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東海道五十三次 亀山宿 から 関宿 その1 [ 東海道五十三次]

 先月石薬師宿から関宿迄を歩き、「石薬師宿から庄野宿」や「東海道五十三次 庄野宿 から 亀山宿 その1」・「その2」のブログで亀山宿迄をレポートしました。
今回は亀山宿から関宿迄をレポートします。


 4月17日は井田川駅から歩き始め、亀山宿の京口坂橋に着いた時には午後1時を回っており、しかも霧雨が降ったりやんだりの非常に不安定な天気でした。 それでも亀山駅近くのホテルに戻らず関迄歩く事にしました。


 京口坂橋から約150m歩いた所で、軽食の「一休処骨董カフェ」を見つけ昼食替わりに何か食べようと入って見ました。 中には骨董品を買いに来られた人達もいました。
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で、私は昼食替わりにと「ぜんざい」を頂きました。
尚、ここは下右写真の様に国の有形文化財だそうです。
                    写真をクリックする大きく表示します。
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 ぜんざいを食べ、ゆっくり休息をしている間にカフェから見える中庭では、徐々に霧雨から雨に変わって行きました。 が、歩くと決めたのでリュックから傘を出し歩き始めました。


 一休処骨董カフェから650m、野村一里塚に出ました。
ここの一里塚は以前は街道の南北にあったが、大正3年南側の塚は取り払われ北のみとなり、今では三重県の東海道では唯一昔から続く一里塚となってしまいました。

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 一里塚から道なりに歩き650m、地図上で毘沙門天と書かれたY字路を右側に行き、さらに150m程歩いた所で、左側に森の様に樹木に囲まれた神社がありました。 門前右の説明板を見ると「布氣皇舘(ふけこうたつ)太神社」との事。 長い参道を歩き中に入ってお参りをしてきました。
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 布氣皇舘太神社を出て道なりに歩き550mで関西本線の陸橋を越え、少し進むと桜並木の道になり陸橋から約500mで鈴鹿川の堤防となります。
 この辺りが大岡寺畷(たいこうじなわて)との事。
 「大岡寺畷は、約2kmにわたって鈴鹿川沿いに築かれた堤の上を通る畷で、東海道の畷の中では随一の長さとされています。」との事で詳細は下の写真を見て下さい。

 旧東海道は、関西本線の陸橋から750mで高速道路の下を通り、更に川沿いの堤を雨の中1.6km程歩き再び関西本線出会い、踏切を越えます。 踏切のすぐ先の国道1号線の「小野川橋東詰」の陸橋を渡り左に曲がり1号線沿いに進みます。
鈴鹿川
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大岡寺畷の説明板(写真をクリックすると拡大されます) 雨の鈴鹿川の堤         
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国道1号線を小野川橋東詰交差点から200m弱で関宿に入って行きます。
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 関宿への入り口には「関の小萬(こまん)のもたれ松」という碑がありました。
 「江戸中期、九州久留米藩士牧藤左衛門(まきとうざえもん)の妻はおっとの仇を討とうと志し、旅を続けて関宿山田屋に止宿一女小萬を生んだ後病没した。 小萬は母の遺言により成長して3年程亀山城下で武術を修行し、天明3年(1783年)見事、仇敵軍大夫を討つ事ができた。」
 この場所には、当時武術の修行の為亀山通いの小萬が、若者の戯れを避ける為に姿をかくしてもたれたと伝えられる松があった所から「小萬のもたれ松」とよばれる様になった。・・・
今は、多分この木が松だったろうと思われる小さな切り株がありました。

