So-net無料ブログ作成

伊勢国分寺跡の見学 [ 旅行 東海]

  
 1月26日に東海道五十三次の四日市宿から石薬師宿迄を歩いて来ました。 その時に旧東海道から少し寄り道をして「伊勢国分寺跡」を見学してきました。

 で、国道1号線の采女南(ウネメ ミナミ)交差点で旧東海道から外れ、県道8号線をJR河曲駅方向に曲がり、約650mで右折し路地を進み、350mで土を盛り上げ背の低い雑草の生えたただの広場の様な場所に出ます。 周りはたんぼで、ここが「伊勢国分寺跡」です。

 伊勢国分寺の住所は 三重県鈴鹿市国分町299, 



blogDSCN7070.jpg



 国分寺(こくぶんじ)は、奈良時代741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護の為、日本各地に国分僧寺と国分尼寺の建立を命じた寺院です。
 正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」

 伊勢国分寺も聖武天皇により建立された国分寺の一つで、伊勢国国分僧寺にあたる。 伊勢国分尼寺は東側の国分町集落の辺りにあったと推定されているが発見されてはいない。

ウイキペディアによる伊勢国分寺跡の説明では、
 180メートル四方で、築地塀で区画されており、主要伽藍として西寄りの南門・中門・金堂・講堂・僧坊が南から一直線に配されており、東大寺式伽藍配置と見られる。 寺域の東寄りでは、北東院・小院・掘立柱建物などが配されており、全国の国分寺でも珍しい例になる。 他方全国の国分寺に建てる事が規定されていたはずの塔(七重塔)や、鐘楼・経蔵は未だ見つかっていない。
 ウイキペディアのページ (https://ja.wikipedia.org/wiki/伊勢国分寺跡)


 伊勢国分寺は大正11年に国の史跡に指定され、昭和63年にも発掘調査、現在も史跡保存の為の整備が行われています。

史跡の記念碑等
blogDSCN7077.jpg

講堂跡
blogDSCN7087.jpg

講堂の説明
blogDSCN7083.jpg

金堂の説明,東西30.5m 南北21.9m 非常に大きかった様です!
blogDSCN7085.jpg

食堂跡
bloggDSCN7075.jpg blogDSCN7076.jpg



 尚、国分寺は、静岡県磐田市の「遠江国分寺跡」も見学しており、その時の記事は下記。
    https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-01-10



nice!(11)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

雪の亀山城周辺 [ 旅行 東海]

 
 1月26日に東海道五十三次の内「四日市宿」から「亀山宿」迄を歩こうと、亀山駅近くにホテルを予約し出発しました。 四日市の「あすなろう鉄道の赤堀駅」から歩き始め、途中快晴だったり、曇ったり、雪が舞ったりと不安定な天候でした。

 で、「四日市宿」から1つ目の「石薬師宿」に到着した時には本格的な雪になってしまい、この日は東海道五十三次歩きを中断。

 亀山第一ホテルに宿泊し、翌朝外を見た時はまだ雪が舞っていましたが、10時過ぎにはほぼ止みました。 しかし、道路には雪が積もっており、この日も東海道五十三次歩きは断念。

blogDSCN7117.jpg



 と言う事で、雪の亀山城周辺を観光する事に。  見所が一杯ありそう!




 ホテルを出て坂道を上って行き、県道566号線(旧東海道)の東町交差点に出るとお祭りらしく出店が一杯!

で、地元の人に伺ってみると「亀山大市」と言い、
 昔、旧正月を祝う準備の為町へ買い物に出る人が自然に集り、商人も売り出しを始める様になったのが由来で、百年以上も続いている伝統的な市(いち)との事。 今は1月の第4週末に行われており、旧東海道の通りである東町・本町が歩行者天国になり、1kmにわたり地元農産物や食べ物等の露店約150店が出店、各種イベントも開催され大変賑わいます。

