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熱海の花火 [ 旅行 東海]

    
 何時も遅れ遅れのブログですが、8月5・6日に熱海の花火を見に行って来ました。

 熱海の花火は年間を通じて行われていますが、夏は特に多く、下記の様にまだ見る事が出来ます。  花火の打ち上げ時間は全て 20:20~20:50 です。
   8/18(日)・8/23(金)・8/30(金)
 詳細は左記のページを参照願います ; https://www.ataminews.gr.jp/event/8/


で、今回も8時頃に熱海のサンビーチに到着
 (エアークッション等も提供される親水公園の有料観覧席もありますが、私は砂浜で波の音を聞きながら花火の打ち上げを待つ時間が好きなんです!)


 到着すると既に多くの観客が来られていましたが、他地域の花火大会と違い「花火を見る所がごったがえす」事はありません。

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で、定刻通り打ち上げ開始です。
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この日は上空の風が弱く、花火の煙がゆっくとしか流れません。
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花火の煙で打ち上げられた花火が霞むことも!
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地元の方によると、8月5日は特に大きな花火が上がるのだそうです。
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 約30分間は間断なく花火が上がりフィナーレです。 最後は低い花火を幅広く連射する物で、花火の七色の光も音もすごかった。 
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 熱海の花火は、地形の関係で打ち上げの音が3方向から「ドッ ドッ ド~~~ン」と聞こえて来て臨場感満点です。
 ただ30分はあっという間で、他地域の花火の様に中休みを少し入れる等し、もう少し時間をかけてもいいかな!!!


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静岡県 函南町の「かんなみ仏の里美術館」 [ 旅行 東海]

 
 先日函南町の「かんなみ仏(ほとけ)の里美術館」を見に行ってきました。

 私にとっては函南町はなじみのない町でしたが、東海道五十三次の箱根峠、そして五十三次で静岡県やそれ以西に行くたびには必ず通る丹那トンネル,新丹那トンネルのある町と思ったら急に近親感がわき、興味を持ち観光地などを調べる様になり、今回「仏の里美術館」を見学しに行って来ました。


 函南町の桑原地区の人達は、平安時代の「薬師如来像」や鎌倉時代の「阿弥陀如来三尊像」等二十四体の仏像郡を守ってきました。
 これら仏像郡の散逸を防ぎ後世に残していく施設として、明治30年代後半に桑原の有志によって長願寺の裏山に「桑原薬師堂」を建て安置してきました。
 平成20年3月、桑原地区はこれらの仏像郡を函南町に寄付し、函南町の財産として保存すると共に多くの人々が鑑賞できる様にと「かんなみ仏の里美術館」を設置,展示公開しました。


 西伊豆方面に行く途中でしたので、箱根新道(国道1号線)で箱根峠に出て、そのまま1号線で三島方面に下り、中山城址脇そして三島スカイウオーク前を通り、笹原新田の交差点で1号線から左に曲がり、ナビの指示通りに細い道をくねくねと曲がりながら15分程走行し、「かんなみ仏の里美術館」に到着です。
「かんなみ仏の里美術館」はピラミッド型の屋根を持つ2棟からなっており、一棟は24体の仏像の展示室、他棟は資料の展示室になっていました。

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建物の裏の駐車場に車を止め、駐車場脇の玄関から入館。
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館内は全て撮影禁止との事でした。

 と言う事で、私の撮った仏像などの館内写真は1つもありません。
 又、「かんなみ仏の里美術館」のホームページによると「無断で複写・複製・転用・引用・改ざん・配布・販売・リンク等に利用する事を固く禁じます」との事。
 ホームページのアドレス ; http://www.kannami-museum.jp/


 それではブログでの紹介は無理と思い、入館時に受付の方に「パンフレットの写真」の利用を確認した所、個人での利用は可との事で、帰宅後スキャンしたのが下の写真です。


 下パンフレットの右の写真は「薬師如来坐像」(本体像高110cm)で平安時代中期(11世紀前半)と推測されています。 ふくよかで端正な顔が針葉樹の木目と相まって素晴らしい像でした。
 又、左の写真は「十二神将立像」、当初は鎌倉時代初期に作られましたが、時代と共に壊れたり痛んだりして作り直されたりで時代の異なる像で構成されているとの事。
 勇ましく見ごたえのある十二体です。
                  写真をクリックすると大きく表示されます。
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 下パンフレットの右上小さめの写真が「阿弥陀三尊像」です。
近畿地方には運慶や快慶等で知られる「慶派」の仏師の作が多数存在しますが、鎌倉幕府が成立し、力強い慶派の仏像が関東地方の武士にも好まれました。 ここの「阿弥陀三尊像」は「慶派」の實慶の作です。
 パンフレットでは小さな写真ですが、非常に素晴らしい「阿弥陀三尊像」ですので、ぜひ上のホームページの写真で詳細を確認して頂ければと思います。
                  写真をクリックすると大きく表示されます。
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 仏の里美術館を見学の後、「桑原薬師堂」(下写真の黄色矢印)を見学してきました。
「桑原薬師堂」は仏の里美術館前の3差路を桑村小学校方向に2・300m歩き左に曲がり、長源寺前を通り急坂を上るとお堂に出ます。