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 旧東海道は国道一号線から別れて550m、伊勢神宮一の鳥居に出ました。
 この鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際古くなった鳥居を移築した物で、ここは「伊勢別街道」との東の追分(分かれ道)で、津から伊勢街道に入り「伊勢神宮」へとつながります。
 又、東海道を歩いた先人のレポートでは「常夜灯の裏に一里塚」との事で、鳥居の裏を見ると確かに「関一里塚」の碑がありました。
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 この伊勢神宮一の鳥居(東の追分)から関宿の古い街並みが始まり西の追分迄1.8kmも続き、江戸・明治に建てられた建物が200軒余りも残っています。 又、国の「重要伝統的建造物群保存地区」や「日本の道100選」のひとつに選ばれている地区でもあります。
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 で、鳥居の斜向いにはいきなり200年以上経ている歴史のある建物「岩間家」です。
ここは屋号を白木屋と言い、主に東の追分で稼ぐ人足や車夫の定宿だった。 人力車が登場してからは常に30台が客待ちだったそうです。(レンズに雨粒が付いてしまいました)

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 で、歴史ある建物が次々と!、延々と! 続きますので、今回は一旦ここで中断。
 「東海道五十三次 亀山宿 から 関宿 その2(関宿の街並み)」に続きます。
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千葉県佐倉市の 佐倉順天堂記念館 と 佐倉藩武家屋敷 [ 旅行 関東(除く東京・神奈川)]

 5月11日にサクラ・オートヒストリーフォーラムに参加して来ました。 せっかく100km以上も走って佐倉市に来たのでと、一泊して市内の名所旧跡の一部だけでもと思い見学してきました。


 オートヒストリーフォーラムが午後3時過ぎに終わりましたので、荷物を纏め直ぐにナビを「佐倉順天堂記念館」にセット! 
 で、約15分成田街道との交差点「本町」に到着。
 しかし、めだった看板が無く「佐倉順天堂記念館」は何処! どこ! この交差点の近くにあるはずなのに! ナビでは到着の表示ながら記念館が見つからず迷子状態!
本町交差点付近を一周。 やっと見つかりました。
(本町交差点の右斜め前にあったのですが、看板を見落としました。)

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 「佐倉順天堂」は、長崎に遊学後江戸に蘭医学塾「和田塾」を開いていた蘭医「佐藤泰然」が佐倉藩主「堀田正睦」の招きを受け、佐倉に移り住み天保14年(1843年)にオランダ医学塾「順天堂」を開きました。 当時としては最高水準の外科手術を中心に実践的な医学教育と治療が行われていたとの事。
(その後東京等に病院を開院し、昭和21年順天堂医科大学を開校、昭和26年には順天堂大学を開学し、現在の順天同病院や大学にと発展しています。)

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現在の「記念館」は下模型の内黄緑矢印の建物のみが現存、開放されています。
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館内には創始者についての説明や歴史的な書物等が展示され、
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当時の手術道具や顕微鏡も展示されています。
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 私が見学中、近くの中学校の歴史クラブの生徒10名位や順天堂大学の学生さん等が見学に来られていました。
学校法人 順天堂のホームページ;https://www.juntendo.ac.jp/corp/history/
佐倉順天堂記念館の佐倉市のページ;http://www.city.sakura.lg.jp/0000001196.html



「順天堂記念館」見学後、新町地区に移動し、
「佐倉一里塚 町並み情報館」に向かいましたが、到着した時には既に閉館。
(昔、ここに一里塚があったわけではなく、街の情報を提供する為に情報館の人達が付けた名前だそうです。 又、この情報館の建物は下右の様に呉服屋さんだったそうです。)

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「佐倉新町おはやし館」にも寄って見ました。 ここは開館しており、「山車が火災で燃えてしまった地区の復活」等色々なお話を聞く事が出来ました。
(下写真左に江戸時代の「立場」の様な物がありますが、街の情報を伝える為に「立場」を模したとの事。)
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佐倉市の「佐倉新町おはやし館」のホームページ;http://www.city.sakura.lg.jp/0000011805.html


 で、午後5時を大きく回ってしまったので、JR佐倉駅近くのホテルに宿泊。
翌日早めに出発し「佐倉市武家屋敷」を見学しに。 佐倉には昭和57年当時24棟の武家屋敷が確認されており全国一の数だそうです。

