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東海道五十三次 亀山宿 から 関宿 その2(関宿の街並み) [ 東海道五十三次]

 
 先々月石薬師宿から関宿迄を歩き、「東海道五十三次 亀山宿 から 関宿 その1」等のブログで関宿の入り口迄をレポートしました。
今回は関宿の歴史ある街並みをレポートします。


 4月17日は井田川駅から歩き始め、亀山宿を出た時には雨になり、「関宿東の追分」に着いたのが午後3時半を回っていました。 で、この日は関の街並みをほぼ1/3の所迄(百五銀行を過ぎた所)歩き亀山駅近くのホテルに戻りました。 翌18日には関宿の街並みを散策し、「関の地蔵尊」を少し過ぎた所で東海道歩きを中断、帰宅しました。


 で、関宿の東の追分を過ぎた所からレポートします。
 歴史ある建物が次々と!、延々と! 続きます。
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  一の鳥居から450m、御馳走場に着きました。
(カメらを構えた所に軽トラックが来て目の前に駐車、全体を取る事が出来ませんでした。)
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御馳走場の向いにも素敵なお宅が。
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少し歩くと最近建てられて、まだ開所されていないと言う山車庫がありました。
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 ここで、突然ですが、皆さんは「せきのやま」と言う言葉をご存知ですよね?!

「せきのやま」と言うのは「精一杯」とか「これ以上できない限界」の様な意味で「なしうる限界」を現す言葉と思います。
 では「せきのやま」の語源はご存知ですか?

 多分こう書けばわかるかと 「せきのやま」→→「関の山」→→「関の山車(やま)」

 そうなんです。 関宿の方々は「なしうる限界」まで頑張って「山車」を作っておられたとの事から「せきのやま」と言う言葉が生まれ、限界を現す言葉となった様です。

で、「せきのやまかいかん(関の山車会館)」(黄緑矢印)と言うものが、新しい山車庫の隣にありました。
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御馳走場から100m弱「百五銀行」。現在の銀行で関の街並みに配慮した建物となっています。
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 この日は朝8時半頃にホテルを出て、井田川駅から亀山宿を経て関宿の1/3入った所で午後4時半。 雨で夕暮れも早く、疲れもありこの日は此処で終了に。

 で、関駅に出て初めての「西日本旅客鉄道(JR西日本)」のローカル電車で亀山駅近くのホテルに戻りました。

関駅
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初めて乗るJR西日本のローカル電車,関西本線の明るい色の電車で疲れも半減です。
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 前日迄の二日間の頑張りで、翌日は体がだるく関宿の街中を散策するだけとしました。
朝ホテルを出て関西本線の空色の電車に乗り、関宿に9時半頃に到着。

 昨日の百五銀行まで戻り西方向に散策を再開。
 百五銀行から続く旧家。
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百五銀行から150m、街道の左側岩田屋さんの西隣りが「関まちなみ資料館」です。
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まちなみ資料館は「旅籠玉屋歴史資料館」とセットで300円で内部を見学出来ます。
まちなみ資料館の内部           現在の関の街の航空写真もありました。
                 (関の街は今でも旧東海道を中心とした街並みです。)
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まちなみ資料館のはす向かいが脇本陣の鶴屋さん、
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そしてその西隣りが中町三番町の山車庫の所が「問屋場跡」です。
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 百五銀行から約200mで川北本陣がありました。
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川北本陣の説明は「関まちなみ資料館」にもありました。
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 で、川北本陣の門が近くの「延命寺」の山門として明治5年に移築されており、川北本陣の唯一の遺構となっているとの事。 と言う事で見に行ってきました。
 延命寺の住職によると、「川北本陣の門はお殿様が宿泊する際、馬に乗ったまま入場する為かなり高い門であった」 所がお寺の門としては不釣り合いな程高い門になってしまう為、門の柱の下部を切って設置したとの事。

 川北本陣の門は薬医門で、彫刻の形式などから17世紀後期の建築と見られ、屋根の鬼瓦には川北本陣の家紋である三蓋松が彫られているとの事。
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 川北本陣から西へ60m、左側に「伊東本陣跡」(矢印先)がありました。
又伊東本陣についても「まちなみ資料館」に説明がありました。
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 川北本陣から約100m、「関宿 旅籠 玉屋 歴史資料館」があり、「関まちなみ資料館」で購入したセットの入場券で入って見ました。

写真左側が「旅籠玉屋歴史資料館」で、右側は現在の旅籠「民宿の石垣屋」です。
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「旅籠玉屋歴史資料館」の内部
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江戸時代、関宿の特産は「竹火縄」だったそうです。 (クリックすると大きく表示します)

 江戸時代にはマッチやライターは無かった。
その為タバコ吸いの為の火種用等に関の火縄は良く売れ、火縄屋さんは数十軒有りかなり強引な販売も行われた様です。
(マッチは1827年にイギリスの化学者ジョン・ウォーカーが考案、日本には輸入されていたが、明治8年(1875年)頃に吉井友実が三田別邸に構えた仮工場で製造を始めた。)
(クリックすると大きく表示します)

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下写真は民宿の石垣屋さんの内部。 相部屋の宿泊もあり、まさに現在の旅籠かも?
 石垣屋さんのページ  http://www.ishigakiya.net/ryoukin.html
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「旅籠 玉屋 歴史資料館」の西隣は「関郵便局」で、立場(立札場)も設置されていた。
郵便局も歴史ある関の街並みに合わせて昔風の建物となっています。

 ここ関郵便局の地は、天正20年(1592年)徳川家康が休息した場所で、「御茶屋御殿屋敷」と呼ばれていた所です。 その後陣屋や役人の詰所などに使用されていた。
又、街道に面した所には11間もの立札場があった。
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郵便局の向いは関宿の三大銘菓の一つ「関の戸」の深川屋さんです。
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 郵便局から170m、「関地蔵院」です。
関地蔵院は、国内最古の地蔵菩薩で知られる地蔵院(通称・関のお地蔵さん)です。
天平13(741)年、奈良東大寺の僧行基が、諸国に流行した天然痘から人々を救うため、この関の地に地蔵菩薩を安置したと伝えられています。
関地蔵院のホームページ ; http://www.seki-jizoin.or.jp/index.php

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地蔵院の鐘楼です。
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 地蔵院の向いにはやっと!観光地らしいお土産屋さん等が数軒ありました。
「やっと」と言う程 旧家が約2kmも立ち並ぶ中、多くの観光地の様にお土産屋さんが立ち並んではおらず、静にゆっくりと歴史ある街並みを見学できます。 又、多くのお宅で内部も見学できる様で地元の人との会話も楽しいと思います。 私は油屋さんに寄り30分以上も話し込んでしまいました。
尚、歴史ある建物が多く、関駅構内の案内所で街並みの資料を入手、持参しながらの見学がいいかも!!!


 下写真の緑矢印先が「小万茶屋」で小万茶屋の左が会津屋(昔は旅籠の山田屋)さんで、小萬が育った旅篭として知られている。
 「関の小萬とは、 久留米藩士 牧藤左衛門が同僚に殺され、その妻が仇を追って 関迄来たが旅篭山田屋で 女子を産んで死亡。 旅篭の主人 はこの子を小萬と名付けて 育てた。 小萬は親の悲劇を 知らされ亀山で剣術修行をし やがて仇を討ち果たした。 その後恩有る山田屋で奉公し36才で亡くなった。」
小萬については関宿の入り口の「もたれの松」についても参照願います。

又、「福蔵寺」に「お萬の碑」あります。
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