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ジャガーEタイプ, スピード メーター ワイヤーを交換 [  Eタイプ の修理 (エンジン以外)]

 
 昨年末、熱海のクラシックカーショーに参加した帰り、7・80km/hで走行している時にスピードメーターの針が ±5km 位振れていました。 今までに数えきれない位 7・80km/hで走行しているが初めての現象です。

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スピードメーター関係は、

 レストアをしていた時、メーター専門のメンテナンス屋さんにメーターの表示を「Mile/h」から「Km/h」に変更すると共にオーバーホールをお願い致しました。

 又、スピードメーターワイヤーはレストアの時、新品を購入していましたが、従来使用されていた物と新品を真っ直ぐに並べ、片側からワイヤーを回し反対側のワイヤー先端の振れを確認し、振れの少なかった従来品を使用する事にしました。(この方法が正しい選択方法かは分かりません。)

 今組付いている従来品 はどの位使われていたか分からず、「メーターの針振れはワイヤーが切れる前兆かも?」との不安もあり新品ワイヤーに交換する事にしました。



とは言ってもスピード メーター ワイヤーを外すのは大変!
 トランスミッション側のスピード メーター ワイヤー取り付け部分を外す為、インスト中央部メーター下のラジオの入ったボックスを外し、左右の椅子とシートベルトを外し、ハンドブレーキのワイヤーをゆるめ、コンソールボックスを外し、カーペット類をめくってボディのトランスミッションカバーを外し、やっとスピードメーターワイヤーをトランスミッションから外す事が出来ます。

又、メーター側はインストパットを外してメーター側のケーブルを外します。



下写真の黄色矢印部がトランスミッション,黄緑矢印の先がスピード メーター ワイヤー取り付け部分
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従来から使われていたスピード メーター ワイヤー
トランスミッション側
黄緑矢印がスピードメーターワイヤー,黄色矢印はワイヤードライブ
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エンジンルーム側
黄緑がトランスミッションからのワイヤーで、黄色の所から室内のスピードメータに行く。
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 で、車に付いている従来品を外し、新・旧のワイヤーを指で回してスムースに回るかを確認、新の方は微妙に引っかかる様な感じがしたが、「まァ~良いか」と言う事で新ワイヤーを車に取り付けました。 (この「まァ~良いか」がよく致命傷になるんだけどねェ~~)


 又、スピードメーターワイヤーのワイヤードライブも従来から車に付いていた物を使ってきたが、今回ワイヤーと共に新品に交換する事に。
新旧のワイヤードライブ
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 で、新ワイヤー及び新ワイヤードライブを取り付けました。
トランスミッション側
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エンジンルーム側
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スピードメーター部分
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 交換後の試乗結果、40km/h/位で微振動の様な針振れが発生するが「まァ~良い」かのレベルです。(多分、この微振動はワイヤー単体を指で回した時の微妙な引っかかりかも。)
(1月20日の試乗では40km/h付近のメーターの針の微振動は無くなっており、初期なじみで解消した様です。)

7・80km/hでの針振れは、速度を出せる所がなくまだ確認できていません。

今回他の整備も計画しており、それらが終わった時点で再度試乗点検したいと思います。


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ジャガー Eタイプ,ブレーキランプ スイッチ交換  [  Eタイプ の修理 (エンジン以外)]

 
 昨年11月、横浜赤レンガ倉庫のクラシックカーショーに行く途中で、「ブレーキランプが点灯しているのかなァ~?」と疑問を持つ様な電圧計の針ふれがあった。

 相当強くブレーキペダルを踏まないとブレーキランプが点灯したと思われる電圧計の針振れが起こらないのだ。 (ブレーキランプ スイッチはペダルを踏んだ時のブレーキ液の液圧でスイッチが作動する形式です。)
 で、昨年末友人が来た時、ブレーキペダルの踏込み強さとランプ点灯の関係を見てみた。
始めは強く踏むと点灯したが、その内かなり強く踏んでも点灯しなくなってしまった。

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 で、原因はブレーキランプ スイッチ(黄緑矢印)だろうと推測し、ブレーキランプ スイッチを購入。  先日息子にてつだってもらい、点検・修理をする事に。