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 このお堂は明治時代から長きにわたり、仏の里美術館の仏像を安置されていたお堂で、各仏像が以前安置されていた場所に写真が貼ってありました。

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 帰り道では素晴らしい富士山も見る事が出来ました。
 (ここ一週間の連日の雨とは大違いだった!!!)
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 小さい美術館ですが、素晴らしい仏像郡ですし、何より桑原地区の住民が約8・900年もの長い間守ってきた仏像郡です。 是非見に行かれたらと思います。



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熱海の起雲閣 [ 旅行 東海]

  
 先日熱海市の起雲閣に行って来ました。
起雲閣は熱海の岩崎別荘,今は無き住友別荘と並び熱海の三大別荘と賞賛された名邸です。


 起雲閣は大正7年(1918)、大正・昭和期の政治家で海運王と呼ばれた実業家の内田信也氏(茨城出身)が建設、翌年 内田別邸として竣工「麒麟・大鳳の棟、孔雀の棟」を完成。
更に大正9年(1920)隣りの土地を入手し敷地を拡大、主に実母の静養の場所とした。

 大正14年(1925) 根津嘉一郎氏(山梨出身)が内田信也氏より取得し根津別邸となる。
根津嘉一郎氏は明治から昭和期の政治家で東武鉄道社長等につき鉄道王と呼ばれた実業家。
昭和4年(1929)に 金剛・ローマ風浴室の棟を完成、昭和7年(1932) 玉姫・玉渓を完成。

 昭和22年(1947)年 、大正・昭和の政治家、実業家の桜井兵五郎氏(石川出身)が取得し、旅館「起雲閣」として開業。 1949(昭和24)年 金剛の棟を改築、昭和56(1981)年以降 現在の音楽サロンの棟(当時は宴会場)等を新築。

 平成11年(1999)年 旅館廃業 競売物件となり、平成12年(2000) 熱海市が取得 一般公開開始。平成14年(2002) 熱海市指定有形文化財に登録しました。



起雲閣の表門で、大正8年に創建された薬医門(やくいもん)と言う造りです。
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薬医門を入り玄関に続く道です。
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玄関に入り、入館料510円を払って入館。 

 最初の見学は大正8年に完成した麒麟の間とその2階の大鳳です。
 伝統的な和風建築で、壁等の青色は「加賀の青漆喰」。 石川県加賀地方の伝統技法で旅館になってから塗り替えられた。 桜井兵五郎氏が石川県出身だったからと思われます。

麒麟の間
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2階の大鳳
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2階の大鳳から見た庭園です。
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 次の部屋は、二代目の持ち主根津嘉一郎氏により、昭和6(1931)年に着工、昭和7(1932)年に完成した玉姫の間と玉渓の間です。

玉姫の間
 玉姫の間は正面中央に暖炉があり、「折上格天上」(おりあげごうてんじょう)の建築様式で、玉姫の間に併設されたサンルームは天井や窓がステンドグラスになっています。

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玉姫の間に併設されたサンルームの天井
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玉渓の間
柱や梁などほとんど全ての木材部分は釿(ちょうな)による加工なのか「名栗仕上げ」となっていました。
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 次の3部屋は多くの文豪達の展示室となっており、この部屋は賑わっていました。
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下は昭和23年起雲閣での写真で、左から山本有三,志賀直哉,谷崎潤一郎さんです。
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 その次の部屋が「金剛」の間とローマ風呂です。
この建物は根津嘉一郎氏により、昭和3年に着工、翌年に完成しました。その後、何度も改築されているそうです。
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 金剛の間に併設されたローマ風呂です。
 昭和64年の改築の際、多くの部分で現代の材料に改められていましたが、ステンドグラスの窓やテラコッタ製の湯出口などは、建築当時の物だそうです。
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ローマ風呂を出て廊下に出ると「元は旅館だ」と実感する廊下を歩く事になります。
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 最後の和室は、「孔雀」の間です。
 この棟は大正8年に完成した内田信也氏の別邸で、当時は麒麟の棟と並んでいた。 昭和28年に旅館の客室等の増築の為現在の音楽サロン辺りに移築。 更に昭和56年、音楽サロン建築の為現在地に移築しました。 (何度も移築されながらも建物は本当に綺麗な状態でした。)
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 その後、音楽サロン等を通り、庭園に出ました。
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 で、庭園から麒麟の間を見るとガラス窓のガラスが光を反射し、大正時代の手すきガラスの歪みがはっきりと確認できました。
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  次々と所有者が変わっても廃墟にならず竣工者の意図した形で「よくぞ残った」と言うのが感想です。

熱海市の起雲閣のページ ; http://www.city.atami.lg.jp/kiunkaku/1001903.html

 熱海駅から徒歩で20分,起雲閣の裏手には駐車場もありますので、特別派手ではないがしっかりとした日本間を見に行かれてはと思います。

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伊豆市筏場のわさび田 と 熱海のMOA美術館 [ 旅行 東海]