 尚、地元の方によると「亀山大市で雪の降らなかった年はない!」との断言!
    今年も大当たりいィ~~~~~い。
blogDSCN7120.jpg


 露店の並ぶ通りをお城の方に進んで行くと右奥の方に「法因寺」と言うお寺がありました。
ここには推定樹齢300年と言われる「左巻きのカヤの木」(下写真の大木)があります。
 「左巻きのカヤ」はカヤの変種で種子が大きく、種子の殻の表面の螺旋状の線が左巻きです。 左巻きの木は少なく奈良市都祁などの9例が知られているそうです。
又、カヤの木の下には、幕末に亀山藩の藩政改革に貢献した黒田孝富のお墓がありました。

blogDSCN7126.jpg


 法因寺の入り口から約150m、左に駐車場らしき見晴らしの良さそうな場所があり入って見ました。 見渡す限り雪景色! 雪のほとんど降らない千葉県生まれにとっては絶景です!

blogDSCN7132.jpg


 で、上の駐車場らしき場所で地元の人に「樋口本陣跡は?」と伺うも分からず、私がウロウロ探すと道路左側の出店の陰の柱に「樋口本陣跡」と言う木の看板が!

blogDSCN7134.jpg


 出店の通りを更に進み「江ケ室交番前交差点」に「大手門跡」と「高札場跡」があるとの事で注意深く探したが、「大手門跡」立札だけしか見つかりませんでした。
大手門櫓は幅3間、長さ12間だそうで、明治初頭に石垣にいたるまで破却されたそうです。

blogDSCN7137.jpg


 更に「亀山神社」方向に50m進むと右側駐車場内に「亀山城東三之丸跡」の碑があり、更に進み「江ケ室交番前交差点」から約150m、「太鼓櫓跡」の立札がありました。
 太鼓櫓は江戸の中頃築城され、嘉永7年(1854)の地震で崩壊し文久2年(1862)再建されました。尚、太鼓櫓跡の下には戦国時代末期の空堀も確認されているそうです。

 亀山小学校の白い漆喰の様な塀の前を進むと、亀山城唯一(?)のお城の建物「亀山城多聞櫓」が見えてきます。 多聞櫓の骨組みは江戸時代からの物だそうです。

blogDSCN7145.jpg


多聞櫓です。
blogDSCN7165.jpg

blogDSCN7147.jpg


 多聞櫓の下には本丸で使用していた井戸が。 この井戸は岡本宗徳が亀山城築城の際(天正18年,1590年)ここにあった民家「与助鍛冶」を場外へ移転させた事から「与助井戸」と言うのだそうです。

blogDSCN7152.jpg


 亀山城多聞櫓の西隣りは「亀山神社」です。
 この神社は、江戸時代中期の延享元年(1744年)、備中国松山から石川総慶が亀山城に入城した際、城内に小祠を設けて奉斎したのが始まりだそうです。
以来、亀山城内の旧館跡に鎮座して真澂神社(ますみじんじゃ)として崇敬された。石川氏の祖である源義家と、六男の源義時、石川義純、石川家成が御祭神。

blogDSCN7158.jpg


 神社にお参りした後、亀山中学校グランドの南側の通りを歩いて行くと、中学校構内の体育館前に「藩校明倫舎跡」との碑が立っていました。
  亀山中学校の体育館前のT字路を左に曲がり、100m弱進むと左手角が亀山藩主石川家家老「加藤家の長屋門(正門)・土蔵」です。

長屋門を西から見る
blogDSCN7183.jpg

門入り口
blogDSCN7185.jpg

長屋門を東から見る
blogDSCN7196.jpg

土蔵
blogDSCN7195.jpg


亀山城南東側の外堀
blogDSCN7197.jpg


 亀山大市等を含め、ゆっくり見て回り2.5km,約3時間の散策でした。

 亀山城の多くの施設は既に無く、立札等で当時の状況を説明されており当時の状況を推察するしかなく残念でした。 施設のあった場所は既に民家や他の施設になっており、一度壊してしまうとその復活はいかに難しいか垣間見た思いです。


nice!(11)  コメント(2) 
共通テーマ:自動車

東海道53次,四日市宿から石薬師宿 その3 [ 東海道五十三次]

  
 ちょっと遅れてしまいましたが、昨年12月と先月の1月26日に東海道五十三次の内「四日市宿」から「石薬師宿」迄を歩いて来ました。
その結果を下記前2回と今回の計三回でブログに掲載します。
    https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-02
    https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-09
 