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まずは点検、
ブレーキペダルを徐々に強く踏み点灯確認 : まったく点灯せず。

ブレーキランプ スイッチのハーネスを外しテスターの抵抗計で通電を確認
 :ブレーキペダルを軽く踏むだけでも通電する。(写真はペダルを踏んでいない時の物)

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ブレーキランプ スイッチのハーネスを直結して点灯確認 : 全く問題なく点灯。
  (ワイヤリングハーネス上での問題はなさそう)
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で、再度通常の結線をしてブレーキペダルを踏むも、ランプは点灯せず!!!!!!

関係部品はみんないい様に見えるが、組み合わせるとダメ!!! なんでェ~!!


 何が何だか分からない。 ブレーキランプ スイッチは通電するも例えば「接点の接触面積が極わずかで、ランプを点灯するだけの電力を流す能力がないのだろうか」 ・・・・・等と理屈にたがわぬ様な事を色々推測しながらもブレーキランプ スイッチを交換する事に。



 で、新しいブレーキランプ スイッチに交換した結果、軽くブレーキを踏むだけでランプは点灯した!!!  

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 私のジャガー Eタイプは色々な所で不思議な事が起きる。 
「多分スイッチの接点の具合が良くなかったのだろう!」 と言う事で納得しておこう!


ただ、
 私の車に「いたずらな神様」が住み着いているのかなァ~~~

 少なくとも「意地悪な神様」が住み着いているとは思いたくない!!!


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東海道五十三次, 桑名宿から四日市宿 その3(富田から四日市宿陣屋) [ 東海道五十三次]

 
 昨年12月、桑名宿から四日市宿を経て石薬師宿を目指し早朝出発し、10時頃にJR桑名駅に着きました。 桑名城址等の見学に時間をかけてしまい、1日目は四日市富田迄しか行く事が出来なかった。 せめて予約したホテルのルートイン四日市迄行きたかったのですが!!


 1日目のホテル到着は夕方ほぼ暗くなっており外の景色を見る事が出来なかったが、2日目の朝鈴鹿山脈方向を見ると山は雪に覆われていました。
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2日目は近鉄名古屋線の「川原町駅」から電車に乗り、「近鉄富田駅」に!

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前日タクシーに出会い「歩く気力がプッツン」した"Y字路"迄戻って歩き始めます。

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 歩き始めて100m。 左側に八幡神社があり、境内には「力石」もありました。
 ここの力石は、鎌倉時代頃から主に力比べとして、又、力比べの体力を養う事で健康長寿への信仰を深める為の道具としていた様です。 写真の石はおよそ100kgとの事。

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 力石の八幡神社から260mで右折して更に道なりに歩き650m、桜並木の十四川に到着。
 左を見るとひときわ大きなお寺「善教寺」さんがありちょっと寄って見た。 このお寺さんには鎌倉時代 仁治2年(1241年)の作と言われる国の重要文化財「木造阿弥陀如来立像」があるとの事。
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十四川を渡り次の右路地角に常夜灯があり裏には天保10年(1839)、150年前の作でした。
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 十四川(善教寺)から400m、T字路の突き当りには「新設用水道碑」という石碑と2つの「力石」がありました。
 ここの力石は、明治の中頃村の2ヵ寺の御堂再建の為各所より土台石の奉納があった。 この土台石の中から下写真の石を選び、持ち上げ競い合ったとの事です。 掲示板には「1つは「三十二メ」(32貫,約120kg)、もう1つ(青矢印)は 5貫(約19kg)で子供用だろう」と書かれていた。
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 上の2つの力石から70m程で右折して道なり800m強で「中部陸運局 三重運輸支局 四日市自動車検査場」(何でこんなに長い名前なの,要は四日市車検場)を右に見て歩くと大きな常夜灯(羽津の常夜灯)がありました。
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 四日市の車検場から米洗川を渡り約300mの右側に「八幡延命地蔵尊」がありました。 しっかりした地蔵堂でありながら細かな説明が見つからず帰宅後調べた所、

