宿の京口坂橋に着いた時には午後1時を回っており、しかも霧雨が降ったりやんだりの非常に不安定な天気でした。 それでも亀山駅近くのホテルに戻らず関迄歩く事にしました。


 京口坂橋から約150m歩いた所で、軽食の「一休処骨董カフェ」を見つけ昼食替わりに何か食べようと入って見ました。 中には骨董品を買いに来られた人達もいました。
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で、私は昼食替わりにと「ぜんざい」を頂きました。
尚、ここは下右写真の様に国の有形文化財だそうです。
                    写真をクリックする大きく表示します。
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 ぜんざいを食べ、ゆっくり休息をしている間にカフェから見える中庭では、徐々に霧雨から雨に変わって行きました。 が、歩くと決めたのでリュックから傘を出し歩き始めました。


 一休処骨董カフェから650m、野村一里塚に出ました。
ここの一里塚は以前は街道の南北にあったが、大正3年南側の塚は取り払われ北のみとなり、今では三重県の東海道では唯一昔から続く一里塚となってしまいました。

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 一里塚から道なりに歩き650m、地図上で毘沙門天と書かれたY字路を右側に行き、さらに150m程歩いた所で、左側に森の様に樹木に囲まれた神社がありました。 門前右の説明板を見ると「布氣皇舘(ふけこうたつ)太神社」との事。 長い参道を歩き中に入ってお参りをしてきました。
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 布氣皇舘太神社を出て道なりに歩き550mで関西本線の陸橋を越え、少し進むと桜並木の道になり陸橋から約500mで鈴鹿川の堤防となります。
 この辺りが大岡寺畷(たいこうじなわて)との事。
 「大岡寺畷は、約2kmにわたって鈴鹿川沿いに築かれた堤の上を通る畷で、東海道の畷の中では随一の長さとされています。」との事で詳細は下の写真を見て下さい。

 旧東海道は、関西本線の陸橋から750mで高速道路の下を通り、更に川沿いの堤を雨の中1.6km程歩き再び関西本線出会い、踏切を越えます。 踏切のすぐ先の国道1号線の「小野川橋東詰」の陸橋を渡り左に曲がり1号線沿いに進みます。
鈴鹿川
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大岡寺畷の説明板(写真をクリックすると拡大されます) 雨の鈴鹿川の堤         
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国道1号線を小野川橋東詰交差点から200m弱で関宿に入って行きます。
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 関宿への入り口には「関の小萬(こまん)のもたれ松」という碑がありました。
 「江戸中期、九州久留米藩士牧藤左衛門(まきとうざえもん)の妻はおっとの仇を討とうと志し、旅を続けて関宿山田屋に止宿一女小萬を生んだ後病没した。 小萬は母の遺言により成長して3年程亀山城下で武術を修行し、天明3年(1783年)見事、仇敵軍大夫を討つ事ができた。」
 この場所には、当時武術の修行の為亀山通いの小萬が、若者の戯れを避ける為に姿をかくしてもたれたと伝えられる松があった所から「小萬のもたれ松」とよばれる様になった。・・・
今は、多分この木が松だったろうと思われる小さな切り株がありました。

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 旧東海道は国道一号線から別れて550m、伊勢神宮一の鳥居に出ました。
 この鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際古くなった鳥居を移築した物で、ここは「伊勢別街道」との東の追分(分かれ道)で、津から伊勢街道に入り「伊勢神宮」へとつながります。
 又、東海道を歩いた先人のレポートでは「常夜灯の裏に一里塚」との事で、鳥居の裏を見ると確かに「関一里塚」の碑がありました。
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 この伊勢神宮一の鳥居(東の追分)から関宿の古い街並みが始まり西の追分迄1.8kmも続き、江戸・明治に建てられた建物が200軒余りも残っています。 又、国の「重要伝統的建造物群保存地区」や「日本の道100選」のひとつに選ばれている地区でもあります。
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 で、鳥居の斜向いにはいきなり200年以上経ている歴史のある建物「岩間家」です。
ここは屋号を白木屋と言い、主に東の追分で稼ぐ人足や車夫の定宿だった。 人力車が登場してからは常に30台が客待ちだったそうです。(レンズに雨粒が付いてしまいました)

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 で、歴史ある建物が次々と!、延々と! 続きますので、今回は一旦ここで中断。
 「東海道五十三次 亀山宿 から 関宿 その2(関宿の街並み)」に続きます。
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