 私が見学に行った武家屋敷は佐倉市の宮小路町の3棟でした。
尚、3棟の隣には「侍の杜」もあり、更にその向かいには外観は改造されている物の内部は武家屋敷の原型をとどめている堀江家住宅(非公開)もありました。
佐倉市の武家屋敷に関するページ ; http://www.city.sakura.lg.jp/0000000617.html

3棟が並ぶ通り
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3棟の見学には旧川原家を入って左の事務所で入館料(210円)を払って入ります。

旧河原家住宅
 旧河原家のみ建物内に上がる事は不可でした。
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茅葺屋根の一部がふき替えられていました。
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家具や化粧道具等が展示されていました。
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旧但馬家住宅
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旧武居家住宅
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この住宅は近くから移築されたものだそうです。 写真をクリックすると拡大します。
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武家屋敷から約100m先に進むと竹林の中を歩く「ひよどり坂」がありました。
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竹林の小道は素敵でした。
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 早朝9時に武家屋敷の見学に行きましたが次々と見学客が来られていました。 で、清掃されていた方に伺った所、最近ここの武家屋敷がTV報道(詳細は不明)され、お客さんが増えたとの事。


 駐車場ではこんな写真も撮らせて頂きました。

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ジャガー Eタイプ で サクラ・オートヒストリーフォーラムに参加 その2 [クラシックカーショー]

 
 5月11日に千葉県佐倉市の草ぶえの丘で行われた題記クラシックカーショーに参加して来ました。 ショーの概要は前回のブログでレポートしましたので、今回はショーのテーマだった「ダットサン」の主な参加車を紹介します。


1937年型,ダットサン
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スポーツカーの変遷

1952年型,ダットサン スポーツ (販売期間1952年~1954年,860cc)
 赤白のツートンカラーは下記フェアレディ
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1960年型,ダットサン フェアレディ (販売期間 1959年~1962年,1000cc/1200cc) 
 このモデルは輸出車のみフェアレディ,国内販売車はダットサンスポーツ
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1968年型,ダットサン フェアレディ2000 当初1500cc 3人乗り,のちに2人乗りに
 (販売期間 1962年~1970年,1500cc/1600cc/2000cc)
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1967年型,ニッサン シルビア (販売期間 1965年~1968年,1600cc)
(フェアレディ1600のシャシーやエンジンをベースにニッサンブランドの高級スポーツ車)
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1973年型,フェアレディZ (販売期間 1969年~1978年,2000cc~2800cc)
  このモデルから"Z"が付いた。 写真のヘッドランプカバーはオプションです。
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セダンの変遷

1958年型,ダットサン 210系セダン (販売期間 1957年~1959年,1000cc)
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1963年型,ダットサンブルーバード 310系(販売期間 1959年~1963年,1000cc/1200cc)
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(販売期間
1966年型,ダットサン ブルーバード410系(販売期間 1963年~1967年,1000cc~1600cc)
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1970年型,ダットサン ブルーバード510系(販売期間 1967年~1972年,1300cc~1800cc)
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尚、1967年,ダットサン サニー B110系 (販売期間 1966年~1970年,1000cc)が加わりました。
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 で、サクラ・オートヒストリーフォーラムは15時過ぎに解散となり、せっかく佐倉市に来たのでと「佐倉順天堂記念館」や「佐倉藩の武家屋敷」等を見学しましたので次回レポートします。


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ジャガー Eタイプ で サクラ・オートヒストリーフォーラムに参加 その1 [クラシックカーショー]

 
 5月11日、千葉県佐倉市の草ぶえの丘で行われた題記クラシックカーショーに参加して来ました。

 会場は自宅から100km以上離れており、又、暑さに弱いジャガー E タイプの為、早朝5時20分に家を出て横浜市の湾岸道路から東関東自動車道に乗り継ぎ、四街道インターで高速を降り会場の草ぶえの丘に。

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 で、会場に7時過ぎに到着し、係員の案内で正門を入って直ぐの右側駐車場に駐車する事が出来ました。

