So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン

ジャガー Eタイプの車検が近づいてきた。

 
 ジャガー Eタイプの車検は9月5日まで。

 と言う事で、先日ちょっと動かしてみた。

 エンジンをかけるのは1ヶ月半ぶりの事!

 しかし思ったより順調にエンジンは始動
 「クーン クーン クーン」程度かな。


 近所を2周した所で、近所の超車好きに見つかってしまい、同乗し1周追加3km弱の走行でしたが全く問題なし。
blogDSC_0046.jpg



 これからジャッキアップしてホイールを外し、2・3日かけて1年ぶりのホイール磨き!

ホイールを洗剤付きで水洗いして、その後液体ワックスをかけて、ウエスでふき取る。
blogDSCN6864.jpg



今年もこの程度に綺麗になればいいのですが !!!
blogDSCN6865.jpg 




 ホイール清掃が終わったら、修理屋さんの車検点検に出し、修理屋さんの見立てで万一大きな修理が必要なら、引き取り私が修理をする予定です。

その為には出来るだけ早く修理屋さんに点検に出したい !!!


nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

東海道五十三次 二川宿 ~ 宮宿 目次 [東海道53 次 愛知県 目次]

      
 私の「東海道五十三次」は 2009年12月15日に東京 日本橋を出発し、2016年5月に愛知県入りしました。 東海道五十三次のブログ記事は 2017年2月現在58件になり、後々分り易い様にと「東京・神奈川 目次」と「静岡 目次]」及び今回「愛知 目次」を作りました。
 「東京・神奈川 目次」http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-11-11
 「静岡 目次]」   http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-12-11

 私は2009年5月に顎下腺癌の手術と放射線治療を行った事で体力の低下が著しかった。 運動によるリハビリもあるが三日坊主の私には続く見込みがなく、1回/月程度「東海道五十三次を歩く」事でその時々の体力の状況を知ろうと初めて見ました。
又、2011年2月には椎間板ヘルニアになり箱根を登った後、2年半も中断し 2013年7月三島宿からの再開でした。

                 画像はクリックすると大きく表示されます。
                 赤字のULRは私が歩いた時のブログ記事です。
                 浮世絵は全て歌川広重の「東海道五十三次」からです。
---------------------------------------ーー

1.白須賀宿 ~ 二川宿 2016年4月29日
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-05-31

広重の絵の副題「猿ケ馬場」は下中央写真の境川の東側白須賀宿を出てすぐの所、今の「境宿」あたりだったそうで、昔境宿はかしわ餅が有名で広重の絵にも描かれています。
      
 歌川広重の二川宿   中央写真は静岡と愛知の県境、境川付近  右は二川本陣
Tokaido33_Futagawa[1].jpgm_blogDSCN9613[1].jpgblogDSCN9673.jpg
 
---------------------------------------ーー

2.二川宿 ~吉田宿 2016年10月13・14日
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-10-26

     現在の豊橋は以前は吉田と言われており、現在の豊橋も吉田橋と言われていた。
    広重の絵は多分現在の豊橋公園のお城付近から見たものと思われ、私の東海道の
    地図では豊橋公園付近は通らない。広重はお城見学に行かれたのでしょうか?

    歌川広重の吉田宿         豊川と矢印付近に吉田城
    Tokaido34_Yoshida[1].jpg blogDSCN0588.jpg

---------------------------------------ーー

3.吉田宿 ~ 御油宿 2016年10月114日,12月17日
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-12-25
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2016-12-29
    歌川広重の御油宿         写真は御油本陣と御油の松並木の間
                     残念ながら私は客引きに会いませんでした。
    goyu[1].jpg blogDSCN1153.jpg

---------------------------------------ーー

4.御油宿 ~ 赤坂宿 2016年12月17日
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-01-05
    歌川広重の赤坂宿         赤坂宿浄泉寺に植えられている広重の絵の蘇鉄
    Akasaka.jpg bblogDSCN1182.jpg

