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伊勢国分寺跡の見学 [ 東海道五十三次]

  
 1月26日に東海道五十三次の四日市宿から石薬師宿迄を歩いて来ました。 その時に旧東海道から少し寄り道をして「伊勢国分寺跡」を見学してきました。

 で、国道1号線の采女南(ウネメ ミナミ)交差点で旧東海道から外れ、県道8号線をJR河曲駅方向に曲がり、約650mで右折し路地を進み、350mで土を盛り上げ背の低い雑草の生えたただの広場の様な場所に出ます。 周りはたんぼで、ここが「伊勢国分寺跡」です。

 伊勢国分寺の住所は 三重県鈴鹿市国分町299, 



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 国分寺(こくぶんじ)は、奈良時代741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護の為、日本各地に国分僧寺と国分尼寺の建立を命じた寺院です。
 正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」

 伊勢国分寺も聖武天皇により建立された国分寺の一つで、伊勢国国分僧寺にあたる。 伊勢国分尼寺は東側の国分町集落の辺りにあったと推定されているが発見されてはいない。

ウイキペディアによる伊勢国分寺跡の説明では、
 180メートル四方で、築地塀で区画されており、主要伽藍として西寄りの南門・中門・金堂・講堂・僧坊が南から一直線に配されており、東大寺式伽藍配置と見られる。 寺域の東寄りでは、北東院・小院・掘立柱建物などが配されており、全国の国分寺でも珍しい例になる。 他方全国の国分寺に建てる事が規定されていたはずの塔(七重塔)や、鐘楼・経蔵は未だ見つかっていない。
 ウイキペディアのページ (https://ja.wikipedia.org/wiki/伊勢国分寺跡)


 伊勢国分寺は大正11年に国の史跡に指定され、昭和63年にも発掘調査、現在も史跡保存の為の整備が行われています。

史跡の記念碑等
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講堂跡
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講堂の説明
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金堂の説明,東西30.5m 南北21.9m 非常に大きかった様です!
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食堂跡
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 尚、国分寺は、静岡県磐田市の「遠江国分寺跡」も見学しており、その時の記事は下記。
    https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-01-10



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東海道53次,四日市宿から石薬師宿 その3 [ 東海道五十三次]

  
 ちょっと遅れてしまいましたが、昨年12月と先月の1月26日に東海道五十三次の内「四日市宿」から「石薬師宿」迄を歩いて来ました。
その結果を下記前2回と今回の計三回でブログに掲載します。
    https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-02
    https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2019-02-09
 
 前回迄のブログで「四日市宿」から「石薬師宿」のほぼ中間点である「日永の追分(東海道と伊伊勢神宮等の伊勢街道の分岐点)」迄をレポートしましたので、今回は「日永の追分」からをレポートします。


 追分から約200m歩くと「あすなろう鉄道」の踏切があり、左側は「追分駅」です。
旧東海道は、踏切を渡り小さな駅前広場の先で左側の路地を進みます。
 路地を真直ぐ進み日永の追分から1.1km、交差点正面の電柱には「東海道 ↱」の案内板があり右折し、更に100m程歩き「願誓寺」前を左折します。

 左折後約400mで「小古曽(おごそ)」の交差点に出ます。 左側には「あすなろう鉄道」の終点駅(始発駅?)「内部(うつべ)駅」があり寄って見ました。
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で、只今快晴!  快晴ですよ!! 

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「内部駅」のある交差点「小古曽」から更に400mで内部川の堤防に出ます。
現在は旧東海道の橋は無く、堤防を左に歩き国道1号線の橋を渡ります。
 小古曽の交差点から7・8分で堤防は薄暗い曇りに!
で、空模様は写真の様に左の四日市方向は青空! 右の亀山方向は雪雲だろうか!
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 橋を渡って100mの所で国道から斜め左に入るのですが、疲れていたので更に国道を100m程歩き和菓子屋さんの「菊屋本店」で昼食を兼ね和菓子を食べながら大休止です。
菊屋本店は東海地方のスイーツ本に「伊勢の赤福と並べ取上げられる」程の名店でした。
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 左上の最中の名前は「釆女の杖衝(うねめのつえつき)」、この地区の地名と史跡名がつけられていました。 丸い和菓子は「味くり」だったかな? 両方とも美味しかったですよ。
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 菊屋本店でゆっくり休んだ結果、足は軽く生き返った様な気分。
で、お店の右側の道を歩き最初の交差点を右に曲がり200m程歩き右折、更に100m強で左折し、約100m進むと「金刀比羅宮」の正面に出ます。
「金刀比羅宮」の前を左折した所から「杖衝坂」の始まりです。
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 杖衝坂は、東海道の中でも急坂な所で、
その昔、倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の帰途、大変疲れておられ「そこより、やや少しいでますにいたく疲れませるによりて、御杖をつきて、稍歩みたまひき。故、そこをなずけて杖衝坂といふ」(『古事記』)とあり、杖衝坂と称される様になった。

 坂の途中に下写真の様に石碑があり、一番手前は「史蹟 杖衝坂」の石碑、その次は常夜灯、その先の屋根の付いた石碑は芭蕉の句とその説明板です。

 芭蕉の句は「歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬かな」との句で、馬に乗ったままこの坂にさしかかったが、急な坂のため馬の鞍とともに落馬したという事を詠んだ句で、季語の無い有名な句だそうです。
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 坂の途中の石碑等を見ていると雪が舞い始め、又すぐに止むだろうと思いながらゆっくりしていると雪は横殴りになり増々強くなり、慌ててと言うか必死で坂を上り石碑郡の所にあった2つの井戸の事を忘れ先を急ぎ、「日本武尊御血塚」も見逃してしまいました。
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 杖衝坂の石碑から約400m,6分の所では雪は止み、あァ~アッ!今の雪は何だったんだ! と思っている間に晴れてしまいました。

 雪が上がり晴れると、杖衝坂の上の綺麗な紅梅を見る余裕も!
と、予想外の位置(杖衝坂から国道に出る前の所)に101番目の「釆女(うねめ)の一里塚」の説明板(黄緑矢印)が立っていました。
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 多くの先人達が「「釆女の一里塚」は下写真の様にガソリンスタンドの所」と言われていたので何故説明板だけが杖衝坂の上、下写真の石碑から350mも離れた所にあるのだろう?
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 上記一里塚の石碑から650m、「釆女(うねめ)南」の交差点に到着。
私はここで左折し旧東海道から外れ約850m、天平13年(741年)頃に創建された「伊勢国分寺跡」を見学する事に。


「伊勢国分寺跡」については別途レポートします。


で、伊勢国分寺跡を見学後国道1号線の国分町の交差点に戻り、旧東海道に復帰しました。

 国分の交差点で斜め左の旧道に入り約100m程行くと「屋根裏迄雑巾がけされている」のではと思う程良く手入れされた「単直庵と延命地蔵さん」がありお参りしました。
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 国道の裏道と言える様な静かな細い道を850m程行くと再び国道に出ます。 国道を横断する地下道をくぐって国道の右側歩道に出た頃から今迄とは違うボタン雪が舞い始めました。
この頃から名所旧跡以外はただタダ黙々と先に進む様になりました。


 で、地下道から250mの所で斜め右側の旧道に入ると直ぐの所に石薬師宿の「北の地蔵尊」がありました。 ここが石薬師宿の入り口だそうです。
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 地蔵尊では雪は本格的に降り始め、やっとたどり着いた石薬師宿なのに、本気モードでただタダ黙々と先に進みます。

北の地蔵尊から550mで、小澤本陣に到着、直ぐに写真を撮影、説明板を斜め読み!
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小澤本陣跡には今も小澤さんがお住まいになっています。
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 で、約100m、佐々木信綱さんの生家に到着。 隣には記念館も。
「佐佐木信綱」は国文学者であり、童謡「夏は来ぬ」の作詞者としても有名方です。

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 雪はますます激しくなり、佐佐木信綱記念館のロビーで雨宿りならぬ雪宿りをしていた所、記念館に来られたおばさんが「最寄りの駅迄乗せて行きますよ」との事でしたが、雪道の運転は危険と考え丁重にお断り、三重交通のバスで「JR加佐登駅」近く迄行く事に!