早い到着の為他の参加車はまばらでした。 会場のスタッフの方々は開場に向け大忙し。
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少しすると続々と参加車が到着し、最終的には110台を上回ったそうです。
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9時30分頃に開会式が行われました。
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10時には、20台の車が佐倉市内のパレードに出発。 約9kmのコースだそうです。
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で、会場を一回りして多くの参加車をゆっくり拝見させて頂きました。
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ボルボはグループで参加された様でした。
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いすゞのジェミニや初代三菱コルトギャラン等も
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初代コルトギャランは綺麗でした。
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相変わらず日産の旧車は多数参加しておられました。 それも多くの車種が!!!
 日産車が多いのは、下記講演会「ダットサンの歴史」でも語られていましたが、何より丈夫で長持ちする車を作っていた事、そして比較的多くの旧車用部品を市場に提供していた事だろうと思います。
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 今回のフォーラムのテーマは「ダットサン」で、クラシックカー展示場のメインステージ近くには多くの「ダットサン車」「ニッサン車」が展示されていました。
 それらについては「ジャガー Eタイプ で サクラ・オートヒストリーフォーラムに参加 その2」で紹介します。


 で、旧車展示場脇の体育館では、ダットサン会の副会長石川和夫さんによる「ダットサンの歴史」について約1時間の特別講演が行われ、多くの方が聞き入っていました。
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講演の内容は下記の様でした。 
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午後3時頃に各賞の表彰と閉会式が行われ解散となり、私は佐倉に一泊し「佐倉順天堂記念館」や「佐倉藩の武家屋敷」等を見学させて頂きました。
(武家屋敷はTV放送された事も有り見学者が増えたそうです。 見学した結果も後日レポートします。)


 所で、ここ数回にわたり「東海道五十三次」の内「石薬師宿から関宿迄」を連載してきましたが、佐倉のクラシックカーショーを優先してレポートします。
その後、東海道の続きをレポートします。


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東海道五十三次 庄野宿 から 亀山宿 その2 [ 東海道五十三次]

 
 先月石薬師宿から関宿迄を歩き、その内前々回のブログで「石薬師宿から庄野宿」を、前回のブログで「東海道五十三次 庄野宿 から 亀山宿 その1」で庄野宿から亀山宿に向かって井田川駅迄をレポートしました。
今回は井田川駅から亀山宿迄をレポートします。


 ホテルを出て、8時45分頃に井田川駅(下写真)に着き歩き始めました。
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 歩き始めてすぐ、最初の記念碑は「旧井田川小学校跡」でした。
 自分の出身校が無くなった方にとっては、その跡地に行かれた時の淋しさは相当な物だろうと思います! 尚、この記念碑は旧井田川小学校の校門の門柱だったそうです。
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 井田川駅前から旧井田川小学校前を通って道なりに約400mで国道1号線に出ます。 陸橋を渡り国道と直角方向の道を100m弱進み左折します。
 左折し道なりに真直ぐ進み椋川の橋を渡り、国道1号線の下をくぐり、更に道なりに進み左折した所から900mで和田の道標がありました。

 「和田の道標」は東海道から鈴鹿市の神戸,白子,若松方面に行く分岐に建てられた物で、亀山城下の若松港にいたる重要な分岐点でした。
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 和田の道標から道なり右カーブして行くとゆるやかな上り坂となり、小さな川を渡ると桜並木の急坂となります。 その坂の上り始めの右に「那智山 松寿院 石上寺」がありました。
 石上寺は延暦15年(796年)に新熊野三社(いまくまのさんしゃ)の神宮寺として開創されたという歴史のあるお寺で、鎌倉から室町時代の古文書が20通(21点)も残されているとの事。
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寺の最上部には鐘楼もありました。
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 石上寺を出て坂を上り約300m、江戸から104里の和田一里塚に出ました。
昭和59年迄は昔の一里塚の一部が残されていたそうですが、道路の拡張で現在の塚は塚の跡地の東側に模式復元したものだそうです。
 (所でこの塚の前は何時も車が止まっている様で、多くの方が「残念」とか「車が出るのを待って写真を」とか書いています。 私も塚に到着した時にちょうど軽自動車が来て止まってしまったので塚の裏で休息をしながら車の出るのを待って写真を撮りました。)
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 和田の一里塚から700m歩くとカメヤマ株式会社です。
 この会社は1927年に谷川兵三郎さんがローソクを作る「谷川蝋燭製造所」を立ち上げ、その後明かりは電灯に変わる中キャンドルの活用等多くのローソクに関する事業を開拓し、今は国内のシェア―60%をほこっているそうです。
 カメヤマローソクに関するページ
  https://www.nttcom.co.jp/comzine/no092/long_seller/index.html