-------------------------------------ーーーー

5.赤坂宿 ~ 藤川宿 2016年12月17日
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-01-09
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-01-13
    歌川広重の藤川宿         藤川宿の入り口「棒鼻」の跡
    bloFujikawa.jpg blogDSCN1259.jpg

-------------------------------------ーーーー

6.藤川宿 ~ 岡崎宿 2016年12月18日,2017年1月22日
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-01-19
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-01-31
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-02-02
    江戸時代の矢作川の矢作橋は現在の橋より100mも長く、370mもあり
    当時は東海道1長い橋でした。しかも、橋の位置が50m下流にあった為、
    広重の絵と現在の写真ではお城と橋の位置関係がずれています。

    歌川広重の岡崎宿          現在の矢作川越しに岡崎城を望む
    Okazaki.jpg bblo.jpg

-------------------------------------ーーーー

7.岡崎宿 ~ 池鯉鮒(知立)宿 2017年1月22・23日
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-02-14
        http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2017-02-18
    歌川広重の池鯉鮒宿      現在の知立(池鯉鮒宿)の馬市跡のモニュメント
    Tiryu.jpg bblogDSCN1747.jpg

-------------------------------------ーーーー

8.池鯉鮒宿 ~ 鳴海宿  2018年3月10日に池鯉鮒宿~有松迄
        https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-23
        https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-26
        https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-10
    歌川広重の鳴海宿        現在の有松の街並み
    blogNarumi.jpg 2blog服部家DSCN2457.jpg

-------------------------------------ーーーー

9 .鳴海宿 ~ 宮宿    2018年5月頃歩く予定です。
        https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-19 
        https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-27
    歌川広重の宮宿
    blog Miya.jpg

-------------------------------------ーーーー

10 .宮宿(七里の渡し)~桑名宿    2018年3月11日
         http://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-15        

   歌川広重の宮宿           現在の七里の渡しの船着き場
   (「狂歌入東海道」による広重の宮宿の浜)
   Miya_LACMA_M.2006.136.342[1].jpg   blogDSCN4612.jpg

==========================================================================

何時もつたないブログをお読み頂きありがとうございます。
下記はブログランキングのアイコンです。 是非クリックし応援をお願いします。 

名車・クラシックカーのランキングへ                               にほんブログ村 車ブログ 名車・クラシックカーへ


「旅 ; 街道・古道」 のランキングへ, 日本橋から                                     にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ

京都 三条大橋迄,                                                  にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ



nice!(20)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

東海道五十三次 鳴海宿(名鉄の桜駅)から宮宿 その2 [ 東海道五十三次]

  .
 昨年3月頃に再発した腰痛も大分回復し、先日名古屋市緑区の有松から鳴海宿を経て宮宿迄を歩きました。 前回のブログでは鳴海宿から名鉄の桜駅迄をレポートしました。
で、今回は名鉄の桜駅から宮宿迄をレポートします。
有松から鳴海宿迄のページ   https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-10
鳴海宿から名鉄桜駅迄のページ https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-19


 熱田区伝馬町のホテルを出て名鉄の神宮前駅から桜駅に戻り9時頃から歩き始めました。

 桜駅から350m位の所の「地蔵院(湯浴地蔵)」の前に東海道と書いた石碑があり、その石碑には「鎌倉街道」とも書いてありました。
(神奈川県には「鎌倉街道」は多数ありますが、名古屋にまであるとはちょっとびっくり。)

blogDSCN5448.jpg


地蔵院から約250m歩くと右側に「熊野三社」の鳥居と「東海道の石碑」が。

blogDSCN5450.jpg


 更に100m程歩くと左側の料理屋「いずたま」さんの前の「東海道」の石碑には「山崎の長坂」とあり反対の面には「山崎城跡・安泰寺」と記されていました。

 この付近に住んでおられるお年寄りの方に教えて頂いたのですが、この道路の下には昔の「鉄道の線路」が埋まっているのとの事。 この鉄道は、当時小高い丘になっていた山崎城址を切り崩して鉄道を通す為の合意が出来ず、仮設した鉄道との事でした。
(帰宅後色々とネット検索してみましたが仮設鉄道の確証は見つからなかった。 ただ、教えてくれた方は道路工事の時に線路を見たそうで、線路がある事は間違いないと思います。)