 所がバスは定刻になっても来ず、更に30分弱待ったがバスは来ず諦めました。 この時雪は1時間位で3~5Cm位の積雪。 タクシーを手配する為信綱記念館に戻って見ると記念館は閉館。 携帯電話でタクシー会社2社に電話するも「石薬師宿」方面に回せる車はない等でタクシーは断られてしまいました。


 しかし、予約した亀山のホテルに行く事はあきらめるわけにはいかず、かといって降りしきる雪の「回り道の多い旧東海道を庄野宿方面に歩く」のは辛すぎる。
 と言う事で、地図やカメラ等の手持ち品は全てバックに入れ、雪除けの為防寒コートのフードを立て傘を差し、国道一号線に出て1号線を真直ぐ黙々と歩き「加佐登の交差点」で斜め右の道に入り「JR加佐登駅」に到着しました。

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 信綱記念館から「JR加佐登駅」迄は国道1号線で約3km 4000歩強でしたが、既にこの日は28000歩強歩いておりへとへとでしたが、夕方4時頃になってホテルでゆっくりするには自分の足しかないと言う状況におかれ、意地でもと歩きました。

 17時57分の電車に乗り亀山駅に到着し、もう歩く気力は全くなく、ホテルは駅からすぐでしたがタクシーに乗り、16時20分位にホテルにチェックインしました。

ホテルからの雪の状況は下の様でした。
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東海道53次,四日市宿から石薬師宿 その2 [ 東海道五十三次]

 
 ちょっと遅れてしまいましたが、先月の1月26日に東海道五十三次の内、四日市市の「あすなろう鉄道,赤堀駅」から「石薬師宿」迄を歩いて来ました。

 今回は「あすなろう鉄道の赤堀駅」を利用する為、新幹線で名古屋迄行き近鉄の名古屋駅から四日市駅へ。 昨年12月の東海道歩きでは鈴鹿山脈に雪が積もっていましたが、今回の天気予報は夕方鈴鹿山脈から亀山市付近に雪が降るとの事。 不安一杯の天候でした。

そして四日市駅に到着し「あすなろう鉄道」に乗り換え、
 (あすなろう鉄道については前回2月2日のブログを参照願います。)

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ひと駅で10時半頃に赤堀駅に到着。
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 赤堀駅を出て旧東海道を歩き始め、約500m,10分で「大宮神明社」に到着です。
 昔は現在の南高校のある岡山の麓まで海があって、その海辺に舟付明神があった。 舟付明神には天照大御神を伊勢に移す際倭姫命(やまとひめのみこと)が一時お留まりになったとの伝えもありる。 その舟付明神が四百年ほど前に炎上し、当時出来つつあった道路(東海道)にうつってきたのがこのお社です。

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 赤堀駅から1.1kmで「天白川」を渡り約100m、右手に両聖寺(りょうしょうじ)が。
両聖寺の前には四日市市の無形民俗文化財「つんつくおどり」についての説明がありました。

 踊りは、天白川の堤防を固める時に踊ったのが始まりとも、又、信長の武将滝川一益の母が実連寺境内に隠居所を作った時に地築唄に合わせ踊ったとも。
 2020年には発祥400年目を迎える踊りで、大勢の人が手をつなぎながら太鼓や笛に合わせて円陣を作って行く踊りで、現在は8月第2土・日曜に境内で催されるとの事。
ちなみに「つんつく」とは、地固め工事の様子を表しているとの事。

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 天白川から350m、右手に日永神社があり神社境内には東海道いち古い道標があります。
 
 この道標は、日永の追分の神宮遙拝鳥居の傍に立てられていた道標で、正面に「大神宮 いせおいわけ」右側面に「京」左側面に「山田」と記されており、裏面に「明暦二丙申(1656年)三月吉日」と刻まれています。
 追分の神宮遙拝鳥居が建立された時(安永3年,1774年)よりも約百二十年も前であり、東海道における最古の道標としても貴重なものです。
 嘉永2年(1849年)神宮遙拝鳥居の脇に現在の立派な道標が立てられ、この道標は近くの追分神明社の境内に移され、明治40年に追分神明社が日永神社に合祀され、道標も一緒にここに持って来られたものと推定される との事。 

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神社境内 黄緑矢印の先が東海道いち古い道標
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東海道いち古い伊勢追分の道標
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 日永神社から300m右手、民家と民家の境に日永一里塚の石碑が立っていました。
 ここは江戸日本橋から100番目の一里塚。 5m四方高さ2.5mの塚が両側に築かれ西側の塚には榎が植えられていたが明治2年に伐採され塚もなくなったとの事。 100番目と言う区切りの良い一里塚跡としては何とも淋しい限りです。

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 更に400m程歩くと「名残りの一本松」に到着。 この辺りは昔、松並木だった様ですが今はこの一本のみになってしまったとの事。 松の木も1人では淋しいだろうに!
下写真は京に向かっては逆光だったので、江戸方向に向かって撮ってみました。

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 「名残りの一本松」から約700m、古風な建物からハイキング姿をした多くの方々が出てこられたので覗いてみると「東海道日永郷土資料館」との事でした。
 多少疲れていたので中に入りゆっくり休み、 お茶もご馳走になりました。
 尚、日永の追分はまだまだ先と思っていましたが、資料館の方が「すぐそこだよ!」との事で外に出てみると遠目に鳥居(矢印先)の様な物が見えました。

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 で、歩く事200m、日永の追分に到着です。
ここは下写真の様に伊勢神宮方向(黄色矢印,伊勢街道)と 京方向(黄緑矢印,東海道)の分かれ道「追分」で、Y字型の中央の三角地帯は小さな公園の様になっていました。
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 三角地帯に立っている神宮遙拝鳥居は二の鳥居と言われています。
(ちなみに一の鳥居は桑名の揖斐川河原の「七里の渡し跡」公園の鳥居だそうです。)
 ここの鳥居は伊勢神宮式年遷宮に合わせ建て替えられ、現在の鳥居は伊雑宮(いざわのみや)の鳥居を平成28年10月に移設して建てられています。
 伊勢神宮 伊雑宮のページ : http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/izawa.html
 尚、神宮遙拝鳥居の両脇には石碑があり、前に書いた日永神社の道標に変わる「立派な道標」は多分右の物だろうと思いますが調査不足で確たる事は?
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神宮遙拝鳥居等について下写真の石碑で説明がなされていました。
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 更に追分の中央には井戸もありました。
 この名水は、 昭和4年地元実業家稲垣末吉さんが、約500m西の丘陵地の麓 泊山(とまりやま)に別荘を建て井戸を掘った所とても良い水が湧き出した為、自費で配管を敷設し日永の追分まで引き、旅人達に提供したとの事。
又、この名水は水質検査が行われ、結果を下写真黄緑矢印の位置に貼られていました。
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 日永の追分をゆっくり見学。 追分を離れる12時半頃には又雪が舞い始め、雪が舞ったり晴れたり曇ったりと非常にあやしい天気が続きました。


 今回1月26日の東海道歩きをまとめ始めた所、どんどん長ったらしくなってしまい、ブログへの投稿も延びのびになってしまっています。 で、区切りの良い日永の追分でいったん区切り近々「その3」を投稿したいと思います。

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東海道53次,四日市宿から石薬師宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 先日、1月26日から四日市から石薬師宿を経て亀山宿方面を目指し歩いて来ました。

 実は昨年12月、三重県の桑名宿から四日市宿迄歩いた時に、少しでも先に進んでおこうと四日市宿から「あすなろう鉄道の赤堀駅」迄を歩いておきました。


 前回12月の東海道五十三次では、四日市市の「黒川本陣」を受け継ぐ「黒川農薬商会」の前を通って「表参道 スワマエ」商店街アーケードを通過し、「近鉄四日市駅」と「JR四日市駅」を結ぶ街路樹のある中央通りに出ます。

写真は中央通りで黄緑矢印先の路地が旧東海道です。
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中央通りから約200m、小説家で文化勲章を受けた丹波文雄さん生誕の「崇顕寺」です。
保育園も併設されており、お寺さんとは思えないつくりです。
  丹波文雄さんの紹介ページ https://ja.wikipedia.org/wiki/丹羽文雄
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 中央通りから1.0kmの所で左方向に曲がり「あすなろう鉄道」と並行して300m程歩き、右の路地を覗くと赤堀駅です。
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 この日は約1.8万歩歩き、前日の3.3万歩の疲労もたまっており、ここで「あすなろう鉄道」に乗って四日市駅に出て帰宅する事にしました。

 あすなろう鉄道はレールの幅が762mmと狭軌(ナローゲージ,JR在来線は1067mm)、
2012年頃には廃線の危機もありましたが、今は官民協力し写真の様な綺麗な外観で車内は両側に2列の座席で、駅や線路も含め清潔感ある鉄道でした。
 又、列車の本数も日永ー近鉄四日市間は通勤時間帯で6本,昼間でも4本もあり、列車の時間を気にせず行動できます。
  あすなろう鉄道の紹介記事 https://ja.wikipedia.org/wiki/四日市あすなろう鉄道

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 12月の時は桑名宿を色々観光した事も有り、自分でもびっくりするほど歩数は伸びましたが、五十三次の進み具合は予定の2/3位でした。

 そんな事も有り、先日1月26日に赤堀駅から石薬師宿・庄野宿経て亀山宿迄を目指して歩く事にしました。

所が大雪に見舞われ、予定の1/3程度に終わってしまいました!!!
その様子は次回のブログにて!