 前回迄のブログで「四日市宿」から「石薬師宿」のほぼ中間点である「日永の追分(東海道と伊伊勢神宮等の伊勢街道の分岐点)」迄をレポートしましたので、今回は「日永の追分」からをレポートします。


 追分から約200m歩くと「あすなろう鉄道」の踏切があり、左側は「追分駅」です。
旧東海道は、踏切を渡り小さな駅前広場の先で左側の路地を進みます。
 路地を真直ぐ進み日永の追分から1.1km、交差点正面の電柱には「東海道 ↱」の案内板があり右折し、更に100m程歩き「願誓寺」前を左折します。

 左折後約400mで「小古曽(おごそ)」の交差点に出ます。 左側には「あすなろう鉄道」の終点駅(始発駅?)「内部(うつべ)駅」があり寄って見ました。
blogDSCN7029.jpg

で、只今快晴!  快晴ですよ!! 

blogDSCN7032.jpg


「内部駅」のある交差点「小古曽」から更に400mで内部川の堤防に出ます。
現在は旧東海道の橋は無く、堤防を左に歩き国道1号線の橋を渡ります。
 小古曽の交差点から7・8分で堤防は薄暗い曇りに!
で、空模様は写真の様に左の四日市方向は青空! 右の亀山方向は雪雲だろうか!
blogDSCN7037.jpg

 
 橋を渡って100mの所で国道から斜め左に入るのですが、疲れていたので更に国道を100m程歩き和菓子屋さんの「菊屋本店」で昼食を兼ね和菓子を食べながら大休止です。
菊屋本店は東海地方のスイーツ本に「伊勢の赤福と並べ取上げられる」程の名店でした。
blogDSCN7042.jpg


 左上の最中の名前は「釆女の杖衝(うねめのつえつき)」、この地区の地名と史跡名がつけられていました。 丸い和菓子は「味くり」だったかな? 両方とも美味しかったですよ。
blogDSCN7039.jpg



 菊屋本店でゆっくり休んだ結果、足は軽く生き返った様な気分。
で、お店の右側の道を歩き最初の交差点を右に曲がり200m程歩き右折、更に100m強で左折し、約100m進むと「金刀比羅宮」の正面に出ます。
「金刀比羅宮」の前を左折した所から「杖衝坂」の始まりです。
blogDSCN7047.jpg


 杖衝坂は、東海道の中でも急坂な所で、
その昔、倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、大変疲れておられ「そこより、やや少しいでますにいたく疲れませるによりて、御杖をつきて、稍歩みたまひき。故、そこをなずけて杖衝坂といふ」(『古事記』)とあり、杖衝坂と称される様になった。

 坂の途中に下写真の様に石碑があり、一番手前は「史蹟 杖衝坂」の石碑、その次は常夜灯、その先の屋根の付いた石碑は芭蕉の句とその説明板です。

 芭蕉の句は「歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」との句で、馬に乗ったままこの坂にさしかかったが、急な坂のため馬の鞍とともに落馬したという事を詠んだ句で、季語の無い有名な句だそうです。
blogDSCN7051.jpg

 坂の途中の石碑等を見ていると雪が舞い始め、又すぐに止むだろうと思いながらゆっくりしていると雪は横殴りになり増々強くなり、慌ててと言うか必死で坂を上り石碑郡の所にあった2つの井戸の事を忘れ先を急ぎ、「日本武尊御血塚」も見逃してしまいました。
blogDSCN7056.jpg



 杖衝坂の石碑から約400m,6分の所では雪は止み、あァ~アッ!今の雪は何だったんだ! と思っている間に晴れてしまいました。

 雪が上がり晴れると、杖衝坂の上の綺麗な紅梅を見る余裕も!
と、予想外の位置(杖衝坂から国道に出る前の所)に101番目の「釆女(うねめ)の一里塚」の説明板(黄緑矢印)が立っていました。
blogDSCN7058.jpg

bloggDSCN7062.jpg


 多くの先人達が「「釆女の一里塚」は下写真の様にガソリンスタンドの所」と言われていたので何故説明板だけが杖衝坂の上、下写真の石碑から350mも離れた所にあるのだろう?
blogDSCN7069.jpg