 
 先日、伊豆半島に詳しい方の案内で、伊豆市筏場のわさび田を見に行ってきました。

 わさび田と言うと、山間部の谷あいの清流に沿って細長く続く段々畑と思っていましたが、ここの「わさび田」は日本一との事で、幅100mを超えるのではと思う程大規模な「わさび田」でした。

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 清流を利用した「わさび田」ですが、
今年は雨が少ない為、川の水量も少なく大幅な収穫減だそうです。


 で、筏場のわさび田に向かう途中で見つけておいた下の看板「椎の木平の巨木」の所に行ってみました。

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樹齢1000年との事 確かにでかい! まさに老木! 巨木でした!
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 その後、修善寺に一泊。
 翌日は天候が悪く、熱海市のMOA美術館に寄ってみました。
ここの美術館は毎月新たなテーマを設定し展示しており、今回は「URUSHI」(漆塗り)がテーマ。 近年のすばらしい漆塗り作品が展示されていました。
(展示室内の写真は取りませんでした。)

(以下3枚のMOA美術館の写真は2017年8月に撮ったものです。)
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開口部や窓が写真の額縁の様な効果を持たせた建物になっています。
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以下2枚は今回の写真です。
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「花の茶屋」 
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 1日目は快晴で、青々とした広いわさび田にはびっくり!
 2日目は天候が悪く予定を変更しましたが、MOA美術館で素晴らしい日本伝統の「漆塗り」を見る事が出来有意義な2日間でした。


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伊勢国分寺跡の見学 [ 旅行 東海]

  
 1月26日に東海道五十三次の四日市宿から石薬師宿迄を歩いて来ました。 その時に旧東海道から少し寄り道をして「伊勢国分寺跡」を見学してきました。

 で、国道1号線の采女南(ウネメ ミナミ)交差点で旧東海道から外れ、県道8号線をJR河曲駅方向に曲がり、約650mで右折し路地を進み、350mで土を盛り上げ背の低い雑草の生えたただの広場の様な場所に出ます。 周りはたんぼで、ここが「伊勢国分寺跡」です。

 伊勢国分寺の住所は 三重県鈴鹿市国分町299, 



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 国分寺(こくぶんじ)は、奈良時代741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護の為、日本各地に国分僧寺と国分尼寺の建立を命じた寺院です。
 正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」

 伊勢国分寺も聖武天皇により建立された国分寺の一つで、伊勢国国分僧寺にあたる。 伊勢国分尼寺は東側の国分町集落の辺りにあったと推定されているが発見されてはいない。

ウイキペディアによる伊勢国分寺跡の説明では、
 180メートル四方で、築地塀で区画されており、主要伽藍として西寄りの南門・中門・金堂・講堂・僧坊が南から一直線に配されており、東大寺式伽藍配置と見られる。 寺域の東寄りでは、北東院・小院・掘立柱建物などが配されており、全国の国分寺でも珍しい例になる。 他方全国の国分寺に建てる事が規定されていたはずの塔(七重塔)や、鐘楼・経蔵は未だ見つかっていない。
 ウイキペディアのページ (https://ja.wikipedia.org/wiki/伊勢国分寺跡)


 伊勢国分寺は大正11年に国の史跡に指定され、昭和63年にも発掘調査、現在も史跡保存の為の整備が行われています。

史跡の記念碑等
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講堂跡
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講堂の説明
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金堂の説明,東西30.5m 南北21.9m 非常に大きかった様です!
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食堂跡
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 尚、国分寺は、静岡県磐田市の「遠江国分寺跡」も見学しており、その時の記事は下記。
    https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-01-10



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雪の亀山城周辺 [ 旅行 東海]

 
 1月26日に東海道五十三次の内「四日市宿」から「亀山宿」迄を歩こうと、亀山駅近くにホテルを予約し出発しました。 四日市の「あすなろう鉄道の赤堀駅」から歩き始め、途中快晴だったり、曇ったり、雪が舞ったりと不安定な天候でした。

 で、「四日市宿」から1つ目の「石薬師宿」に到着した時には本格的な雪になってしまい、この日は東海道五十三次歩きを中断。

 亀山第一ホテルに宿泊し、翌朝外を見た時はまだ雪が舞っていましたが、10時過ぎにはほぼ止みました。 しかし、道路には雪が積もっており、この日も東海道五十三次歩きは断念。

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 と言う事で、雪の亀山城周辺を観光する事に。  見所が一杯ありそう!




 ホテルを出て坂道を上って行き、県道566号線(旧東海道)の東町交差点に出るとお祭りらしく出店が一杯!

で、地元の人に伺ってみると「亀山大市」と言い、
 昔、旧正月を祝う準備の為町へ買い物に出る人が自然に集り、商人も売り出しを始める様になったのが由来で、百年以上も続いている伝統的な市(いち)との事。 今は1月の第4週末に行われており、旧東海道の通りである東町・本町が歩行者天国になり、1kmにわたり地元農産物や食べ物等の露店約150店が出店、各種イベントも開催され大変賑わいます。

 尚、地元の方によると「亀山大市で雪の降らなかった年はない!」との断言!
    今年も大当たりいィ~~~~~い。
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 露店の並ぶ通りをお城の方に進んで行くと右奥の方に「法因寺」と言うお寺がありました。
ここには推定樹齢300年と言われる「左巻きのカヤの木」(下写真の大木)があります。
 「左巻きのカヤ」はカヤの変種で種子が大きく、種子の殻の表面の螺旋状の線が左巻きです。 左巻きの木は少なく奈良市都祁などの9例が知られているそうです。
又、カヤの木の下には、幕末に亀山藩の藩政改革に貢献した黒田孝富のお墓がありました。

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 法因寺の入り口から約150m、左に駐車場らしき見晴らしの良さそうな場所があり入って見ました。 見渡す限り雪景色! 雪のほとんど降らない千葉県生まれにとっては絶景です!