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東海道五十三次, 桑名宿から四日市宿 その3(富田から四日市宿陣屋) [ 東海道五十三次]

 
 昨年12月、桑名宿から四日市宿を経て石薬師宿を目指し早朝出発し、10時頃にJR桑名駅に着きました。 桑名城址等の見学に時間をかけてしまい、1日目は四日市富田迄しか行く事が出来なかった。 せめて予約したホテルのルートイン四日市迄行きたかったのですが!!


 1日目のホテル到着は夕方ほぼ暗くなっており外の景色を見る事が出来なかったが、2日目の朝鈴鹿山脈方向を見ると山は雪に覆われていました。
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2日目は近鉄名古屋線の「川原町駅」から電車に乗り、「近鉄富田駅」に!

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前日タクシーに出会い「歩く気力がプッツン」した"Y字路"迄戻って歩き始めます。

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 歩き始めて100m。 左側に八幡神社があり、境内には「力石」もありました。
 ここの力石は、鎌倉時代頃から主に力比べとして、又、力比べの体力を養う事で健康長寿への信仰を深める為の道具としていた様です。 写真の石はおよそ100kgとの事。

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 力石の八幡神社から260mで右折して更に道なりに歩き650m、桜並木の十四川に到着。
 左を見るとひときわ大きなお寺「善教寺」さんがありちょっと寄って見た。 このお寺さんには鎌倉時代 仁治2年(1241年)の作と言われる国の重要文化財「木造阿弥陀如来立像」があるとの事。
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十四川を渡り次の右路地角に常夜灯があり裏には天保10年(1839)、150年前の作でした。
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 十四川(善教寺)から400m、T字路の突き当りには「新設用水道碑」という石碑と2つの「力石」がありました。
 ここの力石は、明治の中頃村の2ヵ寺の御堂再建の為各所より土台石の奉納があった。 この土台石の中から下写真の石を選び、持ち上げ競い合ったとの事です。 掲示板には「1つは「三十二メ」(32貫,約120kg)、もう1つ(青矢印)は 5貫(約19kg)で子供用だろう」と書かれていた。
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 上の2つの力石から70m程で右折して道なり800m強で「中部陸運局 三重運輸支局 四日市自動車検査場」(何でこんなに長い名前なの,要は四日市車検場)を右に見て歩くと大きな常夜灯(羽津の常夜灯)がありました。
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 四日市の車検場から米洗川を渡り約300mの右側に「八幡延命地蔵尊」がありました。 しっかりした地蔵堂でありながら細かな説明が見つからず帰宅後調べた所、

 ここの地蔵尊は、下の金場延命地蔵尊と同じ石から作られた兄弟地蔵で、もとは羽津村の北の入口(羽津の常夜灯(上写真)の向かい辺り)にこの八幡延命地蔵尊があった様です。 昭和4年(1929年)に八幡地区の住民に依って現在地に移設されたという。 

 昔は、村内に疫病が入らない様にする結界地蔵と言われていたが、江戸時代には旅人の安全祈願や延命祈願が強くなり、延命地蔵尊と呼ばれる様になった。 この地蔵尊の頭巾の下に螺髪があるという珍しいもので、よだれかけの下には阿弥陀如来来迎図が隠れている。

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 下写真は、上記の八幡延命地蔵尊から1.3km先の左側、八幡延命地蔵尊と兄弟地蔵尊の「金場延命地蔵尊」です。 もとは羽津村の南入口(羽津の東海道の南端で二重川にかかる堺橋、今の金場町交差点付近)の結界地蔵であった。 昭和48年(1973年)市道拡幅工事で二重川が埋め立てられた時に、住民の手で現在地に移設された。

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 「八幡延命地蔵尊」から「金場延命地蔵尊」の間1.3kmも飛んでしまったが、この間で「八幡延命地蔵尊」から300mの所に「かわらずの松」がありました。 樹齢200年だそうで、この地区は昔「かわらず(川原須)」と呼ばれており、「かわらずの松」と命名したとの事。 四日市の東海道では日永地区の松とこの松の2本だけになってしまった様です。

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 その他この地区の旧東海道の道路沿いには下写真の様な物が置かれていました。 陶器で出来ているもので、中には明かりも入れられる様になっており、現代の常夜灯です。 この地区が「万古焼」発祥の地の為、陶器で案内板を作られたのだろうか?
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 「八幡延命地蔵尊」から 1.1kmで国道1号線に出て、国道一号線を650m程進み、斜め左の路地に入り約100m、「海蔵川」手前の「三ツ谷一里塚」跡に着きました。
 三ツ谷一里塚の元の位置は今の川の中ほどで、昭和20年代の拡幅工事で川の中に取込まれ、平成13年東海道宿場・伝馬制度制定四百周年を記念して現在地に石碑を立てたとの事。

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 で、右側の国道1号線に戻り海蔵川を渡り直ぐに左折し、上記の一里塚の延長線上の旧東海道に戻ります。 そして約1kmで、歌川広重の東海道五十三次の内の四日市宿として描かれている三滝川です。
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現在の三滝川の橋
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 三滝川を渡り約100mで笹井屋さんに到着します。
 笹井屋さんは元は日永の追分近くで操業。 「なが餅」は1550年頃には評判の銘菓となり現在まで続いています。 笹井屋さんののぼりも随所に立っており1包購入してみました。

 又、下記の記事によると四日市宿の本陣は「・・・札の辻の北角に清水本陣があった」との事で笹井屋さん付近だった様です。 その事をなが餅を購入した時に店員さんに伺ったが全く知らなかった様です。
四日市の本陣に関する記事:http://youjirouwalk.arrow.jp/wordpress/?p=121

所で帰宅後なが餅を食べたが現代では多くの美味しい物があり"それほどでも"といった所。

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 笹井屋さんを出て、2ブロック進み左折して80m、四日市市立中部西小学校校門の脇に「四日市宿陣屋跡」の記念碑があります。
 四日市町は下説明板の様に、慶長8年(1603)から一時期(享保9年(1724)~享和元年(1801)迄の期間のみ大和郡山藩領)を除き、江戸時代を通して天領(幕府領)だった。
 その天領を治める為にここに陣屋を設置していました。 明治維新以降は三重県庁舎等に使われたが、明治9年の伊勢暴動ですべて焼失しました。
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(写真をクリックすると大きな写真になります。)
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 陣屋跡から旧東海道に戻り100m、四日市宿の第二本陣だった「黒川本陣」を受け継ぐ「黒川農薬商会」の前を通って進みます。

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で、黒川農薬さんから150m、「すぐ江戸道,すぐ京いせ道」で有名な道標がありました。
この「すぐ」と言うのは「まっすぐ」の意味だそうです。

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 国道1号線を渡り、諏訪神社の表参道入口でありスワマエ商店街入り口に到着しました。 今回の四日市宿迄の五十三次はここで終点とします。

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 クラシックカー好きの私としては当然の事ながら、街道沿いの右を見たり左を見たり、臆面もなく他人のガレージを除いてきました。

で、見つけた極めつけのクラシックカーはオースチンA50 ケンブリッチ です。
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 もう1つ、クラシックカーではありませんが、下写真には何が写っているか皆さんで考えて見ませんか?
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東海道五十三次, 桑名宿から四日市宿 その2(桑名から富田迄) [ 東海道五十三次]

 
 先日、東海道五十三次の桑名宿から四日市宿を歩く為、早朝家を出てJR桑名駅に10時頃に着き、長島行のバスで田町バス停迄行き、「七里の渡し跡」の公園を回り歩き始めました。 しかし、桑名城跡や春日神社を見学し昼食を取った結果、約8000歩も歩いたにもかかわらず、五十三次は「七里の渡し跡」から約100mしか進んでいませんでした。


 と言う事で「午後は頑張って歩かないと!」と決意し歩き始めました。

 昼食を食べた「川市」さんから100m弱の所に「通り井」の跡がありました。
 桑名の地下水は海水が混じり一般的には利用できない為、町屋川から水を引き町内の主要道路に水道を造り所々に道路の中央に舛を開け、一般の人が真水を利用できる様にしました。
 (写真をクリックすると大きく表示します)
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 「七里の渡し跡」から約400m、東海道五十三次を模した「歴史を語る公園」を左に見ながら、南大手橋迄歩きます。 南大手橋は「歴史を語る公園」の終点でもあります。
「歴史を語る公園」の始点日本橋      「歴史を語る公園」の終点三条大橋
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 南大手橋の交差点を右折し100m程進むと「石取会館」です。
桑名市の石取祭りに関する色々な展示やイベントを紹介する施設です。
石取祭りのホームページ:http://isidori.jp/index.html
石取会館についてのページ:http://kanko.city.kuwana.mie.jp/machi/ishidorikaikan/
(写真をクリックすると大きく表示します)
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上右の様に石取会館自体が登録有形文化財になっており、館内には江戸時代末期に作られた祭車が展示され、奥の黄緑矢印先には祭りの太鼓を練習している方がおられました。