この道路の雰囲気からはとても鉄道が埋まっている様には見えません。

blogDSCN5452.jpg


 「いずたま」さんから約300mで山崎川(下段に写真あり)を渡り、山崎川から更に600mで名古屋高速3号大高線との交差点「松田橋」に出ました。 高速の陸橋下に小さな公園がり「昔の松田橋の親柱を使い松田橋を復元した」とありました。
 尚、私には下右写真の下側の古地図を今の地図に当てはめて見る事が出来ず残念で今も気になっています。(写真をクリックすると大きく表示されます。)

blogDSCN5457.jpg blogDSCN5456.jpg


 松田橋の交差点で国道1号線と合流し、約350m歩き「内浜交差点」で国道1号線の左側側道に入り更に約350m、JRの東海道本線の踏切を渡り、踏切と隣接した交差点を斜め左に入って行きます。 踏切から約200m、新堀川の「熱田橋」に到達。

 熱田橋ではボランティアで水質検査をされている方々(下左写真歩道中央の方々,緑矢印の先)に出会いました。
 少し前に渡った山崎川もこの新堀川も濁っており、川底は真っ黒(ヘドロとの事)。
今回で日本橋から愛知県迄を完歩しましたが、この二つの川が最も汚い様に感じた。
私が歩いた季節や天候,潮の満ち引き等の巡り合わせが悪かったせいなのか??? 

熱田橋                          水質検査をしている方々
blogDSCN5460.jpg blogDSCN5464.jpg

熱田橋の手前1.4km,呼続の近くの山崎川。 白く濁り、川底は真っ黒!
blogDSCN5455.jpg


 新堀川の熱田橋から約200m、名鉄常滑線のガードをくぐると「伝馬街園」と言う小さな公園があり、宮地区を説明した掲示板(下写真黄色矢印)がありました。
青矢印の所は下記の「姥堂」,緑矢印が今回宿泊したエクセルイン名古屋熱田ホテル

blogDSCN5465.jpg


 伝馬街園から約50m、姥堂に裁断橋址と都々逸発祥之地の石碑がありました。
下写真の2階には姥像の複製(戦災で焼失後、1/2の大きさで複製)が安置されています。

「裁断橋」は、ここのすぐ東に流れていた精進川に架かっており、「裁断橋」を渡ると「宮宿」だったそうです。
 「裁断橋」の由来は、天正18年(1590年)、18歳になる我が子堀尾金助を小田原の陣で亡くし、その菩提を弔う為に母は橋の架け替えを行った。 33回忌に再び架け替えを志したが母はそれを果たせず亡くなり、養子が遺志を継ぎ元和8年(1622年)に完成した。
 大正15年には川は埋立られ橋の擬宝珠(ぎぼし)は道路わきに保管されていたが、今は市指定の文化財として市の博物館で保管。 下写真黄緑矢印の先が複製の擬宝珠。

ウイキペディアによると、
 裁断橋の擬宝珠に彫られた仮名書きの銘文は、日本女性三名文のひとつに数えられている。
「てんしやう十八ねん二月十八日おだはらへの御ぢん、ほりをきん助と申す十八になりたる子をたゝせてより、又ふためとも見ざるかなしさのあまりに、いま此はしをかける事、はゝの身にはらくるいともなり、そくしんじやうぶつ給へ、いつがんせいしゆんと、後のよの又のちまで、此かきつけを見る人、念仏申給へや、卅三年のくやう也 」
ウイキペディアのページ https://ja.wikipedia.org/wiki/裁断橋
下記のページに複製擬宝珠の写真がありました。
   www.geocities.jp/onriedo_gongujodo/saidanbashi-photopage01.html