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 で、上の駐車場らしき場所で地元の人に「樋口本陣跡は?」と伺うも分からず、私がウロウロ探すと道路左側の出店の陰の柱に「樋口本陣跡」と言う木の看板が!

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 出店の通りを更に進み「江ケ室交番前交差点」に「大手門跡」と「高札場跡」があるとの事で注意深く探したが、「大手門跡」立札だけしか見つかりませんでした。
大手門櫓は幅3間、長さ12間だそうで、明治初頭に石垣にいたるまで破却されたそうです。

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 更に「亀山神社」方向に50m進むと右側駐車場内に「亀山城東三之丸跡」の碑があり、更に進み「江ケ室交番前交差点」から約150m、「太鼓櫓跡」の立札がありました。
 太鼓櫓は江戸の中頃築城され、嘉永7年(1854)の地震で崩壊し文久2年(1862)再建されました。尚、太鼓櫓跡の下には戦国時代末期の空堀も確認されているそうです。

 亀山小学校の白い漆喰の様な塀の前を進むと、亀山城唯一(?)のお城の建物「亀山城多聞櫓」が見えてきます。 多聞櫓の骨組みは江戸時代からの物だそうです。

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多聞櫓です。
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 多聞櫓の下には本丸で使用していた井戸が。 この井戸は岡本宗徳が亀山城築城の際(天正18年,1590年)ここにあった民家「与助鍛冶」を場外へ移転させた事から「与助井戸」と言うのだそうです。

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 亀山城多聞櫓の西隣りは「亀山神社」です。
 この神社は、江戸時代中期の延享元年(1744年)、備中国松山から石川総慶が亀山城に入城した際、城内に小祠を設けて奉斎したのが始まりだそうです。
以来、亀山城内の旧館跡に鎮座して真澂神社(ますみじんじゃ)として崇敬された。石川氏の祖である源義家と、六男の源義時、石川義純、石川家成が御祭神。

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 神社にお参りした後、亀山中学校グランドの南側の通りを歩いて行くと、中学校構内の体育館前に「藩校明倫舎跡」との碑が立っていました。
  亀山中学校の体育館前のT字路を左に曲がり、100m弱進むと左手角が亀山藩主石川家家老「加藤家の長屋門(正門)・土蔵」です。

長屋門を西から見る
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門入り口
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長屋門を東から見る
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土蔵
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亀山城南東側の外堀
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 亀山大市等を含め、ゆっくり見て回り2.5km,約3時間の散策でした。

 亀山城の多くの施設は既に無く、立札等で当時の状況を説明されており当時の状況を推察するしかなく残念でした。 施設のあった場所は既に民家や他の施設になっており、一度壊してしまうとその復活はいかに難しいか垣間見た思いです。


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熱海、今年最後の冬花火 [ 旅行 東海]

     
 12月16日に熱海の花火を見に行ってきました。

 熱海の花火は1年中行われており、12月だけでも2回,9日と16日に行われました。
又、来年は3月から始まり16回/年。 詳細は下記を参照して頂ければと思います。
 熱海の花火の紹介公式ページ https://www.ataminews.gr.jp/event/8/

 花火大会の時間は各回とも午後 8時20分~8時45分か50分迄と短時間ですが、この約30分間は打上げっぱなしでひと時も目を離せません。
 また、花火の音がすごい。 熱海市街を囲む様に三方から山が張り出しているので、1回打上げると後ろや右後ろ・左後ろからと何回も音が反響してきます。

 しかし今年の冬は暖かかったところに急に冷え込んだ事で寒さを強く感じた事もあり、打上げ会場から少し離れたホテルで見る事にしました。


 で、花火は予定通り、午後8時20分から始まりました。

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熱海の夜景も綺麗に見え、そこに火の花が加わって本当に綺麗でした。

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 今回初めて暖かい部屋で、峠越しに見える熱海の夜景と花火が調和し見ごたえのあるものでした。 しかし見物した場所が、花火の打ち上げ場所から遠かった事もあって、熱海独特の反響音や、峠越しの見物の為熱海の呼び物である「高さは低いが幅広く連続して打ち上げる"空中ナイヤガラ"(と言ったかな?)」は見る事が出来ませんでした。

 暖かい部屋でぬくぬくと「寒空に打ち上る花火」を見るか、寒さをも楽しみながら(これが難しい)豪快な音と共に上がる花火を見上げるか! どちらを選ぶか悩む所です。

 勿論、春や夏は熱海サンビーチの砂浜で波の音を聞きながら花火の打ち上げ開始を待ち、「ドドド~~~ン」と豪快な音を聞きながら見上げるのがベスト!