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 更に歩き、南大手橋の交差点から200m、京町公園です。
ここは、京町の西端の東海道上に京町門があり、その南側には番所がある「京町見附」でした。 下写真の黄緑矢印の先に京町見附の説明が。

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 「京町見附跡」を左折し真っ直ぐ350mで「吉津屋見附跡」です。
 京町見附跡と同様吉津屋門(後に鍛治町門)があり番所もありました。 又、ここには枡形も残っており日常の道路として整備・使用されています。

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 「吉津屋見附跡」の枡形を回って、おもちゃの「いもや本店」前を右折し700m、「七曲り見附跡」ですが、これが見つからず行ったり来たりしました。 「七曲り見附跡」は下写真日進小学校の黄緑矢印先、体育館らしき建物の門を入って左側にありました。
矢印先には七曲り見附の説明板
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 やっと見つけた「七曲り見附跡」を後にして、シーボルトも見学したという「広瀬鋳物工場跡」を是非見て見たいと思っていましたが見つからず、「天武天皇社」を右に見ながら先に進むと鋳物の街らしく右手には鐘の鋳物屋さんがありました。
 「国道1号線」を横切り、「七曲り見附跡」から700mでT字路に突き当たり平成3年に再建されたという「火の見櫓」があった。 説明板(下写真)には「矢田立場」について書かれていました。

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 「矢田立場の火の見櫓」から1.4kmで員弁川(町屋川)に突き当たり、大きな常夜灯がありました。 この常夜灯は「伊勢両宮常夜燈」と言い文政元年(1818年)に東海道の道しるべとして、又伊勢神宮への祈願を兼ねて桑名・岐阜の材木商によって寄進されたもので石工は桑名の根来市蔵との事。
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 で、常夜灯の交差点で左に曲がり、国道1号線の「町屋橋」を渡ります。
橋から右手の鈴鹿山脈を見ると前日の寒波で雪が積もっていました。 実は富士山の雪景色以外では今季初の雪景色です。 この時既に15時を回っており、さむ~~~!!!

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 町屋橋を渡り直ぐに右折し約80mで左折、員弁川(町屋川)対岸の「伊勢両宮常夜燈」の延長線上の旧東海道に戻ります。 道路の状況や常夜灯等から昔は「伊勢両宮常夜燈」の延長線に町屋橋が架かっていた事が想像できます。
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 町屋橋から900m位の所に一里塚の石碑があるはずでしたが見逃し「近鉄 伊勢朝日駅」脇の踏切を過ぎ、更に歩き約1.7kmで「浄泉坊」に到着。 「浄泉坊」は徳川家にゆかりのある桑名藩主の奥方の菩提寺だったので、屋根等に葵の御門が入っていました。
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 16時を回り薄暗くなり始めただただ前を向いて歩き、町屋橋から約3.0km。 前方に「伊勢湾岸自動車道」の高架が見え、高架手前の交差点の右の方を見ると「多賀大社常夜燈」があった。 

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「多賀大社常夜燈」の常夜灯から約10分で「松寺の立場跡」に出ました。
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 朝明川を渡り多賀大社常夜燈から1.4km、三岐鉄道とJR関西本線と一般道の3つが交差する珍しい踏切を渡って、
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 多賀大社常夜燈から2.1km、富田の一里塚に到着。
この時17時直前、薄暗くなりカメラでの撮影も厳しくなり始め、疲れも出て来て「もう限界かなァ~」と思う様になりました。
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 頑張って富田の一里塚から150m位進んだものの、前方に空車のタクシーが! タクシーを見た瞬間プッツンと糸が切れ「手をあげて」タクシーを呼んでしまいました。
で、予約してあったホテルに!!!
 
 この日の午前中は自宅からで11000歩,桑名宿内は8000歩。 午後は17000歩。
 寄り道の多い私は25000歩も歩いたにもかかわらず、「七里の渡し跡」から9.5kmしか進んでいませんでした。



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東海道五十三次 桑名宿から四日市宿 その1(桑名宿) [ 東海道五十三次]

   
 先日、東海道五十三次の内の桑名宿から四日市宿を歩いて来ました。

 東海道五十三次を歩くのは、鳴海宿から宮宿を歩いた今年の6月下旬以来です。
  鳴海宿から宮宿の記事 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-19 
             https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-27
 尚、宮宿から桑名宿迄は3月10日に「堀川まちネット」さんの船で渡りました。
             https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-15
 (東海道五十三次が制定された1601年頃の宮宿から桑名宿は、「七里の渡し」と言う
  船による海上ルートが正規でした。)

 この「七里の渡し」ルートは、以前は旅行会社によるツアーもあった様ですが、今は「有料での船の運航は役所の許可が下りない」との事で、NPO法人「堀川まちネット」による「東海道 七里の渡し船旅 学習会(要寄付5000円)」が唯一の航路となってしまった様です。 
 堀川まちネットのホームページ : http://horikawamachi.net/

歌川広重の桑名宿
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 で、先日は早朝家を出てほぼ10時に桑名駅に着き、駅から長島行のバスに乗り田町で下車、歩いて堀川まちネットの船から下りた揖斐川(いびがわ)の堤防に。

この辺は揖斐川と並行して長良川が流れており、長良川の河口堰も見えます。
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揖斐川の堤防を下流方向に少し歩き「七里の渡し跡」に。 後方に蟠龍櫓も見えます。
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揖斐川河原の「七里の渡し跡」公園から下り、ここから五十三次が再開となります。
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公園から出て右に曲がり「大塚本陣」跡の明治8年創業船津屋さんをパチリ。
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船津屋さんの右隣りは脇本陣「駿河屋」跡、明治38年創業の老舗料理旅館の山月さん。
桑名宿の脇本陣は4軒有って駿河屋が最も格式が高かったとの事。
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山月さんから約100mの駐車場脇に舟会所・問屋場跡の説明板が(黄緑矢印先)。
舟会所は宮宿や佐屋へ渡る人の為に渡船の手配をし渡船料金を受け取る所で、問屋場は旅をする人の為に人足や馬を手配する所ですが、今はその場所は定かでないとの事。
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 山月さんから約200mで北大手橋へのT字路に。
 是非桑名城跡に行ってみたいと思っていたのでこの交差点を左折。

北大手橋を渡り、
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左や右に曲がり「柿安本店」の手前に伊勢桑名藩初代藩主「本多忠勝」の銅像がありました。
忠勝は徳川氏の家臣で、上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主だった。
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 本多忠勝の銅像の前から右側の九華公園に入り、城跡は一番奥の鎮國守國神社の前に桑名城跡の石碑があり、神社の東側に桑名城天守跡の記念碑(黄緑矢印)がありました。
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天守の碑
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天守跡を見た後は公園の南側に出て南大手橋を渡り旧東海道に戻り、春日神社(桑名宗社)に。

春日神社の銅の鳥居の左には「しるべいし」(黄緑矢印先)もありました。
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そして鳥居脇の白い掲示板には「鳥居」や「しるべいし」について説明されていました。
   (写真をクリックすると大きく表示されます)
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鳥居をくぐると重厚な楼門です。
 天保4年(1833)、松平定永によって寄進された門で、正面左右には左大臣・右大臣、裏側には金剛力士像が安置され、その姿の美しさは日本一と言われたそうですが、昭和20年の空襲で焼失。 平成7年の七百年祭記念事業にて半世紀ぶりに再建されたそうです。
春日神社(桑名宗社)のホームページ:http://www.kuwanasousha.org/

桜門
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境内
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 で、境内右の受付で御朱印をお願いした所、桑名宗社奉賛会の行事の為書く人手がなく「既に朱印を押した紙で」との事。 「その代わりと言っては何ですが、宝物殿の「村正」と家康の孫千姫が奉納した「家康座像」を見て行って下さい」との事でした。 尚、写真撮影はご遠慮下さいとの事。
 で、宝物殿に行くと玄関に「家康座像」が展示されており、宝物殿中央には一振りの刀が。 刀を見ると「春日大明神」「勢州桑名郡増田庄藤原朝臣村正作」と彫られており、これが「妖刀村正伝説のひとつか!」とじっくり見させて頂きました。

「家康座像」についての桑名市の桑名市埋蔵文化財整理所のページ(写真付き)
     http://bunka.city.kuwana.mie.jp/html/bunkazai/100.html
「村正」についての桑名市の桑名市埋蔵文化財整理所のページ(写真付き)
     http://bunka.city.kuwana.mie.jp/html/bunkazai/058.html



 思いがけないお宝を見る事が出来、早くも"五十三次歩き"は達成感・満足感一杯!