 ここの地蔵尊は、下の金場延命地蔵尊と同じ石から作られた兄弟地蔵で、もとは羽津村の北の入口(羽津の常夜灯(上写真)の向かい辺り)にこの八幡延命地蔵尊があった様です。 昭和4年(1929年)に八幡地区の住民に依って現在地に移設されたという。 

 昔は、村内に疫病が入らない様にする結界地蔵と言われていたが、江戸時代には旅人の安全祈願や延命祈願が強くなり、延命地蔵尊と呼ばれる様になった。 この地蔵尊の頭巾の下に螺髪があるという珍しいもので、よだれかけの下には阿弥陀如来来迎図が隠れている。

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 下写真は、上記の八幡延命地蔵尊から1.3km先の左側、八幡延命地蔵尊と兄弟地蔵尊の「金場延命地蔵尊」です。 もとは羽津村の南入口(羽津の東海道の南端で二重川にかかる堺橋、今の金場町交差点付近)の結界地蔵であった。 昭和48年(1973年)市道拡幅工事で二重川が埋め立てられた時に、住民の手で現在地に移設された。

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 「八幡延命地蔵尊」から「金場延命地蔵尊」の間1.3kmも飛んでしまったが、この間で「八幡延命地蔵尊」から300mの所に「かわらずの松」がありました。 樹齢200年だそうで、この地区は昔「かわらず(川原須)」と呼ばれており、「かわらずの松」と命名したとの事。 四日市の東海道では日永地区の松とこの松の2本だけになってしまった様です。

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 その他この地区の旧東海道の道路沿いには下写真の様な物が置かれていました。 陶器で出来ているもので、中には明かりも入れられる様になっており、現代の常夜灯です。 この地区が「万古焼」発祥の地の為、陶器で案内板を作られたのだろうか?
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 「八幡延命地蔵尊」から 1.1kmで国道1号線に出て、国道一号線を650m程進み、斜め左の路地に入り約100m、「海蔵川」手前の「三ツ谷一里塚」跡に着きました。
 三ツ谷一里塚の元の位置は今の川の中ほどで、昭和20年代の拡幅工事で川の中に取込まれ、平成13年東海道宿場・伝馬制度制定四百周年を記念して現在地に石碑を立てたとの事。

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 で、右側の国道1号線に戻り海蔵川を渡り直ぐに左折し、上記の一里塚の延長線上の旧東海道に戻ります。 そして約1kmで、歌川広重の東海道五十三次の内の四日市宿として描かれている三滝川です。
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現在の三滝川の橋
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 三滝川を渡り約100mで笹井屋さんに到着します。
 笹井屋さんは元は日永の追分近くで操業。 「なが餅」は1550年頃には評判の銘菓となり現在まで続いています。 笹井屋さんののぼりも随所に立っており1包購入してみました。

 又、下記の記事によると四日市宿の本陣は「・・・札の辻の北角に清水本陣があった」との事で笹井屋さん付近だった様です。 その事をなが餅を購入した時に店員さんに伺ったが全く知らなかった様です。
四日市の本陣に関する記事:http://youjirouwalk.arrow.jp/wordpress/?p=121

所で帰宅後なが餅を食べたが現代では多くの美味しい物があり"それほどでも"といった所。

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 笹井屋さんを出て、2ブロック進み左折して80m、四日市市立中部西小学校校門の脇に「四日市宿陣屋跡」の記念碑があります。
 四日市町は下説明板の様に、慶長8年(1603)から一時期(享保9年(1724)~享和元年(1801)迄の期間のみ大和郡山藩領)を除き、江戸時代を通して天領(幕府領)だった。
 その天領を治める為にここに陣屋を設置していました。 明治維新以降は三重県庁舎等に使われたが、明治9年の伊勢暴動ですべて焼失しました。
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(写真をクリックすると大きな写真になります。)
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 陣屋跡から旧東海道に戻り100m、四日市宿の第二本陣だった「黒川本陣」を受け継ぐ「黒川農薬商会」の前を通って進みます。

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で、黒川農薬さんから150m、「すぐ江戸道,すぐ京いせ道」で有名な道標がありました。
この「すぐ」と言うのは「まっすぐ」の意味だそうです。