 都々逸発祥の石碑は下写真黄色矢印の先で、宮前の飯盛り女の中から後に「どどいつ節」が生まれたとの事で江戸でも評判になるほど広く愛唱されたと言われる。
都々逸についてのウイキペディアのページ https://ja.wikipedia.org/wiki/都々逸

blogDSCN5471.jpg

姥堂と裁断橋の説明板 写真をクリックすると大きく表示します。
blogDSCN5473.jpg


 実は、姥堂の前が宿泊したエクセルイン名古屋熱田ホテルでしたので、ホテルに再び入りクーラーのしっかり効いたロビーでゆっくり休息させて頂きました。


 ホテルで英気を養って、再スタートです。

 姥堂前の道を真っ直ぐに姥堂から400m、突き当りにほうろく地蔵がありました。
(ほうろく(焙烙)とは:茶葉・豆・ごま・塩等をいるための素焼きの浅く丸い皿形の土鍋。)
右写真がここのほうろく地蔵の由来です。
blogDSCN5480.jpg blogDSCN5483.jpg



 ほうろく地蔵の前には、熱田伝馬町の西端に当たるそうで、東海道と美濃路(又は佐屋路)の分岐点を示す石碑(黄緑矢印)がありました。 詳細は下右の説明板を参照願います。

blogDSCN5477.jpg blogDSCN5478.jpg


 ほうろく地蔵の前を左折して直ぐに国道247に到着。 歩道橋を渡って、

blogDSCN5484.jpg


(うな丼の様な)ひつまぶしで有名な「あつた蓬莱軒本店」を横目に見ながら歩く事200m、
今回の終点であり、愛知県最後の旧東海道 宮宿の「7里の渡し」に到着です。

blogDSCN5486.jpg


 熱田神宮の西門から神宮を横切る様に歩き、名鉄名古屋本線の神宮前駅から帰宅の途に!
熱田神宮西門
blogDSCN5492.jpg


 今回で愛知県内の旧東海道を完歩!!!

 秋からは三重県だ!!!

 たまの旅行の様にその地域毎の名所旧跡を見学し、その地方の美味しいものを食べて!!!


nice!(12)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

東海道五十三次 鳴海宿から宮宿 その1 [ 東海道五十三次]

 
 昨年3月頃に再発した腰痛も大分回復し、先日名鉄名古屋本線の有松から鳴海宿を経由し宮宿迄を歩き、下記ページで有松から鳴海宿迄をレポートしました。
で、今回は鳴海宿から名鉄の桜駅迄です。
 前回の記事 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-10


 歌川広重の東海道五十三次 宮宿
1280px-Hiroshige42_miya[1].jpg


 有松駅に11時頃到着し、鳴海宿本陣跡に午後1時過ぎに到着。 そして鳴海宿最後の「丹下町常夜灯」を13時半頃に通過。 長期の腰痛療養で体力は減退、疲労を感じ始めましたが中断せず宮宿を目指し自分に鞭打って歩き続けます。


 で、いきなり自動車修理工場内の旧車を発見。 立ち寄りお店の方と20分位旧車談議!
2代目コロナマークⅡ(1972年~1976年)
blogDSCN5380.jpg


 大好きな旧車談議をした事で、軽くなった足取りで先を急ぎます。

 丹下町常夜灯から約500m、右側に鉾ノ木貝塚と書いた掲示板を見つけました。
縄文時代早期から前期にかけての貝塚との事で、貝層はハイガイを主としており、土器も出土したとの事。 上層土器が鉾(ほこ)の形をしていた為、その型式をとらえ「鉾ノ木式」と呼ばれているとの事でしたが、狭い範囲だったし草位刈ってほしかったな!
blogDSCN5381.jpg


 で、上写真左側の路地ににた次の路地を上って行くと「千句塚公園」です。
下写真掲示板の様に「芭蕉が生前に立てられた唯一の碑「千鳥塚」」があります。
blogDSCN5382.jpg

blogDSCN5388.jpg

blogDSCN5387.jpg


 千句塚公園の下の交差点「三王山」から1km強歩きやっと「笠寺一里塚」に出ました。
ここの立派な榎は、超大きな石付き盆栽の様に盛り土を抱え込む根張りがすごかった。
blogDSCN5397.jpg