 で、時計を見ると昼食時間。 桑名での食事は「焼き蛤」をと思いながら旧東海道の街道沿いを歩きながら探した所、既に行列のお店だったり、敷居の高そうなお店だったりでなかなか適当なお店が見つからず、「うどんの川市」さんに行きつきました。

 食べたのは「はまぐりの小天丼」と「はまぐりの味噌煮込みうどん」のセットです。
お店の中でお会いした地元の方は「ここを選んだのは正解。有名ですし本当に美味しいですよ。 ただセットは量があるから食べきれるかどうか?」との事。

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 地元の方が言われた通り 美味しかった。
 特に味噌煮込みは名古屋の煮込みに負けません!!!
 はまぐりの天ぷらも珍味で美味しかった!!!

 食べきりお腹が一杯になり休息も十分取れて万歩計を見ると約8000歩。
 次の計画はと地図を見ると、
  えエッ! 「うどんの川市」さんは「七里の渡し跡」から約100m。

 約8000歩も歩いたのに、旧東海道歩きは100mしか進んでいませんでした!!!


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東海道五十三次 鳴海宿(名鉄の桜駅)から宮宿 その2 [ 東海道五十三次]

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 昨年3月頃に再発した腰痛も大分回復し、先日名古屋市緑区の有松から鳴海宿を経て宮宿迄を歩きました。 前回のブログでは鳴海宿から名鉄の桜駅迄をレポートしました。
で、今回は名鉄の桜駅から宮宿迄をレポートします。
有松から鳴海宿迄のページ   https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-10
鳴海宿から名鉄桜駅迄のページ https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-19


 熱田区伝馬町のホテルを出て名鉄の神宮前駅から桜駅に戻り9時頃から歩き始めました。

 桜駅から350m位の所の「地蔵院(湯浴地蔵)」の前に東海道と書いた石碑があり、その石碑には「鎌倉街道」とも書いてありました。
(神奈川県には「鎌倉街道」は多数ありますが、名古屋にまであるとはちょっとびっくり。)

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地蔵院から約250m歩くと右側に「熊野三社」の鳥居と「東海道の石碑」が。

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 更に100m程歩くと左側の料理屋「いずたま」さんの前の「東海道」の石碑には「山崎の長坂」とあり反対の面には「山崎城跡・安泰寺」と記されていました。

 この付近に住んでおられるお年寄りの方に教えて頂いたのですが、この道路の下には昔の「鉄道の線路」が埋まっているのとの事。 この鉄道は、当時小高い丘になっていた山崎城址を切り崩して鉄道を通す為の合意が出来ず、仮設した鉄道との事でした。
(帰宅後色々とネット検索してみましたが仮設鉄道の確証は見つからなかった。 ただ、教えてくれた方は道路工事の時に線路を見たそうで、線路がある事は間違いないと思います。)

この道路の雰囲気からはとても鉄道が埋まっている様には見えません。

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 「いずたま」さんから約300mで山崎川(下段に写真あり)を渡り、山崎川から更に600mで名古屋高速3号大高線との交差点「松田橋」に出ました。 高速の陸橋下に小さな公園がり「昔の松田橋の親柱を使い松田橋を復元した」とありました。
 尚、私には下右写真の下側の古地図を今の地図に当てはめて見る事が出来ず残念で今も気になっています。(写真をクリックすると大きく表示されます。)

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 松田橋の交差点で国道1号線と合流し、約350m歩き「内浜交差点」で国道1号線の左側側道に入り更に約350m、JRの東海道本線の踏切を渡り、踏切と隣接した交差点を斜め左に入って行きます。 踏切から約200m、新堀川の「熱田橋」に到達。

 熱田橋ではボランティアで水質検査をされている方々(下左写真歩道中央の方々,緑矢印の先)に出会いました。
 少し前に渡った山崎川もこの新堀川も濁っており、川底は真っ黒(ヘドロとの事)。
今回で日本橋から愛知県迄を完歩しましたが、この二つの川が最も汚い様に感じた。
私が歩いた季節や天候,潮の満ち引き等の巡り合わせが悪かったせいなのか??? 

熱田橋                          水質検査をしている方々
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熱田橋の手前1.4km,呼続の近くの山崎川。 白く濁り、川底は真っ黒!
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 新堀川の熱田橋から約200m、名鉄常滑線のガードをくぐると「伝馬街園」と言う小さな公園があり、宮地区を説明した掲示板(下写真黄色矢印)がありました。
青矢印の所は下記の「姥堂」,緑矢印が今回宿泊したエクセルイン名古屋熱田ホテル

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 伝馬街園から約50m、姥堂に裁断橋址と都々逸発祥之地の石碑がありました。
下写真の2階には姥像の複製(戦災で焼失後、1/2の大きさで複製)が安置されています。

「裁断橋」は、ここのすぐ東に流れていた精進川に架かっており、「裁断橋」を渡ると「宮宿」だったそうです。
 「裁断橋」の由来は、天正18年(1590年)、18歳になる我が子堀尾金助を小田原の陣で亡くし、その菩提を弔う為に母は橋の架け替えを行った。 33回忌に再び架け替えを志したが母はそれを果たせず亡くなり、養子が遺志を継ぎ元和8年(1622年)に完成した。
 大正15年には川は埋立られ橋の擬宝珠(ぎぼし)は道路わきに保管されていたが、今は市指定の文化財として市の博物館で保管。 下写真黄緑矢印の先が複製の擬宝珠。

ウイキペディアによると、
 裁断橋の擬宝珠に彫られた仮名書きの銘文は、日本女性三名文のひとつに数えられている。
「てんしやう十八ねん二月十八日おだはらへの御ぢん、ほりをきん助と申す十八になりたる子をたゝせてより、又ふためとも見ざるかなしさのあまりに、いま此はしをかける事、はゝの身にはらくるいともなり、そくしんじやうぶつ給へ、いつがんせいしゆんと、後のよの又のちまで、此かきつけを見る人、念仏申給へや、卅三年のくやう也 」
ウイキペディアのページ https://ja.wikipedia.org/wiki/裁断橋
下記のページに複製擬宝珠の写真がありました。
   www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/saidanbashi-photopage01.html

 都々逸発祥の石碑は下写真黄色矢印の先で、宮前の飯盛り女の中から後に「どどいつ節」が生まれたとの事で江戸でも評判になるほど広く愛唱されたと言われる。
都々逸についてのウイキペディアのページ https://ja.wikipedia.org/wiki/都々逸

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姥堂と裁断橋の説明板 写真をクリックすると大きく表示します。
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 実は、姥堂の前が宿泊したエクセルイン名古屋熱田ホテルでしたので、ホテルに再び入りクーラーのしっかり効いたロビーでゆっくり休息させて頂きました。


 ホテルで英気を養って、再スタートです。

 姥堂前の道を真っ直ぐに姥堂から400m、突き当りにほうろく地蔵がありました。
(ほうろく(焙烙)とは:茶葉・豆・ごま・塩等をいるための素焼きの浅く丸い皿形の土鍋。)
右写真がここのほうろく地蔵の由来です。
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 ほうろく地蔵の前には、熱田伝馬町の西端に当たるそうで、東海道と美濃路(又は佐屋路)の分岐点を示す石碑(黄緑矢印)がありました。 詳細は下右の説明板を参照願います。

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 ほうろく地蔵の前を左折して直ぐに国道247に到着。 歩道橋を渡って、

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(うな丼の様な)ひつまぶしで有名な「あつた蓬莱軒本店」を横目に見ながら歩く事200m、
今回の終点であり、愛知県最後の旧東海道 宮宿の「7里の渡し」に到着です。

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 熱田神宮の西門から神宮を横切る様に歩き、名鉄名古屋本線の神宮前駅から帰宅の途に!
熱田神宮西門
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 今回で愛知県内の旧東海道を完歩!!!

 秋からは三重県だ!!!

 たまの旅行の様にその地域毎の名所旧跡を見学し、その地方の美味しいものを食べて!!!