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 カメヤマ㈱さんの西の端の向いに「能褒野神社二の鳥居」があり、木の案内板には「従是西亀山宿』と書かれており、ここからが亀山宿の様です。 又、「屋号」等の説明板がありましたが、どの説明板も字が消えかかっており読むのにちょっと苦労しました。
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 能褒野神社二の鳥居の一軒隣りには「露心庵跡」の説明板がありました。
天正12年(1584年)神戸正武か亀山城を急襲したが関万鉄斎が撃退。この合戦の時の死者を城下東端に2ヶ所の塚を築き葬ったとの事。 詳細は下写真を参照願います。
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 能褒野神社二の鳥居から300m亀山本町郵便局前の交差点に着き、左を見ると小さな公園がありそこには「巡見道」と言う看板が。 「巡見道」や下説明板の「巡見使」は初めて聞く言葉ですが、地方巡回視察(時代劇の水戸黄門の様な?)の様な事が江戸時代にも行われていたと言う事の様です。 
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 亀山本町郵便局から道なり700mで県道566号に突き当たります。
 ここが「江戸口門」で、下右の説明板によると相当大きな施設だった様で、当時の旅人がここに到着した時にはその大きさに驚き、曲輪内を通る時は緊張しただろうと想像します。
で、東海道は下写真の様に右折して、県道566号を亀山城方向に向かいます。
                        写真をクリックすると拡大します。
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 江戸口門から100mで東町交差点に出ました。 前回1月26~28日に来た時は大雪(下右写真)の翌日で「亀山大市」の日でした。
地元の方に伺った所「亀山大市の日には雪が降る」と言う特異日だそうです。
 前回1月27日に亀山城近辺を散策した時のblogは下記
  https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-19
                        写真をクリックすると拡大します。
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 江戸口門から200mで、左側の「東町ふれあい広場(旧佐川邸跡)」前を通り、約400mで樋口本陣跡に着きます。 この頃から何となく雲行きが怪しくなりました。 雨??!!
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 樋口本陣から50m強、江ケ室交番前交差点を左に曲がり坂を下り、江ケ室交番前交差点から約400m、県道302号との交差点に出ます。
 この交差点の向こう側には小さな公園と石碑があり、旧東海道はこの公園脇の急坂を上って右折します。 又、右折して直ぐに左の旧家の玄関脇に「とんやば」の表札が。
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 右折して200m強、素晴らしい旧家と白壁の旧舘家がありました。
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 旧舘家から50m強で道なり右折して、更に70m進むと小さな公園の様な「亀山城 西ノ丸・外堀跡」に突当り、そこを左折して200m竜川(たつかわ)にかかる京口坂橋に出ます。 ここが歌川広重の浮世絵「亀山宿,「雪晴」です。
(1月27日、せっかく雪の後に亀山城周辺を歩いたので「ここ迄足を延ばせば良かった」と悔やまれてなりません。)

現在の「京口坂橋」               blogDSCN7769.jpg

歌川広重の「亀山宿,「雪晴」
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京口門跡には下の様な説明板がありました。写真をクリックすると拡大表示します。
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 京口門付近では霧雨が舞ったり、止んだりとはっきりしない天候で、「亀山駅に戻る」か「関宿迄進む」か悩みながらゆっくり歩き、結局「ここまで来て駅に戻るのは無駄」と関宿迄歩く事に。

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