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熱海の花火大会 [ 旅行 東海]

 
 先日8月30日、今夏最後の熱海の花火大会を見に行ってきました。

 2018年の熱海の花火大会は何と18回も行われ、8月は特に多く5回行われました。
 熱海市の花火大会日程は下記ページを参照願います。
   https://www.ataminews.gr.jp/event/8/


 その中でも8月30日は夏花火の最後で2尺玉を含めて盛大に行われました。

 旧車大好きで知り合った友人達と少し早めに「熱海サンビーチ」の砂浜に集合し、砂浜の波の音を聞きながら,持ち寄ったおつまみを食べながら8時20分の号砲を待ちました。

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 で、話に夢中になっていたところ、突然の1発目の号砲が鳴り響き、びっくり!!!
そして、次々と上がる色々な花火!

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フィナーレが近づき2尺玉と思われる花火が!
ひときわ高く上がり、
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散り際は頭上一杯に広がりました。
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そして、何時ものフィナーレを飾る打上げ場所一杯に広がる低めで明るい花火!
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 上写真の右下の海の中に異物(黄緑矢印)が2つ!!!! 
 花火が始まる直前から海水浴を始めた若者。
 こんな不心得者でも行方不明になったりおぼれたりしたら、市民の税金を使って 捜索・助けなければならないのだろうか????

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名古屋市南区の 笠寺観音 [ 旅行 東海]

 先日、東海道五十三次の内の有松から鳴海宿を経由し名古屋市熱田区の宮宿迄を歩きました。 その中で休息を兼ね特に時間をかけて見学したのが題記「笠寺観音」でした。
  
 笠寺観音の正式名は「天林山笠覆寺(りゅうふくじ)」と言い、鳴海宿から約3kmの所にあり、最寄り駅は名鉄名古屋本線の本笠寺です。

ウイキペディアによると、
 寺伝によれば、天平5年(733年、一部文書には天平8年-736年)、僧・善光(または禅光)が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り、現在の南区粕畠町に天林山小松寺を建立し、観音像を祀ったのが始まりであるという。

 その後 1世紀以上を経て堂は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままに。
 旅の途中で通りかかった藤原兼平(875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆っていた娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。 この縁で兼平と姫によりこの地に観音像を祀る寺が建立し、笠で覆う寺即ち「笠覆寺(りゅうふくじ)」と名付けられたという。 笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。


旧東海道と環状線との「笠寺西門」交差点に「笠寺の歴史」と言う石碑があり、ここには下写真の様に記されていた。 写真をクリックすると大きく表示されます。
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旧東海道から見た笠寺観音
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仁王門には立派な彫り物や勇壮な仁王様が。
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手水舎
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本堂
本尊の十一面観音像は秘仏で、開帳は8年毎との事(最近の開帳は2014年4月)。
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玉照堂
 本堂の隣には、藤原兼平公と玉照姫の縁結びを祀った玉照堂があります。 このお堂は平成14年に再建したお堂です。
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鐘楼
 鎌倉時代、僧・阿願によって建造され、尾張三名鐘に数えられる梵鐘が鋳造された。 ここの鐘には建長3年(1251年)の銘があり、愛知県の有形文化財に指定されている。
鐘楼は貞享元年(1684)に再建されたものとの事。
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 鐘楼から更に奥に進むと「宮本武蔵の碑」や芭蕉の「千鳥塚」の碑がありました。

 宮本武蔵は、播磨国(今の兵庫県)に生まれ、各地を回りながら修行を重ねており、名古屋市南区笠寺にある東光院を宿坊にしていたと伝えられ、滞在期間は数ヶ月とも数年とも言われている。 この笠寺観音には、武蔵の百回忌にあたる延享元年(1744年)、武蔵の弟子左右田邦俊の子孫・門弟が顕彰碑(下写真)を建立した。

 又、その隣には「星崎の闇を見よとや啼く千鳥 芭蕉翁」と書かれた石碑と新しい「千鳥塚 芭蕉」と書いた碑がありました。 名古屋市緑区鳴海町の千句塚公園に芭蕉の筆による「千鳥塚」の石碑がありその碑との関係は??? 
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本堂を挟んで反対には多宝塔が。 又、その前には新しい「人質交換之地」の石碑が、
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 「人質交換之地」の石碑には、
「天文16年(1547年)尾張の織田方に対応し、三河の松平氏が駿河の今川方の援護を求め 6歳の竹千代(のちの徳川家康)を人質として差し出すも護送中に織田方の手に落ちた。  天文18年には今川方が安祥城(今の安城市八幡前)を陥落し織田信広(信長の異母兄)を捕らえ、この笠寺観音で今川方の竹千代と織田方の信広との人質交換が行われた」と言う様な事が記されていました。
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 多宝塔の向かいには 行者堂,延命地蔵堂,白山社 がありました。
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 西門の横には六地蔵堂が、
6面にお地蔵様が掘られており、一石六地蔵と言われる珍しい形だそうです。
笠寺観音の寺史によれば、明和7年(1770年)建立、善光寺九度参詣とあるとの事。