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東海道五十三次 鳴海宿から宮宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 昨年3月頃に再発した腰痛も大分回復し、先日名鉄名古屋本線の有松から鳴海宿を経由し宮宿迄を歩き、下記ページで有松から鳴海宿迄をレポートしました。
で、今回は鳴海宿から名鉄の桜駅迄です。
 前回の記事 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-10


 歌川広重の東海道五十三次 宮宿
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 有松駅に11時頃到着し、鳴海宿本陣跡に午後1時過ぎに到着。 そして鳴海宿最後の「丹下町常夜灯」を13時半頃に通過。 長期の腰痛療養で体力は減退、疲労を感じ始めましたが中断せず宮宿を目指し自分に鞭打って歩き続けます。


 で、いきなり自動車修理工場内の旧車を発見。 立ち寄りお店の方と20分位旧車談議!
2代目コロナマークⅡ(1972年~1976年)
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 大好きな旧車談議をした事で、軽くなった足取りで先を急ぎます。

 丹下町常夜灯から約500m、右側に鉾ノ木貝塚と書いた掲示板を見つけました。
縄文時代早期から前期にかけての貝塚との事で、貝層はハイガイを主としており、土器も出土したとの事。 上層土器が鉾(ほこ)の形をしていた為、その型式をとらえ「鉾ノ木式」と呼ばれているとの事でしたが、狭い範囲だったし草位刈ってほしかったな!
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 で、上写真左側の路地ににた次の路地を上って行くと「千句塚公園」です。
下写真掲示板の様に「芭蕉が生前に立てられた唯一の碑「千鳥塚」」があります。
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 千句塚公園の下の交差点「三王山」から1km強歩きやっと「笠寺一里塚」に出ました。
ここの立派な榎は、超大きな石付き盆栽の様に盛り土を抱え込む根張りがすごかった。
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 笠寺一里塚から400m「笠寺観音」正式名「天林山 笠覆寺(りゅうふくじ)」に到着。

ウイキペディアによると、
 寺伝によれば、天平5年(733年、一部文書には天平8年-736年)、僧・善光(または禅光)が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り、現在の南区粕畠町にその像を祀る天林山小松寺を建立したのが始まりであるという。

 その後 1世紀以上を経て堂は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままに。 旅の途中で通りかかった藤原兼平(875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆っていた娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。 この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺即ち笠覆寺(りゅうふくじ)と名付けられたという。 笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。
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仁王門には立派な彫り物、勇壮な仁王様がある。
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本堂
本尊の十一面観音像は秘仏で、開帳は8年毎との事(最近の開帳は2014年4月)。
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鐘楼や人質交換之碑等他の各施設は前回ページの「名古屋市南区の笠寺観音」を参照願います。 前回ページ https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-15


 笠寺観音でゆっくり見学と休息をした後、西門から出て旧東海道歩きに戻りました。

 笠寺を出て100m弱、「笠寺西門」交差点には「笠寺の歴史」を記した石碑がありました。 残念ながら扇形の上の銅板は腐食で読む事が出来ませんでしたが、下の文字板は下写真の様に充分に読めました。
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「笠寺の歴史」を記した文字板     写真をクリックすると大きく表示します。
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 「笠寺西門」の交差点を通過し、すぐに名鉄名古屋本線の踏切を渡り約60m、小さな交差点を右折しまっすぐに約500m歩き、「東海道の石碑」と共に赤い鳥居,そして中では高さ10mはゆうに超えるかと思われる大きなカラマツ(だったかな?)の木を剪定していましたので見学、更に中に入って見ました。
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 更に奥に進むと、中には「長楽寺」の看板があり、地図を見ると「富部神社」とあり、神社の社の提灯には「清水稲荷大明神」と! 何が何だか分からなくなりながらもお稲荷さんにお参りし、休息!(休んでばっかり! だって病み上がりみたいなもんだもん!!)
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 で、約200m歩き名鉄名古屋本線の桜駅入り口で何の躊躇もなく右に曲がり、「桜駅」から電車に乗りホテルのある「神宮前」に。
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 更に歩く気力は無く、タクシーで伝馬町(てんまちょう)のホテル「エクセルイン名古屋熱田」に!
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 ホテルでひと寝した後、「煮込みうどん」か「名古屋コーチン」を食べたくホテルの方にお伺いし一路地下鉄で「栄駅」から「三蔵通本町」交差点の「山本屋本店」に。

で、「名古屋コーチン入り味噌煮込みうどん」を食べました。
美味しかったのですが、岡崎市の「角久さんの食堂で食べた味噌煮込みうどん」の方が美味しかった。 八丁味噌屋さんの宣伝用の様なお店と比較する事に無理があるのかも!!!
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東海道五十三次 有松から鳴海宿 [ 東海道五十三次]

 
 先日、東海道五十三次の内名古屋市有松から宮宿迄を歩いてきました。

 実は昨年3月に「腰椎脊柱管狭窄症」で、腰痛再発となりほとんど歩けなくなりました。
 (2011年2月に椎間板ヘルニアで腰痛となり、東海道五十三次は2年半中断しました。)
 そこで病院の「整形外科とリハビリ」に5ヶ月通い多少改善したものの楽に歩く事は出来ず、リハビリの健康保険扱いの期限も超え、今はその病院に併設された「メディカル フィットネス」に通って8ヶ月目になります。
 「メディカル フィットネス」は「コーチの指導によるストレッチや温水プールでのウオーキング」で、腰痛は大幅に改善。 病院の痛め止めを飲みながらだったら普通の生活が出来る様になり、腰痛を気にせず歩く事が出来る様になりました。


 そんな事から3月に知立宿から鳴海宿を目指しましたが、体力の低下が激しく有松迄で中断。 今回、有松から鳴海宿を経て宮宿迄を歩く事にしました。
で、今回はその内の有松から鳴海宿迄をレポートします。
 知立宿~有松のレポートは右記 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-23
                https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-26
 有松の街並みレポートは https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-06-10
 織田信長と今川の桶狭間の合戦跡は
             https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-05-27

歌川広重の東海道五十三次「鳴海宿」
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 で、先日6時半に家を出て、新幹線・名鉄名古屋本線と乗り継ぎ11時頃有松駅に到着。 

 今回のスタート地点である名古屋第二環状自動車道と旧東海道(県道222号線)との立体交差点を目指し線路沿いを歩きます。
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途中、旧家に挟まれた趣のある路地を通って、
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今回のスタート地点、江戸から87里(348km)の「有松一里塚」に到着。
(有松一里塚は現在地あたりだった様ですが、大正13年に民間に払い下げられ消滅してしまったが、歴史ある街並み復活を目指しこの地に平成24年に再建された。)
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 有松一里塚から1km強で平部北の交差点にある「平部町常夜灯」に出ました。 ここからが鳴海宿となります。 この常夜灯には「文化三丙寅(1806年)正月と刻まれており、長く人々の安全を願う歴史ある常夜灯です。
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常夜灯から約10分、扇川の手前70m位の所に下の様なモニュメントが、
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で、扇川を渡ると右に瑞泉寺がありお参り。 門前には下の言葉が掲示されており、簡単な言葉ながら「日常の事から心の悩み等まで当てはまる言葉」と感銘しました。
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 更に県道222号を進むと相原町と本町の境界に「曲尺手(かねんて)」がありました。
(曲尺手は道路をクランク状に曲げた所の事で、宿場に賊が押し入った時賊はクランク状に曲がって走らざるを得ず走る速度を落とす事が出来ます。 又、大名行列で大名同士がかち合いそうになった時、格式の低い大名が休息をよそおい寺等に退避、クランク状道路が陰となり格上の大名を見る事無く緊急避難できます。)
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 鳴海の「曲尺手」から約200m、本町交差点を右折して50m位の所に「高札場」が。
(高札場(こうさつば・たかふだば)は、奈良時代頃から明治時代初期迄一般法令や基本的法令を板に記して、宿場等人の集まる場所に掲示して民衆に周知させる場所です。)
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高札場には下の様な説明板がありました。(写真をクリックすると拡大します。)
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 高札場の斜め向かいの誓願寺には「芭蕉翁」の碑があります。
この碑は芭蕉が没した翌月如意寺に建てられたものを芭蕉の門下下里知足(しもさとちそく)の菩提寺であったこの誓願寺に移された。 芭蕉が亡くなられた(1694年10月12日)翌月に建てられた碑で、芭蕉の碑としては最古の供養塔との事。「芭蕉堂」の南東にあります。
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芭蕉堂と緑石の供養塔
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 本町交差点に戻り県道222号を50m強歩くと左側に綺麗な「山車蔵」があり、そこには「鳴海宿本陣跡」との表示がありました。 愛知県には本当に多くの山車があります。

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 (写真をクリックすると大きく表示されます。)
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 本陣跡から約100m歩き作町交差点を道なり右方向に曲がり、更に歩く事700m位の所の右側に「丹下町常夜灯」がありました。 この常夜灯は「鳴海宿の西の入り口」に建てられた様で、東から見ると鳴海宿の終点と言っていいのかも。
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 で今回、思いがけず下写真の様な車を10分弱の間に各々見る事が出来ました。 お互いのオーナーさんは承知しているのでしょうかね!