 上記一里塚の石碑から650m、「釆女(うねめ)南」の交差点に到着。
私はここで左折し旧東海道から外れ約850m、天平13年(741年)頃に創建された「伊勢国分寺跡」を見学する事に。


「伊勢国分寺跡」については別途レポートします。


で、伊勢国分寺跡を見学後国道1号線の国分町の交差点に戻り、旧東海道に復帰しました。

 国分の交差点で斜め左の旧道に入り約100m程行くと「屋根裏迄雑巾がけされている」のではと思う程良く手入れされた「単直庵と延命地蔵さん」がありお参りしました。
blogDSCN7091.jpg


 国道の裏道と言える様な静かな細い道を850m程行くと再び国道に出ます。 国道を横断する地下道をくぐって国道の右側歩道に出た頃から今迄とは違うボタン雪が舞い始めました。
この頃から名所旧跡以外はただタダ黙々と先に進む様になりました。


 で、地下道から250mの所で斜め右側の旧道に入ると直ぐの所に石薬師宿の「北の地蔵尊」がありました。 ここが石薬師宿の入り口だそうです。
blogDSCN7098.jpg

blogDSCN7103.jpg


 地蔵尊では雪は本格的に降り始め、やっとたどり着いた石薬師宿なのに、本気モードでただタダ黙々と先に進みます。

北の地蔵尊から550mで、小澤本陣に到着、直ぐに写真を撮影、説明板を斜め読み!
blogDSCN7108.jpg blogDSCN7109.jpg

小澤本陣跡には今も小澤さんがお住まいになっています。
blogDSCN7112.jpg



 で、約100m、佐々木信綱さんの生家に到着。 隣には記念館も。
「佐佐木信綱」は国文学者であり、童謡「夏は来ぬ」の作詞者としても有名方です。

blogDSCN7113.jpg



 雪はますます激しくなり、佐佐木信綱記念館のロビーで雨宿りならぬ雪宿りをしていた所、記念館に来られたおばさんが「最寄りの駅迄乗せて行きますよ」との事でしたが、雪道の運転は危険と考え丁重にお断り、三重交通のバスで「JR加佐登駅」近く迄行く事に!

 所がバスは定刻になっても来ず、更に30分弱待ったがバスは来ず諦めました。 この時雪は1時間位で3~5Cm位の積雪。 タクシーを手配する為信綱記念館に戻って見ると記念館は閉館。 携帯電話でタクシー会社2社に電話するも「石薬師宿」方面に回せる車はない等でタクシーは断られてしまいました。


 しかし、予約した亀山のホテルに行く事はあきらめるわけにはいかず、かといって降りしきる雪の「回り道の多い旧東海道を庄野宿方面に歩く」のは辛すぎる。
 と言う事で、地図やカメラ等の手持ち品は全てバックに入れ、雪除けの為防寒コートのフードを立て傘を差し、国道一号線に出て1号線を真直ぐ黙々と歩き「加佐登の交差点」で斜め右の道に入り「JR加佐登駅」に到着しました。

blogDSC_00892019-1-26--17-45.jpg

 信綱記念館から「JR加佐登駅」迄は国道1号線で約3km 4000歩強でしたが、既にこの日は28000歩強歩いておりへとへとでしたが、夕方4時頃になってホテルでゆっくりするには自分の足しかないと言う状況におかれ、意地でもと歩きました。

 17時57分の電車に乗り亀山駅に到着し、もう歩く気力は全くなく、ホテルは駅からすぐでしたがタクシーに乗り、16時20分位にホテルにチェックインしました。

ホテルからの雪の状況は下の様でした。
blogDSC_00912019-1-26-21-08.jpg



nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

東海道53次,四日市宿から石薬師宿 その2 [ 東海道五十三次]

 
 ちょっと遅れてしまいましたが、先月の1月26日に東海道五十三次の内、四日市市の「あすなろう鉄道,赤堀駅」から「石薬師宿」迄を歩いて来ました。

 今回は「あすなろう鉄道の赤堀駅」を利用する為、新幹線で名古屋迄行き近鉄の名古屋駅から四日市駅へ。 昨年12月の東海道歩きでは鈴鹿山脈に雪が積もっていましたが、今回の天気予報は夕方鈴鹿山脈から亀山市付近に雪が降るとの事。 不安一杯の天候でした。