 笠寺一里塚から400m「笠寺観音」正式名「天林山 笠覆寺(りゅうふくじ)」に到着。

ウイキペディアによると、
 寺伝によれば、天平5年(733年、一部文書には天平8年-736年)、僧・善光(または禅光)が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り、現在の南区粕畠町にその像を祀る天林山小松寺を建立したのが始まりであるという。

 その後 1世紀以上を経て堂は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままに。 旅の途中で通りかかった藤原兼平(875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆っていた娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。 この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺即ち笠覆寺(りゅうふくじ)と名付けられたという。 笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。
blogDSCN5403.jpg


仁王門には立派な彫り物、勇壮な仁王様がある。
blogDSCN5407.jpg


本堂
本尊の十一面観音像は秘仏で、開帳は8年毎との事(最近の開帳は2014年4月)。
blogDSCN5408.jpg


鐘楼や人質交換之碑等他の各施設は前回ページの「名古屋市南区の笠寺観音」を参照願います。 前回ページ https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-15


 笠寺観音でゆっくり見学と休息をした後、西門から出て旧東海道歩きに戻りました。

 笠寺を出て100m弱、「笠寺西門」交差点には「笠寺の歴史」を記した石碑がありました。 残念ながら扇形の上の銅板は腐食で読む事が出来ませんでしたが、下の文字板は下写真の様に充分に読めました。
blogDSCN5427.jpg
「笠寺の歴史」を記した文字板     写真をクリックすると大きく表示します。
blogDSCN5428.jpg



 「笠寺西門」の交差点を通過し、すぐに名鉄名古屋本線の踏切を渡り約60m、小さな交差点を右折しまっすぐに約500m歩き、「東海道の石碑」と共に赤い鳥居,そして中では高さ10mはゆうに超えるかと思われる大きなカラマツ(だったかな?)の木を剪定していましたので見学、更に中に入って見ました。
blogDSCN5432.jpg

blogDSCN5433.jpg


 更に奥に進むと、中には「長楽寺」の看板があり、地図を見ると「富部神社」とあり、神社の社の提灯には「清水稲荷大明神」と! 何が何だか分からなくなりながらもお稲荷さんにお参りし、休息!(休んでばっかり! だって病み上がりみたいなもんだもん!!)
blogDSCN5437.jpg


 で、約200m歩き名鉄名古屋本線の桜駅入り口で何の躊躇もなく右に曲がり、「桜駅」から電車に乗りホテルのある「神宮前」に。
blogDSCN5438.jpg


 更に歩く気力は無く、タクシーで伝馬町(てんまちょう)のホテル「エクセルイン名古屋熱田」に!
blogDSCN5439.jpg



 ホテルでひと寝した後、「煮込みうどん」か「名古屋コーチン」を食べたくホテルの方にお伺いし一路地下鉄で「栄駅」から「三蔵通本町」交差点の「山本屋本店」に。

で、「名古屋コーチン入り味噌煮込みうどん」を食べました。
美味しかったのですが、岡崎市の「角久さんの食堂で食べた味噌煮込みうどん」の方が美味しかった。 八丁味噌屋さんの宣伝用の様なお店と比較する事に無理があるのかも!!!
blogDSC_0030.jpg


nice!(11)  コメント(2) 
共通テーマ:旅行

名古屋市南区の 笠寺観音 [ 旅行 東海]

 先日、東海道五十三次の内の有松から鳴海宿を経由し名古屋市熱田区の宮宿迄を歩きました。 その中で休息を兼ね特に時間をかけて見学したのが題記「笠寺観音」でした。
  
 笠寺観音の正式名は「天林山笠覆寺(りゅうふくじ)」と言い、鳴海宿から約3kmの所にあり、最寄り駅は名鉄名古屋本線の本笠寺です。

ウイキペディアによると、
 寺伝によれば、天平5年(733年、一部文書には天平8年-736年)、僧・善光(または禅光)が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り、現在の南区粕畠町に天林山小松寺を建立し、観音像を祀ったのが始まりであるという。