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 国道1号線を渡り、諏訪神社の表参道入口でありスワマエ商店街入り口に到着しました。 今回の四日市宿迄の五十三次はここで終点とします。

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 クラシックカー好きの私としては当然の事ながら、街道沿いの右を見たり左を見たり、臆面もなく他人のガレージを除いてきました。

で、見つけた極めつけのクラシックカーはオースチンA50 ケンブリッチ です。
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 もう1つ、クラシックカーではありませんが、下写真には何が写っているか皆さんで考えて見ませんか?
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東海道五十三次, 桑名宿から四日市宿 その2(桑名から富田迄) [ 東海道五十三次]

 
 先日、東海道五十三次の桑名宿から四日市宿を歩く為、早朝家を出てJR桑名駅に10時頃に着き、長島行のバスで田町バス停迄行き、「七里の渡し跡」の公園を回り歩き始めました。 しかし、桑名城跡や春日神社を見学し昼食を取った結果、約8000歩も歩いたにもかかわらず、五十三次は「七里の渡し跡」から約100mしか進んでいませんでした。


 と言う事で「午後は頑張って歩かないと!」と決意し歩き始めました。

 昼食を食べた「川市」さんから100m弱の所に「通り井」の跡がありました。
 桑名の地下水は海水が混じり一般的には利用できない為、町屋川から水を引き町内の主要道路に水道を造り所々に道路の中央に舛を開け、一般の人が真水を利用できる様にしました。
 (写真をクリックすると大きく表示します)
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 「七里の渡し跡」から約400m、東海道五十三次を模した「歴史を語る公園」を左に見ながら、南大手橋迄歩きます。 南大手橋は「歴史を語る公園」の終点でもあります。
「歴史を語る公園」の始点日本橋      「歴史を語る公園」の終点三条大橋
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 南大手橋の交差点を右折し100m程進むと「石取会館」です。
桑名市の石取祭りに関する色々な展示やイベントを紹介する施設です。
石取祭りのホームページ:http://isidori.jp/index.html
石取会館についてのページ:http://kanko.city.kuwana.mie.jp/machi/ishidorikaikan/
(写真をクリックすると大きく表示します)
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上右の様に石取会館自体が登録有形文化財になっており、館内には江戸時代末期に作られた祭車が展示され、奥の黄緑矢印先には祭りの太鼓を練習している方がおられました。

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 更に歩き、南大手橋の交差点から200m、京町公園です。
ここは、京町の西端の東海道上に京町門があり、その南側には番所がある「京町見附」でした。 下写真の黄緑矢印の先に京町見附の説明が。

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 「京町見附跡」を左折し真っ直ぐ350mで「吉津屋見附跡」です。
 京町見附跡と同様吉津屋門(後に鍛治町門)があり番所もありました。 又、ここには枡形も残っており日常の道路として整備・使用されています。

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 「吉津屋見附跡」の枡形を回って、おもちゃの「いもや本店」前を右折し700m、「七曲り見附跡」ですが、これが見つからず行ったり来たりしました。 「七曲り見附跡」は下写真日進小学校の黄緑矢印先、体育館らしき建物の門を入って左側にありました。
矢印先には七曲り見附の説明板
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 やっと見つけた「七曲り見附跡」を後にして、シーボルトも見学したという「広瀬鋳物工場跡」を是非見て見たいと思っていましたが見つからず、「天武天皇社」を右に見ながら先に進むと鋳物の街らしく右手には鐘の鋳物屋さんがありました。
 「国道1号線」を横切り、「七曲り見附跡」から700mでT字路に突き当たり平成3年に再建されたという「火の見櫓」があった。 説明板(下写真)には「矢田立場」について書かれていました。

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 「矢田立場の火の見櫓」から1.4kmで員弁川(町屋川)に突き当たり、大きな常夜灯がありました。 この常夜灯は「伊勢両宮常夜燈」と言い文政元年(1818年)に東海道の道しるべとして、又伊勢神宮への祈願を兼ねて桑名・岐阜の材木商によって寄進されたもので石工は桑名の根来市蔵との事。
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 で、常夜灯の交差点で左に曲がり、国道1号線の「町屋橋」を渡ります。
橋から右手の鈴鹿山脈を見ると前日の寒波で雪が積もっていました。 実は富士山の雪景色以外では今季初の雪景色です。 この時既に15時を回っており、さむ~~~!!!