そして四日市駅に到着し「あすなろう鉄道」に乗り換え、
 (あすなろう鉄道については前回2月2日のブログを参照願います。)

blogDSCN6974.jpg blogDSCN6813.jpg

ひと駅で10時半頃に赤堀駅に到着。
blogDSCN6978.jpg


 赤堀駅を出て旧東海道を歩き始め、約500m,10分で「大宮神明社」に到着です。
 昔は現在の南高校のある岡山の麓まで海があって、その海辺に舟付明神があった。 舟付明神には天照大御神を伊勢に移す際倭姫命(やまとひめのみこと)が一時お留まりになったとの伝えもありる。 その舟付明神が四百年ほど前に炎上し、当時出来つつあった道路(東海道)にうつってきたのがこのお社です。

blogDSCN6982.jpg


 赤堀駅から1.1kmで「天白川」を渡り約100m、右手に両聖寺(りょうしょうじ)が。
両聖寺の前には四日市市の無形民俗文化財「つんつくおどり」についての説明がありました。

 踊りは、天白川の堤防を固める時に踊ったのが始まりとも、又、信長の武将滝川一益の母が実連寺境内に隠居所を作った時に地築唄に合わせ踊ったとも。
 2020年には発祥400年目を迎える踊りで、大勢の人が手をつなぎながら太鼓や笛に合わせて円陣を作って行く踊りで、現在は8月第2土・日曜に境内で催されるとの事。
ちなみに「つんつく」とは、地固め工事の様子を表しているとの事。

blogDSCN6996.jpg



 天白川から350m、右手に日永神社があり神社境内には東海道いち古い道標があります。
 
 この道標は、日永の追分の神宮遙拝鳥居の傍に立てられていた道標で、正面に「大神宮 いせおいわけ」右側面に「京」左側面に「山田」と記されており、裏面に「明暦二丙申(1656年)三月吉日」と刻まれています。
 追分の神宮遙拝鳥居が建立された時(安永3年,1774年)よりも約百二十年も前であり、東海道における最古の道標としても貴重なものです。
 嘉永2年(1849年)神宮遙拝鳥居の脇に現在の立派な道標が立てられ、この道標は近くの追分神明社の境内に移され、明治40年に追分神明社が日永神社に合祀され、道標も一緒にここに持って来られたものと推定される との事。 

blogDSCN7004.jpg

神社境内 黄緑矢印の先が東海道いち古い道標
blogDSCN7000.jpg

東海道いち古い伊勢追分の道標
blogDSCN7001.jpg



 日永神社から300m右手、民家と民家の境に日永一里塚の石碑が立っていました。
 ここは江戸日本橋から100番目の一里塚。 5m四方高さ2.5mの塚が両側に築かれ西側の塚には榎が植えられていたが明治2年に伐採され塚もなくなったとの事。 100番目と言う区切りの良い一里塚跡としては何とも淋しい限りです。

blogDSCN7009.jpg


 更に400m程歩くと「名残りの一本松」に到着。 この辺りは昔、松並木だった様ですが今はこの一本のみになってしまったとの事。 松の木も1人では淋しいだろうに!
下写真は京に向かっては逆光だったので、江戸方向に向かって撮ってみました。

blogDSCN7013.jpg


 「名残りの一本松」から約700m、古風な建物からハイキング姿をした多くの方々が出てこられたので覗いてみると「東海道日永郷土資料館」との事でした。
 多少疲れていたので中に入りゆっくり休み、 お茶もご馳走になりました。
 尚、日永の追分はまだまだ先と思っていましたが、資料館の方が「すぐそこだよ!」との事で外に出てみると遠目に鳥居(矢印先)の様な物が見えました。

blogDSCN7014.jpg



 で、歩く事200m、日永の追分に到着です。
ここは下写真の様に伊勢神宮方向(黄色矢印,伊勢街道)と 京方向(黄緑矢印,東海道)の分かれ道「追分」で、Y字型の中央の三角地帯は小さな公園の様になっていました。
blogDSCN7017.jpg