「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」による「六地蔵」とは、
 地蔵菩薩の六分身をいう。生前の行為の善悪のいかんによって、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するといわれるが、そのそれぞれに、衆生救済のために配される檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の六地蔵をいう。

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 で、笠寺観音でゆっくり見学をし、休息も取り、西門(下写真)から出て東海道五十三次 歩きに戻りました。
尚、下記のページには笠寺観音について細かく分かりやすく解説されています。
  http://hosoiri076.webcrow.jp/kasaderakannon/kasaderagaido/newpage1.html#no11 

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伊豆の河津桜を見に。 そして神奈川県中部引地川の桜祭りの準備 [ 旅行 東海]

  
 先週、伊豆の河津桜を見に行ってきました。

 ちょうど時期もよく満開でした。
 河津町の桜は人出も多く、車は渋滞,駐車場にはなかなか入れないとの話でしたが、この日は、朝天気が悪かったせいか11時頃に到着しましたが駐車もスムースでした。
又、早朝の雨はあがったものの風は強く所々に出来た雲は勢いよく流され空は真っ青!!

「河津桜観光交流館」の前の駐車場, 多くの車が止まれる様になっています。
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桜はほぼ満開,菜の花も満開でした。
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桜のトンネルになっている所も。
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広い川沿いの桜並木は見ごたえがありました。
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遅めの昼食は伊東市まで戻って「道の駅 伊東マリンタウン」で海鮮ラーメンです。

私は「アワビ炊き込みご飯とあさりラーメン」,友人は「海鮮ラーメン」
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 所で先日の日曜日、朝パソコンをつけると「引地川清掃 9時」とのメッセージが!!!
3月4日は引地川の「桜を守る会による川の清掃日」だったのです。
(毎年行われている川の清掃は、桜祭りの最初の準備作業です。)

 桜を守る会の一員でもある私は慌てて着替え、集合場所に行ってみると遅刻ではなかったが多くの方々が集まっておられました。
で、役員の方から清掃範囲や注意事項の説明があり、
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清掃開始です。
「桜を守る会」が用意した胸まであるゴム製ズボンをはき川の中の清掃も
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上流にさかのぼって川を清掃して行きます。
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 私はと言うと、川の土手を歩きごみ拾いでした。 で、清掃完了後は昨年の桜祭りの出店で得た利益をもとにペットボトルのお茶と和菓子屋さんのまんじゅうを頂いて帰宅しました。


 引地川沿いの千本桜地区の桜は、ソメイヨシノと一部八重桜で約700本が川の両岸に植えられています。 植えてから既に約50年、今では直径1m前後の木もあり、見事な桜並木と言うか桜のトンネルになっています。

傷んだ桜の切り株です。 横幅約1.0m,縦約50cmありました。
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 この地区には花見客が10万人以上訪れる時もあり、川や川岸を綺麗にして花見に来られた方が「心地よい花見」が出来ればと思っています。

 尚、引地川は治水対策の為川幅を広げる計画が始まっており、県の予算計画いかんでは来年か?再来年か?はたまたもう少し先になるのか分かりませんが、桜は伐採される事が決まっています。

大きな桜の木の下での「花見は今年が最後」か 「来年も見る事が出来るのだろうか!!!」


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静岡県伊豆の国市の韮山反射炉と江川邸, その3 「いちご狩り」 [ 旅行 東海]

 
 先日韮山の反射炉と江川邸を見学してきましたが、見学に行く数日前に友人から「韮山へ行くならいちご狩りをしてきたら」とのアドバイスを頂きました。

 地図を見ると、「韮山いちご狩りセンター」は江川邸から700mとの事でいちご狩りにも行く事に。


 現地でいちご狩りセンターに向かう途中、気になったのが反射炉横のレストラン「ほむら」で食べた昼食です。 焼き肉が美味しかった事も有り食べ過ぎてお腹満腹状態。 お腹満腹状態で「いちご狩りが出来るか!」と思いながらも、「甘いものは別腹」と考えて行く事に。

 「韮山いちご狩りセンター」では1600円/人との事で「満腹状態のお腹を抱えての1600円はちょっと高いなァ~」と思いながらも申し込みました。
(3月に入ると少し安くなるようです。)
するとセンターの係員が傘下のいちご農家に案内してくました。
 農家のいちごハウス内は入ると暖かく、青々としたいちごと赤く熟した大きないちごが垂れ下がっていました。

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満腹のお腹を抱えながらも「甘い物(いちご)は別腹」でした。
美味しかった! 美味しかった!!!  別腹も満杯になってしまいました。
                   (本人出演はたしか2度目)
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静岡県伊豆の国市の韮山反射炉と江川邸, その2 江川邸 [ 旅行 東海]

 
 先日伊豆の国市の韮山反射炉を見学した後、約3km北に行った所に「江川邸」があり、ここも見学してきました。

 江川邸は反射炉を作った江川英龍・英敏親子の邸宅であり、現在も40代当主とその家族がお住まいになっておられます。
現在の邸宅はNHK大河ドラマ「西郷どん」や「篤姫」の撮影にも使われました。