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 町屋橋を渡り直ぐに右折し約80mで左折、員弁川(町屋川)対岸の「伊勢両宮常夜燈」の延長線上の旧東海道に戻ります。 道路の状況や常夜灯等から昔は「伊勢両宮常夜燈」の延長線に町屋橋が架かっていた事が想像できます。
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 町屋橋から900m位の所に一里塚の石碑があるはずでしたが見逃し「近鉄 伊勢朝日駅」脇の踏切を過ぎ、更に歩き約1.7kmで「浄泉坊」に到着。 「浄泉坊」は徳川家にゆかりのある桑名藩主の奥方の菩提寺だったので、屋根等に葵の御門が入っていました。
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 16時を回り薄暗くなり始めただただ前を向いて歩き、町屋橋から約3.0km。 前方に「伊勢湾岸自動車道」の高架が見え、高架手前の交差点の右の方を見ると「多賀大社常夜燈」があった。 

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「多賀大社常夜燈」の常夜灯から約10分で「松寺の立場跡」に出ました。
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 朝明川を渡り多賀大社常夜燈から1.4km、三岐鉄道とJR関西本線と一般道の3つが交差する珍しい踏切を渡って、
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 多賀大社常夜燈から2.1km、富田の一里塚に到着。
この時17時直前、薄暗くなりカメラでの撮影も厳しくなり始め、疲れも出て来て「もう限界かなァ~」と思う様になりました。
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 頑張って富田の一里塚から150m位進んだものの、前方に空車のタクシーが! タクシーを見た瞬間プッツンと糸が切れ「手をあげて」タクシーを呼んでしまいました。
で、予約してあったホテルに!!!
 
 この日の午前中は自宅からで11000歩,桑名宿内は8000歩。 午後は17000歩。
 寄り道の多い私は25000歩も歩いたにもかかわらず、「七里の渡し跡」から9.5kmしか進んでいませんでした。



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東海道五十三次 桑名宿から四日市宿 その1(桑名宿) [ 東海道五十三次]

   
 先日、東海道五十三次の内の桑名宿から四日市宿を歩いて来ました。

 東海道五十三次を歩くのは、鳴海宿から宮宿を歩いた今年の6月下旬以来です。
  鳴海宿から宮宿の記事 https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-19 
             https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-07-27
 尚、宮宿から桑名宿迄は3月10日に「堀川まちネット」さんの船で渡りました。
             https://hisashi1946.blog.so-net.ne.jp/2018-03-15
 (東海道五十三次が制定された1601年頃の宮宿から桑名宿は、「七里の渡し」と言う
  船による海上ルートが正規でした。)

 この「七里の渡し」ルートは、以前は旅行会社によるツアーもあった様ですが、今は「有料での船の運航は役所の許可が下りない」との事で、NPO法人「堀川まちネット」による「東海道 七里の渡し船旅 学習会(要寄付5000円)」が唯一の航路となってしまった様です。 
 堀川まちネットのホームページ : http://horikawamachi.net/

歌川広重の桑名宿
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 で、先日は早朝家を出てほぼ10時に桑名駅に着き、駅から長島行のバスに乗り田町で下車、歩いて堀川まちネットの船から下りた揖斐川(いびがわ)の堤防に。