ニッサンマーチベースの車
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オリジナルのフォルックスワーゲン
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 次回は「鳴海宿から宮宿」をレポートしたいと思います。

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東海道五十三次 愛知県の知立宿(池鯉鮒宿)~有松迄 その2 [ 東海道五十三次]

  
 3月11日に名古屋市熱田区の宮宿から船で渡る「七里の渡し」の学習会(前々回のブログ)に参加しましたが、名古屋行くのならと、前日の10日に知立宿から鳴海宿を目指して歩く事にしました。 で、前回その1のレポートでは知立宿から「名鉄の富士松駅」付近までレポート、今回はそこから「名鉄の有松駅」付近迄をレポートします


 「名鉄の富士松駅」近くの「中国料理店浦東(プトン)」で昼食。 久しぶりの長距離歩きで疲れ食堂でゆっくり休息、腰痛の「痛み止めの薬」を飲み、歩きを再開。


 洞隣寺から約2km歩き、境川の境橋に到着です。
 境橋の東側の説明文(下右)の様に、江戸時代初期には西の尾張は板橋、東の三河は土橋で中程でつないでいた。  しかし、度々の洪水に流され修復され、やがて継ぎ橋は一続きの土橋になり、明治になっては欄干つきになったとの事。
(土橋とは橋げたの上に丸太を組み、その上に小枝等を敷き更に土を敷き固めて造られていた様です。)

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西側には石碑等があり、橋桁を見て見ましたが今は中央でのつなぎはありませんでした。
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 境橋を渡り、少し歩き伊勢湾岸自動車道のガード下を通り、豊明駅前を通って、境橋から約1.4km、阿野の一里塚です。 阿野の一里塚は左右に塚が築かれていました。

南側一里塚                北側一里塚
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 阿野の一里塚で少し休んだ後更に歩き名鉄の前後(ぜんご)駅前を通過し阿野の一里塚から2.5km、名鉄のガードをくぐった所に「中京競馬場前駅」がありました。 駅南側のT字路交差点を南側に曲がるとすぐに「桶狭間古戦場」公園でした。
桶狭間の戦いの史跡は昨年5月にも有松駅から見学、下記のページでレポートしました。
    http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-05-27

中京競馬場前駅の所の桶狭間古戦場公園
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公園内の今川義元の墓碑
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 桶狭間古戦場公園を後にして少し歩き、大将ケ根の交差点で国道一号線と分かれ、北側斜めの道に入って行きます。
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 更に大将ケ根の交差点から約200m、小さな橋を渡りY字路の南側に行くと「有松の街並み」に入ります。
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 有松の旧家が並ぶ街並みでは、3月3日の節句を一週間も過ぎているのに多くのお宅で通りに面して「お雛さま」を飾っていました。
 随分前は節句の日迄に「お雛さま」をしまう事が出来ないと「嫁に行き遅れる」と言われていましたが、今ではそんな言い伝えは無くなったのでしょうね!!!

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中には桜の木に飾っておられたお宅も!
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尚、有松の旧家の街並みは下記レポートを参照願います。
     http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-06-10


 有松駅に近ずくに従って疲れを強く感じる様になり、鳴海宿迄二駅にもかかわらず足を止めてしまいました。
 2017年1月23日に知立宿以来約1年ぶりで、この間はリハビリはしていたものの体力・持久力強化の運動はほとんどなく二駅手前でも無理せず中断する事に!!!
 

 で、有松から名鉄に乗って岡崎迄戻り!!!
 せっかく岡崎迄戻っての宿泊の為、備前屋さんに伺い、以前食べて美味しかった「備前屋さんのあわ雪豆腐」をお土産として購入・発送してもらいました。

備前屋さんのホームページ;https://www.bizenya.co.jp/info/goaisatu.htm

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自宅で食べた「あわ雪豆腐」  やさしい上品な味で美味しかった!
また食べたいなァァァ~~~  黒ゴマ入りも美味しいですよ。
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 痛み止めの助けを借りてとは言え自宅からホテル迄で "27200歩" も歩けました。

 ほぼ「東海道五十三次に復帰」と言っていいかも!!!

 で、無理せずリハビリを続け5月までにはもう一度歩き愛知県をだ出したい!!!


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東海道五十三次 知立宿(池鯉鮒宿)~有松 その1 [ 東海道五十三次]

 
 3月11日に名古屋市熱田区の宮宿から三重県の桑名宿迄を船で渡る「七里の渡し」の学習会に参加しました(前回のブログ)。
で、名古屋迄行くのならと、前日の10日に知立宿から鳴海宿を目指して歩く事にしました。

 前回の東海道歩きは1年以上前の2017年1月23日に知立宿迄でしたが、昨年3月からの腰痛で1年以上も休んでしまった。 その間のリハビリで腰痛は大分回復し痛み止めを飲めば「痛さを忘れる」位迄快復。 で、知立宿から鳴海宿迄を挑戦する事にしました。

前回の岡崎宿~知立宿のレポート http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-02-18
                http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-02-14

 3月10日は土曜日の為混雑も予想され3月6日に新幹線の指定席券を入手。
当日は早朝家を出て、10時半頃 名鉄の知立駅に到着。

一年ぶりの東海道歩きの為の新幹線。 新幹線に始めて乗る様な感じの嬉しさが!!! 
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家を出て約4時間 知立宿の本陣跡に着き、「旧東海道歩き」再開に向けて再挑戦開始。
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 そして、この地区の名物「あんまき」の元祖と言われる小松屋さんの角で、前回「知立祭り」を見学した知立神社へ行く道と分かれて、
 知立祭りの記事は : http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-05-08

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少し歩くと総持寺です。
総持寺は徳川家康の側室「お万の方」の生誕の地で、天文17年(1548年)三河国知鯉鮒明神の社人・永見貞英の娘として誕生。 越前北ノ庄藩初代藩主 結城秀康の生母。

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総持寺から逢妻川の橋を渡り、橋から約700m一里山歩道橋の下に「一里塚」がありました。

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 一里山の一里塚から400m位歩き右の路地に入り、500m位で再び国道1号線に戻り、更に国道を横切り左の路地に入って行くと、一里塚から1.2kmで洞隣寺がありました。
この洞隣寺は、大きな松の木の手入れが行き届いており遠くからも「カッコいい松の木」が確認でき、しかも松の木の下には魅力的な「達磨の石像」が座禅を組んでおりました。

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達磨の座禅像, 洞隣寺のお墓の一番奥には「中津藩士の墓」と「めったいくやしいの墓」
                     (写真をクリックすると大きくなります。)
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「中津藩士の墓」と「めったいくやしいの墓」の案内板には下の様な説明がありました。
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 洞隣寺のはす向かいと言っていい位置の路地の角には「いもかわうどん発祥の地」の木柱がありました。
 説明板によると「江戸時代の紀行文にはいも川うどんの記事が良く出てくるが、この名物うどんは「平うどん」で、これが東に伝わって「ひもかわうどん」として現代でも残り、今でも東京ではうどんの事を"ひもかわ"と呼ぶ」とあった。
 と言う事で「ひもかわ」をネット検索してみたら名古屋の「きしめん等の様な薄く幅広のうどん」を指すようです。   https://ja.wikipedia.org/wiki/ひもかわ

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 洞隣寺から約700m歩くと乗蓮寺に。 大きな椎の木がるとの事で見学。
確かに大きく、樹齢850年,昭和30年に市の特別記念物に指定されたとの事。

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 で、ほぼ予定通り乗蓮寺で12時を過ぎたので、当初から予定していた国道1号線沿いの中国料理店「浦東(プトン)」に行ってみました。 「色々な中華料理があるかな」と思っていましたが、土曜日はラーメンのセットメニューしかありませんでした。
 残念と思いながらも「醤油ラーメンのセット」500円を注文しました。
ご飯は大きな炊飯器から各自勝手によそって食べます。

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 昼食を取った所は「名鉄線の富士松駅」の真横くらいです。
 長くなりますので今回はここまでとし、次回は有松迄をレポートしたいと思います。

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東海道五十三次 宮宿から桑名宿(七里の渡し) [ 東海道五十三次]

 
 3月10日から3月12日まで東海道五十三次を中心に名古屋方面に行ってきました。

 主だった所を順次レポートをしようと思いますが、「堀川まちネットの2018年度、七里の渡し学習会の申し込みが3月16日より」との事で日が迫っており取り合えず3月11日の「七里の渡し」を先にレポートします。
(3月16日の堀川まちネットによると予定船の都合がつかず、他船を模索中との事。)

 以前は旅行会社による名古屋市熱田区の宮宿から三重県の桑名宿迄の船による「七里の渡し」ツアーがあった様ですが、今回の「堀川まちネット」の方の説明では「有料による船の運航はお役所の許可が下りない」との事でした。
 従って今は「宮宿~桑名宿間を船で渡る七里の渡し」は、今回乗船した「堀川まちネットの学習会(堀川まちネットに寄付5000円)」が唯一の航路となってしまった様です。 