 三角地帯に立っている神宮遙拝鳥居は二の鳥居と言われています。
(ちなみに一の鳥居は桑名の揖斐川河原の「七里の渡し跡」公園の鳥居だそうです。)
 ここの鳥居は伊勢神宮式年遷宮に合わせ建て替えられ、現在の鳥居は伊雑宮(いざわのみや)の鳥居を平成28年10月に移設して建てられています。
 伊勢神宮 伊雑宮のページ : http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/izawa.html
 尚、神宮遙拝鳥居の両脇には石碑があり、前に書いた日永神社の道標に変わる「立派な道標」は多分右の物だろうと思いますが調査不足で確たる事は?
blogDSCN7018.jpg

神宮遙拝鳥居等について下写真の石碑で説明がなされていました。
blogDSCN7022.jpg

 更に追分の中央には井戸もありました。
 この名水は、 昭和4年地元実業家稲垣末吉さんが、約500m西の丘陵地の麓 泊山(とまりやま)に別荘を建て井戸を掘った所とても良い水が湧き出した為、自費で配管を敷設し日永の追分まで引き、旅人達に提供したとの事。
又、この名水は水質検査が行われ、結果を下写真黄緑矢印の位置に貼られていました。
blogDSCN7020.jpg



 日永の追分をゆっくり見学。 追分を離れる12時半頃には又雪が舞い始め、雪が舞ったり晴れたり曇ったりと非常にあやしい天気が続きました。


 今回1月26日の東海道歩きをまとめ始めた所、どんどん長ったらしくなってしまい、ブログへの投稿も延びのびになってしまっています。 で、区切りの良い日永の追分でいったん区切り近々「その3」を投稿したいと思います。

nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

東海道53次,四日市宿から石薬師宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 先日、1月26日から四日市から石薬師宿を経て亀山宿方面を目指し歩いて来ました。

 実は昨年12月、三重県の桑名宿から四日市宿迄歩いた時に、少しでも先に進んでおこうと四日市宿から「あすなろう鉄道の赤堀駅」迄を歩いておきました。


 前回12月の東海道五十三次では、四日市市の「黒川本陣」を受け継ぐ「黒川農薬商会」の前を通って「表参道 スワマエ」商店街アーケードを通過し、「近鉄四日市駅」と「JR四日市駅」を結ぶ街路樹のある中央通りに出ます。

写真は中央通りで黄緑矢印先の路地が旧東海道です。
blogDSCN6801.jpg


中央通りから約200m、小説家で文化勲章を受けた丹波文雄さん生誕の「崇顕寺」です。
保育園も併設されており、お寺さんとは思えないつくりです。
  丹波文雄さんの紹介ページ https://ja.wikipedia.org/wiki/丹羽文雄
blogDSCN6804.jpg


 中央通りから1.0kmの所で左方向に曲がり「あすなろう鉄道」と並行して300m程歩き、右の路地を覗くと赤堀駅です。
blogDSCN6806.jpg


 この日は約1.8万歩歩き、前日の3.3万歩の疲労もたまっており、ここで「あすなろう鉄道」に乗って四日市駅に出て帰宅する事にしました。

 あすなろう鉄道はレールの幅が762mmと狭軌(ナローゲージ,JR在来線は1067mm)、
2012年頃には廃線の危機もありましたが、今は官民協力し写真の様な綺麗な外観で車内は両側に2列の座席で、駅や線路も含め清潔感ある鉄道でした。
 又、列車の本数も日永ー近鉄四日市間は通勤時間帯で6本,昼間でも4本もあり、列車の時間を気にせず行動できます。
  あすなろう鉄道の紹介記事 https://ja.wikipedia.org/wiki/四日市あすなろう鉄道

blogDSCN6812.jpg

blogDSCN6976.jpg




 12月の時は桑名宿を色々観光した事も有り、自分でもびっくりするほど歩数は伸びましたが、五十三次の進み具合は予定の2/3位でした。

 そんな事も有り、先日1月26日に赤堀駅から石薬師宿・庄野宿経て亀山宿迄を目指して歩く事にしました。

所が大雪に見舞われ、予定の1/3程度に終わってしまいました!!!
その様子は次回のブログにて!

nice!(14)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車