この辺は揖斐川と並行して長良川が流れており、長良川の河口堰も見えます。
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揖斐川の堤防を下流方向に少し歩き「七里の渡し跡」に。 後方に蟠龍櫓も見えます。
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揖斐川河原の「七里の渡し跡」公園から下り、ここから五十三次が再開となります。
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公園から出て右に曲がり「大塚本陣」跡の明治8年創業船津屋さんをパチリ。
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船津屋さんの右隣りは脇本陣「駿河屋」跡、明治38年創業の老舗料理旅館の山月さん。
桑名宿の脇本陣は4軒有って駿河屋が最も格式が高かったとの事。
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山月さんから約100mの駐車場脇に舟会所・問屋場跡の説明板が(黄緑矢印先)。
舟会所は宮宿や佐屋へ渡る人の為に渡船の手配をし渡船料金を受け取る所で、問屋場は旅をする人の為に人足や馬を手配する所ですが、今はその場所は定かでないとの事。
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 山月さんから約200mで北大手橋へのT字路に。
 是非桑名城跡に行ってみたいと思っていたのでこの交差点を左折。

北大手橋を渡り、
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左や右に曲がり「柿安本店」の手前に伊勢桑名藩初代藩主「本多忠勝」の銅像がありました。
忠勝は徳川氏の家臣で、上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主だった。
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 本多忠勝の銅像の前から右側の九華公園に入り、城跡は一番奥の鎮國守國神社の前に桑名城跡の石碑があり、神社の東側に桑名城天守跡の記念碑(黄緑矢印)がありました。
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天守の碑
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天守跡を見た後は公園の南側に出て南大手橋を渡り旧東海道に戻り、春日神社(桑名宗社)に。

春日神社の銅の鳥居の左には「しるべいし」(黄緑矢印先)もありました。
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そして鳥居脇の白い掲示板には「鳥居」や「しるべいし」について説明されていました。
   (写真をクリックすると大きく表示されます)
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鳥居をくぐると重厚な楼門です。
 天保4年(1833)、松平定永によって寄進された門で、正面左右には左大臣・右大臣、裏側には金剛力士像が安置され、その姿の美しさは日本一と言われたそうですが、昭和20年の空襲で焼失。 平成7年の七百年祭記念事業にて半世紀ぶりに再建されたそうです。
春日神社(桑名宗社)のホームページ:http://www.kuwanasousha.org/

桜門
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境内
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 で、境内右の受付で御朱印をお願いした所、桑名宗社奉賛会の行事の為書く人手がなく「既に朱印を押した紙で」との事。 「その代わりと言っては何ですが、宝物殿の「村正」と家康の孫千姫が奉納した「家康座像」を見て行って下さい」との事でした。 尚、写真撮影はご遠慮下さいとの事。
 で、宝物殿に行くと玄関に「家康座像」が展示されており、宝物殿中央には一振りの刀が。 刀を見ると「春日大明神」「勢州桑名郡増田庄藤原朝臣村正作」と彫られており、これが「妖刀村正伝説のひとつか!」とじっくり見させて頂きました。

「家康座像」についての桑名市の桑名市埋蔵文化財整理所のページ(写真付き)
     http://bunka.city.kuwana.mie.jp/html/bunkazai/100.html
「村正」についての桑名市の桑名市埋蔵文化財整理所のページ(写真付き)
     http://bunka.city.kuwana.mie.jp/html/bunkazai/058.html



 思いがけないお宝を見る事が出来、早くも"五十三次歩き"は達成感・満足感一杯!

 で、時計を見ると昼食時間。 桑名での食事は「焼き蛤」をと思いながら旧東海道の街道沿いを歩きながら探した所、既に行列のお店だったり、敷居の高そうなお店だったりでなかなか適当なお店が見つからず、「うどんの川市」さんに行きつきました。

 食べたのは「はまぐりの小天丼」と「はまぐりの味噌煮込みうどん」のセットです。
お店の中でお会いした地元の方は「ここを選んだのは正解。有名ですし本当に美味しいですよ。 ただセットは量があるから食べきれるかどうか?」との事。

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 地元の方が言われた通り 美味しかった。
 特に味噌煮込みは名古屋の煮込みに負けません!!!
 はまぐりの天ぷらも珍味で美味しかった!!!

 食べきりお腹が一杯になり休息も十分取れて万歩計を見ると約8000歩。
 次の計画はと地図を見ると、
  えエッ! 「うどんの川市」さんは「七里の渡し跡」から約100m。

 約8000歩も歩いたのに、旧東海道歩きは100mしか進んでいませんでした!!!


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