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 江川家は現在の当主が40代と言う様に歴史のある旧家で、その概略は下記の様です。
  江川家のホームページ  http://www.egawatei.com/
ウィキペディアの江川太郎左衛門のページ https://ja.wikipedia.org/wiki/江川太郎左衛門


 初代は大和源氏の祖とされる源頼親(みなもとのよりちか,1000年頃)で、初代は大和守となり、大和国(奈良県)に勢力を築き以後「宇野」を姓として8代迄は大和国に居りました。
 9代宇野親信(うのちかのぶ)が、従者と共に伊豆のヤマキと呼ばれた現在地に移住。
 16代英親(ひでちか)が1261年日蓮に出会って改宗し、以後今日に至る迄熱心な日蓮宗の家となりました。 日蓮が滞在した時に家屋の改築中で「この旧家がなお繁栄する様に」と棟札を送られたとの事。

 「江川」姓への改姓も21代英信(ひでのぶ)のあたりらしいのですが、それ以前にも人が江川殿と呼んだ様ですし、なぜ江川という名になったのかも、説が分かれています。
 23代英住(ひでずみ)が北条早雲の家来となり(1493年頃)、以後、後北条氏に約100年仕えたました。
 しかし、豊臣秀吉の小田原攻めの時に、28代の江川英長(ひでなが)が、徳川家康に仕える事になり、代官に任ぜられ、以後明治に至るまで、代々“お代官さま”となりました。

で、江戸末期の韮山反射炉を作った江川英龍・英敏は36代・37代に当たります。


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 江川家の家系図です。   画像をクリックすると拡大します。
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 また、江川家の邸宅も古く、重要文化財となっています。
現在の家屋の主屋は室町時代(1336~1573)頃に建てられた部分と、江戸時代初期頃(1600年前後)に修築された部分とが含まれています。
 江戸時代後期には、有名な江川英龍の父江川英毅により、玄関部分の改築や書院の整備が行われ、旗本家の威容が整えられました。
 尚、昭和35年から文化庁・静岡県及び韮山町の協力を得て解体修理され、文化14年(1817)の大修理以前の古い形に復元された。又茅葺きだった主屋の屋根は現在の銅板葺きとなった。 


裏側に回って土間への入り口
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50坪の土間
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土間から見た屋根の木組み
木の交差部分は全てくさびを入れて固定され、非常に大きな屋根を支えています。
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主屋の中には多くの展示品があり、下の人2人が描かれた掛け軸は重要文化財です。
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主屋の平面図です。
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又、主屋の奥には蔵が3棟ありました。
手前の茅葺の蔵は西蔵、奥の2棟は米蔵との事で、今は古い用具等が展示されていました。
尚、西蔵の柱は上に行くに従って建物中央に向かって傾けてあり耐震構造になっています。
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静岡県伊豆の国市の韮山反射炉と江川邸, その1 反射炉 [ 旅行 東海]

 
 世界遺産になる前から「もう一度 行きたい! 行きたい!」と思っていた「韮山の反射炉」に先日やっと行く事が出来ました。
 前回の見学は、45年以上前の20歳代前半だったと思うが、当時は世界遺産になるほど重要な施設とは全く思わず、ただの物見游山で他の人が「是非見たら」と言っているから見に行った様な感じでした。


 韮山の反射炉は幕末のペリー艦隊来航等で海防体制の強化が必要となり、幕府は江川英龍を責任者として反射炉を造り、大砲の製造と品川沖にお台場を作る事を決定した。
 反射炉は当初下田に作る事で基礎工事等を行っていたが、1854年3月下田に来航したペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入した事で、急きょ韮山に変更し建設する事となり1854年6月に起工した。

 江川英龍は反射炉の完成を見る事無く1855年1月亡くなりましたが、工事は英龍の息子の英敏が佐賀藩の協力を得て築造を進め、1857年11月「韮山反射炉連双2基」を完成。

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 韮山反射炉ガイダンスセンターで入場料500円を支払い、入場(江川邸の見学と合わせ700円)。 ガイダンスセンターでは映画により設置の由来や構造等の説明もありました。

で、反射炉の設置場所に。 黄緑のブルゾンを着た方がボランティアの無料説明員です。

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反射炉の構造は炉の前の部分に燃料を燃やす「焚所」,少し奥に銑鉄等を入れる鋳口があり、煙突の下から溶けた鉄等(湯)を出す出湯口があります。 
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             写真をクリックすると大きく表示されます。
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2基は直角に配置されており、大きい物を鋳造する時は2基、4個の炉を同時に稼働し多量の湯(溶けた金属)を出湯出来る様になっている。

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 で、当時鋳造された大砲のレプリカ(鉄製24ポンドカノン砲)です。
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展示の大砲の前には下の様な説明板がありました。 木村鋳造所さん有難う御座います。
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 韮山反射炉の公園には隣接して土産物屋さんやレストランも併設されています。
レストランでは焼き肉が美味しくおなか一杯に食べる事が出来もした。
(実は、美味しかった事で食べ過ぎ、のちに大きな損失を生むことに!!!)

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また、南側の茶畑の上には見晴らし台があり、天気が良いと富士山と反射炉を同時に見る事も出来ます。
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心がけが良く快晴になったのですが、何が富士さんの機嫌を損ねたんだろうか???