 ほりかわ町ネットのホームページ : http://horikawamachi.net/


 で、私は前日「知立宿から有松」まで歩き岡崎に宿泊。 翌3月11日は午前中「名古屋ボストン美術館」に行った後午後 1時頃に名古屋市熱田区の宮宿に到着。

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宮宿は鐘楼等も再建されています。
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又、七里の渡しの説明書きもありました。
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  今日、3月10日は私の誕生日。 しかも戌年生まれ!!
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七里の渡しの説明書きと昔の地図を拡大しました。(写真をクリックすると拡大します。)

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七里の渡しの乗船登録をして、付近を散策していると桑名宿からの船が到着しました。
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乗船登録した方々 28名全員が乗船し、堀川まちネットのスタッフに見送られ出発です。
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堀川(山崎川)の水門を通過し
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伊勢湾岸自動車道下を通過し、名古屋港から伊勢湾に向かいます。
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出発から約1時間半位で長島温泉の前を通って、桑名の揖斐川(いびかわ)に入り、少しすると桑名側には常夜灯の様な建物も見えてきました。
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そして約 2時間 揖斐川の船着き場に到着し、堀川まちネットの方々のサポートで下船。 ちょっと長かった船旅も終了です。
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船着き場の所の住吉神社です。
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住吉神社の先には「七里の渡しの船着き場」跡が再現されていました。
 実は名古屋港周辺や揖斐川等は非常に水深の浅い所が多く現地に熟知した方でないと安全に運航する事が出来ないとの事。 で、この再現された船着き場も水深が浅く、今回の船では入港する事が出来ないのだそうです。
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 で、私の7里の渡しは終了。
 電車の時間も迫っており桑名の街並みや名所旧跡等を見学する間もなく急ぎ足で桑名駅に向かいました。
近いうちにここ桑名宿から四日市宿を歩く時にゆっくり見学しようと思っています。

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東海道五十三次, 岡崎宿から知立宿 その2 [ 東海道五十三次]

 1月22日に岡崎宿等を観光した後旧東海道を歩き、23日に知立宿に入りました。

 知立の松並木から国道1号線を斜めに横切ると知立市の街並みになります。

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 で、上の交差点から約500m入った所が前回レポートの慈眼寺です。

 旧街道を歩き、名鉄三河線の踏切を超え、1号線の交差点から1km強で「中町」と言う変則の6差路に到着します。
で、下写真の矢印方向に入るのが旧東海道です。
尚、本陣は矢印の左側の道を「中町」交差点から200m位行き、ウナギの今川屋さんの手前右奥に石碑が立っています。

6差路
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今川屋さんの所、矢印が本陣の石碑
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 戻って、中町の交差点から旧街道を100m弱、食品館前の駐車場の道路際に問屋場跡の石碑がありました。

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 更に中町の交差点から350mで、T字路の突き当りを右に曲がると「知立城址」の公園がありました。 知立城については右記を http://www.hb.pei.jp/shiro/mikawa/chiryu-jyo/
(このT字路の手前約50mの所に下記の山車の保管庫「蔵」があります。)

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 突き当りの「了運寺」の前を左に曲がり、155号線の地下歩道を抜けたら更にまっすぐ行くのが旧東海道の街道です。
 で、今回は右に曲がり200m、知立神社に立ち寄ります。
知立神社のホームページ http://chiryu-jinja.com/

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知立神社の本殿。
江戸時代天保2年(1831年)に再建された桧皮葺の立派な神殿です。
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多宝塔
室町時代後期の永正6年(1509年)の再建とされています。塔の高さは約14.5メートル、屋根は柿葺(こけらぶき;屋根に木材の薄板を敷く方法)だそうです。
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 知立神社境内で行われる山車の舞台の人形劇「山車文楽」がユネスコの世界遺産に登録されているのだそうです。 詳細は http://blog.chiryu-jinja.com/
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 知立神社の近くの山車の保管庫 「蔵」
「蔵」は旧街道沿いで中町交差点から300mの所です。
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「蔵」のシャッターに貼られていた写真。 一番下の人形劇が世界遺産かな?
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「蔵」の近くの掲示板に貼られていた写真
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 山車の出る知立祭りは5月2・3日ごろの様で、ぜひ見て見たい。
2016年の実績 http://www.chiryu-kanko.com/detail.html?id=52


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東海道五十三次,岡崎宿から知立宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 1月22~24日で岡崎宿から知立宿までを歩いてきました。

 と言っても1日目は岡崎で費やしてしまいましたので、23日がメインの東海道歩きでした。


 八丁味噌の「カク久」さんで食事後、国道1号線の矢作橋を渡り、矢作川の対岸から広重の絵の様に岡崎城の写真を撮ろうとしましたが、お城が小さく、望遠を利かすと今度は橋が大きくなりすぎ、下写真であきらめました。

 八丁味噌カク久さんの蔵
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 矢印下が岡崎城
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 で、橋のたもとの地下通路の様な道路をとおり、橋の反対側(上流側)の「日吉丸と蜂須賀小六の出会いの像」を見に行きました。 この橋のたもとで2人が出会ったと伝えられています。

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 出会いの像から少し行き、左に曲がると勝蓮寺です。 勝蓮寺は、家康の長男、信康と関係の深かったお寺さんの様で、信康の肖像画も保管されているとの事です。

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 勝蓮寺から約600m歩くと誓願寺の十王堂があった。
 建物の前には石碑に「浄瑠璃姫菩提所」と書かれている。 立札によると、寿永3年(1138年)3月、矢作の里の兼高(かねたか)長者の娘浄瑠璃姫が源義経を慕うあまり、菅生(すごう)川に身を投じたので、長者はその遺体を当寺に埋葬し、十王堂を再建して義経と浄瑠璃姫の木造(木像の事か?)を作り、義経が姫に贈った名笛薄墨と姫の鏡を安置した との事だそうです。

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十王堂内部には素晴らしい迫力満点の絵が描かれていました。
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 旧道を歩いてきたが安城街道入口の交差点で国道一号線に入り、勝蓮寺前から約2.5kmで安城市に入りました。 安城市に入ってすぐ国道1号線から旧道に入ります。

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 で、更に歩き安城市に入って約1kmで熊野神社に到着。 熊野神社の西隅に尾崎の一里塚があります。

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 少し休息をしながら更に1km程進むと「永安寺」があり、街道から見える位置に「雲竜の松」があった。 この松は幹が1m位の所から地を這うように伸びており、「雲を得て天に昇ろうとする竜」の様な事からその名前がついた様です。
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 雲竜の松の永安寺から数100メートルの県道76号線との交差点に明治川神社がありました。
この神社は明治時代にこの地区に大規模な灌漑用水を引いたことからこの用水の守り神として神社を建設したようです。
街道沿い、交差点の所の山門
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神社境内
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 明治川神社から3.5km小一時間で89番目の一里塚「来迎寺の一里塚」に到着しました。
この一里塚は南北(左右?)が正規の形で残っていますが、北側の一里塚は公民館に隠れ街道からは見にくい位置にあります。

北側奥から左右の2つの一里塚を撮影してみました。
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振り返る形で撮影してみました。 左右の塚の距離が広く、昔の東海道もけっこう広い通りだった事がうかがえます。
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 一里塚から約1kmの所に「衣浦豊田道路との交差点」があり、横断歩道橋を渡ると知立宿の松並木となります。 「衣浦豊田道路との交差点」から国道一号線との交差点までの約500mの間に松並木があり、木立の間の所々に池鯉鮒をイメージしたモニュメントが設置されていました。
 
 歩道橋から見た松並木で、黄緑矢印の所には「旧東海道三十九番目之宿 池鯉鮒」とあった。
 非常に変わった地名で、古代からこの地は「知立」「智立」と言われていた様で、その後鎌倉時代には「智鯉鮒」と書かれ、江戸時代には「池鯉鮒」が一般的だったそうです。

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松並木のモニュメント
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 松並木の最後は馬市の記念碑です。
 池鯉鮒の馬市は広重の浮世絵にも「首夏馬市」と題して描かれています。
池鯉鮒宿は木綿の集散地で馬が運搬に使われた関係から馬市が栄えたといわれています。
馬市は毎年4月25日から始まり5月の5日に終わったそうです。 宿駅の東の野(松並木付近)には4・500頭の馬がつながれ、馬の値を決める所を「談合松」と言ったそうです。 明治期に入ってからは慈眼寺境内に移り、昭和の初期には馬が牛に変わったものの継続され昭和18年を最後にその歴史が閉じられました。

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慈眼寺です。 松並木の終点の国道一号線を渡って約500m歩き、右に曲がって「山町」の交差点の所にあります。
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長くなりましたので、池鯉鮒宿(知立宿)と知立神社は次回にします。

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