 その後 1世紀以上を経て堂は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままに。
 旅の途中で通りかかった藤原兼平(875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆っていた娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。 この縁で兼平と姫によりこの地に観音像を祀る寺が建立し、笠で覆う寺即ち「笠覆寺(りゅうふくじ)」と名付けられたという。 笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。


旧東海道と環状線との「笠寺西門」交差点に「笠寺の歴史」と言う石碑があり、ここには下写真の様に記されていた。 写真をクリックすると大きく表示されます。
blogDSCN5428.jpg 


旧東海道から見た笠寺観音
blogDSCN5403.jpg


仁王門には立派な彫り物や勇壮な仁王様が。
blogDSCN5407.jpg


手水舎
blogDSCN5409.jpg


本堂
本尊の十一面観音像は秘仏で、開帳は8年毎との事(最近の開帳は2014年4月)。
blogDSCN5408.jpg


玉照堂
 本堂の隣には、藤原兼平公と玉照姫の縁結びを祀った玉照堂があります。 このお堂は平成14年に再建したお堂です。
blogDSCN5410.jpg


鐘楼
 鎌倉時代、僧・阿願によって建造され、尾張三名鐘に数えられる梵鐘が鋳造された。 ここの鐘には建長3年(1251年)の銘があり、愛知県の有形文化財に指定されている。
鐘楼は貞享元年(1684)に再建されたものとの事。
blogDSCN5414.jpg



 鐘楼から更に奥に進むと「宮本武蔵の碑」や芭蕉の「千鳥塚」の碑がありました。

 宮本武蔵は、播磨国(今の兵庫県)に生まれ、各地を回りながら修行を重ねており、名古屋市南区笠寺にある東光院を宿坊にしていたと伝えられ、滞在期間は数ヶ月とも数年とも言われている。 この笠寺観音には、武蔵の百回忌にあたる延享元年(1744年)、武蔵の弟子左右田邦俊の子孫・門弟が顕彰碑(下写真)を建立した。

 又、その隣には「星崎の闇を見よとや啼く千鳥 芭蕉翁」と書かれた石碑と新しい「千鳥塚 芭蕉」と書いた碑がありました。 名古屋市緑区鳴海町の千句塚公園に芭蕉の筆による「千鳥塚」の石碑がありその碑との関係は??? 
blogDSCN5416.jpg



本堂を挟んで反対には多宝塔が。 又、その前には新しい「人質交換之地」の石碑が、
blogDSCN5420.jpg


 「人質交換之地」の石碑には、
「天文16年(1547年)尾張の織田方に対応し、三河の松平氏が駿河の今川方の援護を求め 6歳の竹千代(のちの徳川家康)を人質として差し出すも護送中に織田方の手に落ちた。  天文18年には今川方が安祥城(今の安城市八幡前)を陥落し織田信広(信長の異母兄)を捕らえ、この笠寺観音で今川方の竹千代と織田方の信広との人質交換が行われた」と言う様な事が記されていました。
blogDSCN5421.jpg


 多宝塔の向かいには 行者堂,延命地蔵堂,白山社 がありました。
blogDSCN5424.jpg


 西門の横には六地蔵堂が、
6面にお地蔵様が掘られており、一石六地蔵と言われる珍しい形だそうです。
笠寺観音の寺史によれば、明和7年(1770年)建立、善光寺九度参詣とあるとの事。

「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」による「六地蔵」とは、
 地蔵菩薩の六分身をいう。生前の行為の善悪のいかんによって、人は死後に、地獄、畜生、餓鬼、修羅、人、天という六道の境涯を輪廻、転生するといわれるが、そのそれぞれに、衆生救済のために配される檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光の六地蔵をいう。

blogDSCN5423.jpg



 で、笠寺観音でゆっくり見学をし、休息も取り、西門(下写真)から出て東海道五十三次 歩きに戻りました。
尚、下記のページには笠寺観音について細かく分かりやすく解説されています。
  http://hosoiri076.webcrow.jp/kasaderakannon/kasaderagaido/newpage1.html#no11 

blogDSCN5426.jpg


nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車