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熱海の花火大会 [ 旅行 東海]

 12月17日に熱海の花火を見てきました。

 熱海の花火は1年中行われており、12月だけでも2回,10日と17日に行われました。
又、既に来年のスケジュールも決まっており、1月から始まり来年は18回も有る様です。
詳細は下記ページを参照して頂ければと思います。
 熱海の花火の紹介公式ページ https://www.ataminews.gr.jp/event/8/

 花火大会の時間は各回とも午後 8時20分~8時45分か50分と短いのですが、この約30分間は打上げっぱなしでひと時も目を離せません。
 また、熱海の花火は音がすごい。 熱海市街を囲む様に三方から山が張り出しているので、1回打上げると後ろからそして右後ろから更に左後ろからと何回も反響音がしてきます。 従って、打上げっぱなしと言える程の花火の音は「ドドド・・・」と止む事がありません。
で、今回はヨットハーバーのある親水公園から見る事にしました。


 8時20分に公園やサンビーチの街灯が消され、花火の打ち上げ開始です。

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色々な花火が次々と打ち上げられます。

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途中、メッセージ花火(「お父さん、毎日まいにち頑張ってくれて有難う どッド~~ン」)等の大きな花火も打ち上げられましたが、頭上に近すぎて写真に入り切りませんでした。

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 そして、フィナーレは空中ナイヤガラと言われる花火です。
ナイヤガラと言うと一般的にはあらかじめセットした仕掛け花火ですが、熱海のナイヤガラは低目の打上げ花火をバンバン打上げナイヤガラの様に見せるもので迫力満点です。

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 いつもは熱海サンビーチの砂浜で波の音を聞きながら花火の打ち上げを待ちましたが、今回はヨットハーバーのある親水公園から見て見ました。 ここも何となくおしゃれな感覚でいいものでした。


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台風一過の 名古屋城 [ 旅行 東海]

 
 先日の10月29・30日に名古屋に行ってきました。

 本来の目的は東海道五十三次の内の「宮宿」から「桑名宿」までを"宮の渡し船"で行く予定でしたが、台風22号が襲来船は欠航となってしまいました。
 しかし、名古屋城を目の前に見えるホテルを割引価格で予約できた事も有り、台風による雨の中新幹線で名古屋に行き、前回の記事の様に熱田神宮を見学し、ホテルへ。

 チェックイン時間には早かった為、部屋の準備が出来るまで、宿泊階のライブラリーカフェでコーヒーを飲みながら待機。 30分位で部屋に入る事が出来ました。


 部屋からは、台風の雨でかすんだ名古屋城が真正面に!
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 夜にはライトアップされた名古屋城が!
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 夕食はホテル内の中華料理店「柳城」で。
特に美味しかった私の大好きな「アンニントウフ」。
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 翌日朝には台風は過ぎ去り快晴!!!
 名古屋城では正門から入った所で、地元ボランティアの方にガイドをお願いしました。
正門から本丸方向に向かう広くなが~い通路では菊の展覧会を行っており、途中には菊を使ったジオラマ風の展示が、
名古屋城天守閣を背景にこんな写真にしてみました。
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 広い通路を本丸方向に曲がると表二之門(写真中央)です。
先の大戦の空襲等で多くが失われた中、表二之門は数少ないお城創建当時の建物だそうです。
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 表二之門を入り鉤の手に曲がると再建された本丸御殿です。
本丸御殿は戦禍で焼失しましたが、文献や実測図・古い写真・障壁画等が残されており、三期にわたって創建当時の技法で再建を進められており、一期(玄関・表書院)・二期(藩主と身内等の対面や宴席の場「対面所・下御膳所」)は完成し公開されています。 来年には三期工事が終わり本丸御殿は完全復元されるとの事。
名古屋城や本丸御殿の復元詳細のページ 
 ; http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/honmarugoten/01_about/index.html


本丸御殿玄関(ここは殿様等の玄関で、私達見学者は玄関脇の言ってみればお勝手口から)
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檜の白木が綺麗です。
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本丸御殿の内部(フラッシュ無しの撮影はOKでした)
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上記が本丸御殿の一期工期分「殿様の公職エリヤ」で
以下が二期工期「殿様の身内のエリア」
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 一・二期の復元では襖2枚分(だったと思う)が失われ復元出来ず、金色に塗られたままでした。(創造や創作はせず「わからない物はわからない」で残すとの事。)


 続いて天守に向かいます。
途中工事中の本丸御殿と名古屋城天守が共に見る事が出来ました。
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天守に上がる前に清正石や鯱を見ながら説明を伺い、
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天守に上り、四方を見学。
左の高層ビル群が名古屋駅付近。 右の長方形の建物が私の宿泊したホテル。
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 天守の見学を終え振り返ってみると 「やっぱりでかい!!!」 
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 で、名古屋の食事は鳥の量が少なかったり、写真を撮り忘れたりと失敗もありましたが、一応前回の「宮きしめん」下写真の「名古屋コーチンの鳥めし」そして「ひつまぶし」を食べてきました。
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 次回は横浜赤レンガ倉庫で行われた横浜ヒストリックカーディの予定です。

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